有名人には有名じゃなかった時期もあるという当たり前のこと
「んー。うぅーん……」
「なんだ。さっきから気持ちの悪い声を出してからに」
海に行った翌日。自宅で慣れない日焼けにピリピリと痛む腕をさすりながら唸っていると、閻魔ちゃんが姿を現して文句を言ってきた。
「いやあ、昨日会ったお姉さん、なんか見たことある気がしてさあ」
「なんだ。またおまえお得意の胸による人物判断か?」
呆れたように言う閻魔ちゃんの隣で、青鬼さんがただ蔑むような目でぼくを見ていて、とても精神がすり減る。
「そういえば閻魔ちゃん達、海に行ってる間は静かだったな。特に閻魔ちゃんあたりは海でキャッキャしそうなのに」
いつもはどうでも良いところですぐに言葉の揚げ足取りをしてくるくせに。
「おまえはわたしのことをなんだと思ってるんだ?」
「さあ?なんだろうな」
答えはクソガキである。
「なに、クラスメイトと遊ぶというおまえにとって人生に一度かもしれない晴れ舞台、邪魔しないようにと気を使ってやったのさ」
完全なる余計なお世話である。というかそもそも普段から邪魔するなよな。まるで自分たちがいいことをしたみたいな風に言いやがって。
「おっと感謝はいらんぞ。私は器がでかい鬼だからな!」
そう決め顔でアピールするあたり、閻魔ちゃんの器はミジンコサイズである。
「なあ、あのお姉さんって七瀬のコスプレ仲間なのか?」
「お前が知らないことは教えられないと何度言ったら学習するんだ」
「予想が合ってるかどうかぐらい教えてくれたっていいだろ」
「クイズじゃないんですよ佐藤さん。知らないことは教えられない。それがルールですからね」
青鬼さんが嗜めるようにぼくに言った。なんだか自分がわがままを言って大人を困らせるガキのように思えてきて、それ以上駄々をこねるのはやめた。
「別に気にすることでもないだろう。連絡先を交換したわけでもないくせに」
まあ、閻魔ちゃんの言う通りではあるんだが……。
「思い出せそうで思い出せないから、聞き覚えのある歌の歌詞や題名の一部が出てこないのと似た気持ち悪さがあるんだよ」
このままじゃ他のことが手につかなくなる。ぼくは必死で自分の中に眠る記憶をほじくり返して、お姉さんのことを探した。
スイカのような胸、コスプレ、そして……スキンヘッド。
「あー!思い出した!あの人シトラスさんだ!」
あのお姉さんの正体がわかったと同時に、モヤモヤとした頭がスッキリと晴れていく。まるで知恵の輪を解いたような達成感がぼくを満たした。きんもちいいー!
シトラスさんとはSNSにコスプレ写真を載せてる有名なレイヤーさんで、動画や生放送などでしているゲーム実況や企画も面白くて、未来じゃあ結構有名な配信者さんだった。俺もよく見てたし。どうりで見覚えのある胸だと思ったんだ。いやぼくは別に動画のサムネの胸に釣られたからとかじゃなくて、単純に面白いと思ったから観てただけだけど。
「スキンヘッドの写真もSNSに上げてたのを見たことがある。あの胸にあの頭、間違いない!」
確信を持ってぼくは叫んだ。
「また胸ですか。汚らわしい……」
青鬼さんが上空でそうつぶやいて、僕を見下ろしていた。
「まあ今はまだ有名でもないがな」
閻魔ちゃんの言葉でシトラスさんのSNSのアカウントを慣れた手付きでチェックすると、利用開始は今年の月となっていて、フォロワーは未来の10分の一どころか100分の1にも満たなかった。配信サイトの方に至ってはチャンネル自体は存在していたものの、登録者は更にもっと少なかったし、あがっている動画は0本だった。
「あんなにすごい人でもこんなにフォロワーが少ない時期もあったんだなぁ」
「何を当たり前のことを言ってるんだおまえは……」
「いやそうなんだけどさ。ぼくが知った時は最初から有名だったし」
ぼくは速攻でフォローと登録をした。これで古参面できるぜ。
七瀬はシトラスさんと仲良さげだったが、シトラスさんの活動については知ってるんだろうか。なんならあいつもSNSとかでコスプレ写真上げてたり……はないだろうな。そんな性格じゃなさそうだし。いや、コスプレイベントに参加するくらいだから、ありえなくもないのか……?
結局、それっぽい単語を入力しても、七瀬のものらしきコスプレアカウントは見つからなかった。
こうしてぼくにとってもっとも忙しなくて、最後となる夏休みは終わったのだった。
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