人との関係は積み重ねでできている

「あ、佐藤さんも来てたんですね」


 扉を開けたのが僕だと気づいた小川さんが息を切らしながら、ぺこりとお辞儀した。前髪が汗で額にべったりと張り付いている。どうやら彼女は、ここまで走ってきたようだった。


「それで、あんたの方はそんなに慌てて何しに来たわけ」

「そりゃあ、そりゃあ慌てもしますよ。七瀬さん、もう2日も学校休んでるじゃないですか!」


 小川さんは声を荒げた。どうやら彼女もぼくと同じように、七瀬を学校へ引きずり出しに来たらしい。


「コレにも言ったけどね」と七瀬はぼくを顎で指す。


「衣装はもうできてるし、私がいなくても問題ないわよ。誰が代役するかは、わたしが居てどうこうなる問題でもないし。そうなった時の、衣装の直しが必要ならちゃんとやるわよ」

「確かに七瀬さんの言う通り、劇が成功するしないに、七瀬さんが学校にくるかはあまり関係ないと思います。でも、もし劇がちゃんと行われるとしたなら、その時七瀬さんも一緒じゃなきゃ私は嫌です」


 きっぱりと、小川さんは七瀬にそう言い放った。


「なんで、あんたはそんなに私を学校に行かせたいのよ……」


 七瀬は、理解できないとでも言いたげにため息を吐いた。


「なんでって、だって、だって……。だって七瀬さんは、私にとってはじめてできた友達なんですよ!」


 ぼくは、小川さんが感極まったように発したそのセリフに驚いた。それは、「ふたりはいつのまに友達になっていたんだ?」という驚きではない。ぼくから見ても、二人はとても仲が良い、まさに友達に見えていた。


 ぼくが驚いたのは、小川さんが七瀬に対して友達とはっきり言い切ったからだった。


 小川さんはネガティブだ。自己肯定感がバカみたいに低い。相手は自分のことを友だちと思ってくれてるんだろうかとか、自分が友達なんて言っていいのかとか、そんな風に考えて、友達という言葉を簡単に口に出せないタイプの人種だと勝手に思っていたから。いや、実際にそうなのだろう。そんな性格の彼女にとって、そのありふれた言葉を口にするのは相当に勇気のいる行為だったはずだ。


「友達が急に学校に来なくなったら心配してなにが悪いんですか?友達と一緒に学校行事を楽しみたいと思ってなにが悪いんですか?わたしのことを助けてくれた七瀬さんを、今度はわたしが助けたいって思ってなにが悪いんですか……?」


 瞳を揺らしながら、小川さんは七瀬にそう訴えた。


「あんた、勘違いしてるのよ。私はね、あんたが思ってるみたいに上出来な人間じゃないの。あんたを助けたのだって、ただ見栄張って、背伸びしてただけよ」

「そうだとしても、七瀬さんはわたしのこと助けてくれたじゃないですか。七瀬さんが、私を助けるために無理して背伸びしてくれたんだとしたら。わたしはとっても嬉しくなるんです。心がじんわり暖かくなるんです」


 小川さんはそう言って胸に手を添えて、目を伏せた。ツーっと、その頬を一筋の涙が伝っていく。


「スキンヘッドだったとか、自分は強い人間じゃないだとか、そんなことで私が七瀬さんのことを嫌いになると思ったんですか?私のこと、バカにしないでください。むしろ、私のためにがんばってくれたんだって、もっと好きになりましたから!」


 小川さんは涙を流しながらも、七瀬を睨みつけた。それは七瀬のように鋭い視線でもなく、恐怖も感じないものだった。せいぜいが、チワワが頑張って威嚇してるくらいの印象だ。でも、見つめられた七瀬は逃げるように目をそらしたのだった。


「わ、わたしは……」


 七瀬は何かを言おうと口を開いたものの、言葉はそこで途切れてしまった。とりあえず口を開けば勝手に口が動いてくれる。そう思ったけど、結局なにも浮かんでこない。そんな風に見えた。


