鎧の中身

「何しに来たわけ?」

「体調不良で早退してから2日も学校を休んでるクラスメイトのお見舞いに来ましたがなにか?」


 大助の提案を聞いた後、ぼくは七瀬の家までやって来た。ぼくに自分から住所をバラしたことを後悔するがいい。


「あっそ。見ての通り仮病だからさっさと帰れば? ていうか私じゃなくて、渚のことをどうにかしてあげたほうがいいんじゃないの?劇で使う衣装だってもう作ってるんだから、私の方はもういくら休んでも問題ないでしょ」

「お前たちが仲直りしないと困るからこうして来てる」


 シッシとぼくを追い払おうとする七瀬にぼくはそう食い下がる。


「別に困らないでしょ」


 それがそうとも限らないのだ。大助がやろうとしていることに、こいつの協力があるだけで大分成功率が変わってくる。


 それに、彼女はいままで衣装作りという形で劇に向けて他のクラスメイト達と同じように頑張ってきたのだ。なのに、まるで自分ののことをクラスにとって居てもいなくても変わらない存在とでも言いたいような今の態度が気に食わなかった。


 ぼくは七瀬に、当日学校に引きずっていってでも、劇に向けて頑張ってきたクラスの一員として、自分の作った衣装を着たみんなが演じる劇を見届けさなければ気がすまないのだ。


「まだやってほしいことがあるし、おまえの協力を取り付けてからの方が春風さんを説得しやすいんだよ」

「……あっそ」


 そのそっけない返答から、やはり学校に来るつもりはなさそうだった。


「……まさかおまえがキレるとは思わなかったよ。それもあんな大衆の面前でさ」


 ぼくはあの日のことを話に持ち出した。


「前に言ったでしょ。学生生活は捨ててるって。だからクラスメイト達にどう思われようと、別にどうだってよかったってだけ」

「それ嘘だろ」

「は?」


 ぼくがそう指摘すると、七瀬は威圧的な声とともに、ぼくを睨みつけてきた。


「だって学校生活を捨ててるって言うなら、それこそ怒る必要なんてないんだ。どうでもいいっていうなら、私はなんにも関係ありませーんって知らんぷりするのが一番楽なんだ」


 なのにこいつはそうしなかった。


「おまえはあの時さ、文化祭のために頑張ってきたクラスメイトのために怒ったんだろ?」

「……私があの時キレたのは、渚にムカついたから。それだけよ」


 そう言われても、その弱々しい言葉に説得力はなかった。


 文化祭のためにみんなが頑張ってきたのに、春風さんが怪我したせいでそのみんなの努力が台無しになるかもしれなくて。あのときの七瀬には、それが許せなかったんじゃないだろうか。特に小川さんの劇に向けての頑張りを、七瀬は一番側で見てきただろうから。


 きっと七瀬はクラスメイトのことをどうでもいいなんて思っていないのだ。じゃあなぜ親友と学校で話さないだなんて馬鹿げたことをしてまで、頑なにクラスメイト達と関わり合いになるのを避けるのか。


「おまえがクラスメイトと関わろうとしないのってさ。別に面倒だとかどうでもいいとかそういう理由じゃなくて、その頭のことを知られたくなかったってだけじゃねーの?」


 今度は七瀬は無言だったが、ぼくを睨みつける眼光はいっそう鋭さを増した。すぐに「何いってんの」と嘲笑が飛んでこないところを見ると、ぼくの推測はまったくの的外れというわけでも無さそうだった。


 しばらくして、ぼくを睨みつける瞳から力が抜けていき、ついに七瀬はぼくから視線をそらした。


「だって……」


 そしてぼそりと口を開く。


「……だってそんなの、言えるわけないでしょ。自分が人と関わらないようにする理由が、ただこの頭のことをバレるのが怖いだけだなんて」


 そう目を伏せた七瀬は、初めてぼくに壁ドンして本性をあらわにしてきたときより、初めてコミケ会場でコスプレ姿を見た時より、初めてシトラスさんと話しているのを見た時より、それまでの七瀬ぼたんと別人のように感じた。


 気が強くて、口が悪くて、他人の目線なんてまるで気にしない心に毛が生えた女。それがぼくから見た七瀬ぼたんという人間である。しかしそんな印象は、彼女の纏っていた鎧に過ぎなかったのかもしれない。そして今、目の前にいる秘密を知られることに怯えたか弱い女の子が、鎧の中に居た本当の七瀬ぼたんなのかもしれない。


「髪が生えてこないのは、病気かなにかなのか?」


 ぼくがそう切り出すと、七瀬は首を横に振った。


「小さい頃病院に行ったら生まれつきの体質みたいなものだって言われたわ。だから、髪が生えてこない以外、体に悪影響とかは特にない」


 そう聞いて、ぼくはとりあえずホッと息をついた。僕にとってスキンヘッドというのは、投薬の副作用とか、そういうイメージが強かったから。


「じゃあ、小さい頃からウィッグしてたってことなのか」

「実を言うと、本当に小さい頃は頭に毛が生えてこないことなんて全然気にしてなかったから、ウィッグなんてしなかったわ。親が買ってくれてはいたんだけど、なんか変な感じがして嫌いだったし」


 感覚的には帽子を被るのが嫌い……みたいな感じだろうか。


「でも子供って正直でしょ?頭のことでからかわれたり、いじめられたりしたわけよ。それから、自分の頭に集まる視線が嫌になって、欠かさずウィッグを被るようになった」


 当時のことを思い出しているか、七瀬は暗い目をしてそう言った。


「春風さんは、知ってたんだな、おまえの頭のこと」

「それこそずっと小さいときからね。親同士が仲良くて、それこそ物心付く前からよく遊んでたのよ。でも、渚が他のやつらと同じような気持ちの悪い目で私を見たことは一度もなかった。言ったでしょ?渚は私の親友だったから」