「なぁ、七瀬。おまえクラスの鈴木ってわかるか?あの髪の毛がすごいやつ」

「……あの髪型だけゲームのイケメンキャラみたいなやつのことでしょ」



 言葉に詰まっていたからか、ぼくが唐突に切り出した話題に、七瀬は容易く乗ってきた。


 ところで鈴木のことを言外に顔はイケメンじゃないと指摘するのはやめて差し上げろ。


「おまえ、あいつがあの髪のセットに毎朝何時間かけてるか知ってるか?」

「知らないわよ、興味ないし」

「なんと慣れてきた今でも一時間超えるんだってさ」

「あっそう」


 あまりにもそっけない反応だ。もうすこし興味を持ってやってもいいんじゃないかと思わなくもない。


「そういう俺も、若い頃から風呂上がりは化粧水を欠かしたこともないし」

「その割に、きれいな肌には見えないけどね。ていうか、若いって高校生がなに言ってんのよ」

「努力してるからこの程度で済んでるんだよ!」


 って違う違う。つい怒鳴ってしまったが、別に喧嘩をしようとしてこの話題を出したわけじゃないのだ。


「さっきからなんなわけ?誰もそんなことに興味なんてないっての。脳の容量が無駄なんだけど」


 七瀬が舌打ちをした。パタパタと何度も足で床を叩き始める。


「小川さんも、昔の自分から変わろうとダイエットして、今もカッコ良くなろうって頑張ってる。つまりさ、みんな自分を良く見せるために色々やってんだよ。向上心ってやつだ向上心。そんでさあ。おまえのウィッグも、それとおんなじことなんじゃねーの」


 ありのままの姿を好きになってもらいたいと言えば聞こえはいい。でもそこには、努力をしない為の言い訳のような面が少なからずあると思う。


 努力が恥ずかしいだなんて、そんなのは嘘だ。少なくともぼくの眼には変わろうとする小川さんも、小説を書く大助も。そして、自分のコンプレックスをウィッグや化粧で克服しようとする七瀬も。ぼくの眼にはみんなかっこ良く、そして眩しく映った。


「デブがダイエットするのも、バカが勉強を頑張るのも。変わろうとするやつはかっこいいんだよ。お前のウィッグも、オシャレしようって努力したからのものだろ?恥ずしいことでもなければ、隠さないといけないことでもないだろ。それを馬鹿にするやつなんて、そいつらの方がおかしいんだよ!」


 意識せず、語尾が荒っぽくなってしまっていることに気づいた。大助のやつもそうだけど、ぼくがすごいと思っているやつが自分のことを卑下すると、無性に腹が立つのだ。大助も、こいつも。どうして自分の努力にこう無頓着になれるのだ。


「七瀬さん。七瀬さんが私に言ってくれたじゃないですか。どうせ自分なんかっていう言葉は努力から逃げるための言い訳なんだって。

 七瀬さんは、スキンヘッドでもオシャレすることから逃げなかったじゃないですか。自分の外見や性格と向き合おうとせず、散々逃げてきた私だからわかります。それは、すごいことなんです。

 だから今回も、どうせこんな頭、誰にも受け入れられないに決まってるなんて決めつけないでくださいよ」


 小川さんは悲痛な面持ちでそう訴えかけた。ぼくがイラつくのと同じように、七瀬が自分の努力を認めていないのが、小川さんにとっては悲しいのかもしれない。


「私、七瀬さんの頭のことを知っても七瀬さんが大好きなままでしたよ。だってそんなのどうだっていいくらい、わたしは七瀬さんの良いところをいっぱい知ってるんです。だから、私の大好きな七瀬さんを、七瀬さん自身がもう少し好きになってくれませんか?」


 小川さんは、懇願するようにそう問いかけた。


 ぼくが春風さんのことがまだ好きかと大介に尋ねた際、今の小川さんと同じようなことを言っていたのを思い出す。


 きっと、最初から全部をさらけ出せる関係なんてないし、全てを知っている関係だってないのだろう。初めは表面しか知らなくて。おっかなびっくり自分を出して。相手のことを少しずつ知っていって。


 そういうのを途方もなく積み重ねの先に、こいつにならなんでも受け入れてもらえるかもって思えるようになって。こいつのことならどんなことだって受け入れられるって思えるようになって。


 それは大助が春風さんの夢が嘘であったと知っても気持ちが変わらなかったように。小川さんが七瀬の頭のことを知っても気持ちが変わらなかったように。


 話を聞いたあとも、七瀬はぼくらから顔をそらしたまま、それはもう長い間黙っていた。多分、それだけちゃんと答えたいのだと思う。逃げずに、ちゃんと答えようとしてくれているのだと思う。なんだかんだ、真面目なやつだからな。


「……ねえ、小川。わたし自分が嫌い。だから本当は自信なんてなくて、あんたが思ってるよりずっと臆病よ。……それでもあんたは、私の友達で居てくれるの?」

「当たり前です。最初から言ってるじゃないですか。それ以上わたしの気持ちを疑ったら、怒りますから。七瀬さんがどんなに嫌がっても友達ヅラして、七瀬さんが自分を大好きになれるようにしてみせますから」


 否定されるのが怖いのだろう。仲良くなって秘密を知られて、そして拒絶されるのが怖かったのだろう。それはきっと、最初から嫌われているよりもずっと辛いことだから。今こう言っている小川さんもいつかそうなるんじゃないか。七瀬はそんな風に考えてしまうのかもしれない。他人を信じるというのは、とても難しいことだから。


「少なくともぼくが見る限りではあるけど……小川さんはおまえのことが大好きだぞ」


 どれほどの効果があるかもわからないが、すこしでも小川さんを信じる後押しになればとぼくはそんなことを口走っていた。


 ぼくから見る限り、小川さんは短い付き合いとは思えないほどに七瀬のことを大好きに見える。そしてこれまたぼくが見る限りではあるが、七瀬の方も小川さんが大好きに見えるのだ。つまり両思いだ。だからあとは、七瀬が差し出された手を握れるかどうかの問題なのだ。


 七瀬がぎこちない歩き方で小川さんの前まで歩いていく。


「……その。あ、改めてよろしくね。……雪」


 そして、顔を俯けたままで小川さんの方へと手を差し出した。


「と、友達だから、名字も変かなって。小川って名字、他のクラスにもいるから。ただそれだけ」


 手が握られないことに不安になったのか、ようやく顔を上げた七瀬は、あっけに取られた様子の小川さんを見て、特になにか指摘されたわけでもないのに「なんか文句あんのか?」とでも言うように早口気味にそう言う。 


 本人は澄ました顔をしているつもりなのだろうか。しかし彼女の耳は、雪のようなきれいな白から、赤色へとみるみるうちにグラデーションされていった。つまり今、小川さんを名前呼びしたことに対して、七瀬はめちゃくちゃに照れているのである。


「はい!なな……ぼたんさん」


 小川さんが、差し出された手を嬉しそうに握った。そして、ふたりして照れくさそうに、顔を真っ赤に染める。そして、その光景をひとり蚊帳の外で眺めているぼく。


 ……なんだこの状況は。実は説得に小川さんだけいればぼく要らなかった説……ないよな?


 幸いなことに、その問いかけに答えられるやつはどこにも居ないのである。


「……明日は、ちゃんと学校行くから」


 ふたりの顔の赤みがだ大分引いてきたころ、七瀬がぽつりとそうつぶやいた。


「七瀬さん!」


 待望していた言葉に、小川さんは手を合わせて喜ぶ。しかし、すぐにしょぼんとした様子で眉を八の字に曲げた。


「でもその……。もし無理してるなら……」

「なに?あんだけ執拗に行かせようとしといて今更そんなこと言うわけ?」

「それは、確かにそうなんですけど!なんというか、ですね……」


 確かに矛盾してるみたいだけど、「学校に来てくれるのは嬉しい。でも無理してないかな……?」と懸念するのは実に小川さんらしいなと思った。ぼくならまず心配などしない。


「でも、大丈夫よ。……多分、全ての人があんた達みたいに受け入れてくれるわけじゃないと思う。表面上は隠しても、心の中ではうわって思う人も、やっぱりいるとは思う。でも、少なくともみんながそうじゃないってことは、ちゃんと伝わったから。だから大丈夫」


 七瀬はぼくが今まで見た中で一番やわらかい表情で、困っている小川さんへ微笑んだ。


「じゃあ、せめて学校に行く時は一緒に登校して、帰りも送って……」「だから大丈夫って言ってんでしょうが!」

「ひゃい、余計な心配してごめんなさいぃ!」


 しかし次の瞬間、七瀬はくわっと目を見開いて、まだ心配そうにしている小川さんに怒鳴った。その声量にビビった小川さんが、情けない声を出してぺこぺこと頭を下げている。


 さっきまでの小川さんに向けた優しい雰囲気はどこに行ったのだろうか。


 ……まあでも、このいつも通りのやり取りも、仲が良いからこその関係っていうのには変わりはないか。そう思うと微笑ましい……のかなあ?


 ぼくは生き生きとした様子で毒を吐く七瀬と、怒られているというのにどこか嬉しそうな小川さんを見ながら首をかしげた。まあ、どっちも満足そうだしいいのか。こういう関係を需要と供給が満たされているというのだろう。ウィンウィンというやつだ。


「それで、あんたわたしに頼みたいことがあるとか言ってたけど、それってなんなわけ?」


 小川さんいじめに満足したのか、七瀬がこちらへと体を向けた。心なしかスッキリとした表情をしている。


「化粧してほしいやつがいるんだよ。ついでに衣装の方もだいぶ直しが必要かもしれないから、それも頼みたい」

「ふーん。わかったわ。……なによその驚いたような顔」

「いやさ、今回は前みたいに「それ私にメリットある?」とか性格の悪いことを言わないで素直に頼みを聞いてくれるんだなと。誰にメイクするのかとか、なんでメイクしてもらうかもまだ話してないのにってイテッ」


 近づいてきた七瀬に肘で脇腹をこづかれた。

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