 親友”だった”。そう口にするときの七瀬はとても淋しげに見えた。


「コミケじゃあ、あんな大勢の前でコスプレしてたんだ。人前に出るのが嫌ってわけじゃないんだろ?」

「柚子さんに出会ったおかげで、今はね」


 柚子さんというと、海で会ったシトラスさんのことか。


「そういえばあの人もスキンヘッドだったけど、おまえと同じで体質ってやつなのか?」

「違うわよ。あの人は自分でスキンヘッドにしたの。コスプレでウィッグ被るのに邪魔だからって」

「それだけの理由で!?」


 まさかそんな理由だとは思わなかった。髪は女の命じゃなかったのか。


「笑っちゃうでしょ?しかも柚子さん、そのことに微塵も後悔してないし」


 七瀬は、悲しげにふっと笑った。


「まだ小学生のときに、親の付添いで行った美容院で、ウィッグのカットに来てた柚子さんと出会ったの」

「ウィッグのカットとかするんだな」

「そりゃするわよ。全部が元から自分好みの髪型ってわけじゃないんだから。まあ、その時の私も同じこと聞いたんだけどね」


 七瀬は当時を懐かしむように目を細めた。


「柚子さんは急に質問してきた私に色々と教えてくれて、『スキンヘッドは自分の好きな時、好きな髪型になれる最強の頭だよ』って言って、私の頭を撫でてくれて。その言葉に救われたわ。わたしにとっては、この頭に生まれたってことは、オシャレができないってこととイコールだったから。柚子さんはそんな私の常識を壊して、手を差し伸べてくれた。柚子さんは私の恩人で、憧れの人なの」


 海でまるで別人のようにシトラスさんに懐いていたのは、そういう背景があったらしい。


「柚子さんのおかげで、ウィッグを被ってオシャレをしてる時の自分は大好きになれた。それこそ、コスプレ姿なら大勢の前で撮られても堂々とできるぐらいに。……でもね、いくら憧れても、私は柚子さんみたいにはなれない」


 七瀬は、悲しそうにそう付け足した。


「あの人はスキンヘッドでも、スキンヘッドの自分に誇りを持ってた。だからウィッグを外してる状態でも、あんなに眩しい笑顔で笑えるの。自分の頭に、なんの引け目も感じてない。海でもそうだったでしょ?」

「ああ。たしかにそんな感じだったな」


 引け目がないどころかスキンヘッドに驚くぼくらを見て楽しんでいるくらいだった。


 しかし今にして思えば、あれは頭のことを隠している七瀬のために、ぼくらがスキンヘッドに対してどんな反応をするのか、七瀬に確かめさせようとしていたのではないだろうか。


「わたしはあの人みたいにありのままの自分を好きになんてなれない。ウィッグを外して笑ったりできない。わたしは、素の自分が嫌い。きっとこの頭をからかってきた子供たちよりも。ただ気の毒そうな目を向けてくる大人達よりも。このつるつるした頭のことを、私自身が世界で一番大っ嫌い。だからこそ、誰にもバレたくなくて、隠したくて必死になってた」


「あんたの言う通りね」と、七瀬はよりかかった壁に後頭部をコツンと預け、自虐的な虚しい笑みを浮かべた。


 七瀬が海でシトラスさんを「すごい人」と評したときの、あのなんとも言えない表情がようやく合点がいった。

 七瀬はシトラスさんに憧れると同時に、同じくらい劣等感も感じていたのだろう。


 人は自分と他者を比べてしまう生き物だから。自分もこうなれたらいいのにってそう思って、でも現実は全然そうはなれなくて。どうしようもない自分を憧れと比べてしまって勝手に落ち込んで。そういうのって、すごく苦しいのだ。


「私は、この頭がバレないようにってずっと怯えて生きてきた。頭のことがバレるのが怖くて仕方なくて、だから周りの人ともできるだけ関わらないようにして」


「クラスの奴らも、素の自分をさらけ出せないようなやつと友達になんてなりたくないでしょ」と、そう七瀬が付け加えた言葉だけは、ぼくは容認できなかった。


「おまえが、こいつと友達にはなりたくないなって思うのは当然のことだ。誰にでもいい顔ができるやつはいても、誰とでも心から仲良くできるやつなんていないだろうし。でも、その逆は、相手がおまえのことをどう思うかはおまえの決めることじゃないだろ。現に俺は、頭のせいでお前と友達になりたくないとは思わないぞ」


 どちらかというと、おまえの欠点って外見よりそのきっつい性格というか、そこらへんだし。言葉に出さず、ぼくは心の中でそう付け加えた。


「なんにでも例外はいるでしょ。ほら。仲間はずれって、あんたにいかにも似合う表現じゃない」


 七瀬の皮肉にぼくの低い沸点が臨界点に達するより前に、ピンポーンと誰かがインターホンを鳴らす音が背後から響く。


「な、七瀬さん!い、いますか!?」


 覗き穴で確かめるまでもない。インターホンの音とともに小川さんの声が、扉一枚隔てて響き渡る。


「仲間はずれその二が来たみたいだけど?」

「……アレ、あんたが呼んだの?」


 七瀬の責めるような鋭い目つきに、ぼくは首を横に振った。もし連れてくるなら最初から一緒に来ている。小川さんが来たのは完全に予想外だ。


「で、これ開けてもいいやつ?」


 そうぼくが七瀬に聞くのと同時に、また「七瀬さん!」と小川さんの声が響いた。


「……開けなきゃずっと大声で私の名前連呼されそうだし、早く開けてあげて」


 七瀬は諦めたようにため息をついた。


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