友達の母親を前にすると、その友達を苗字で呼べなくなる

「雪」


 帰り際、七瀬に呼ばれた小川さんが振り返る。


「なんですか?ぼたんさん」

「その……また、明日」


 七瀬はボソボソっとつぶやいて、胸の隣で手のひらを小さく揺らした。


「はい、また明日!」


 小川さんがパーっ笑顔を浮かべて、七瀬はぷいっと顔をそらした。


 このツンデレめ。


「なあ。今から春風さんの家に行くけど、おまえもくるか?」


 ぼくは七瀬にそう聴く。先に大助が行っているから、もう説得は終わっているかもしれないけど。


「……行かない」


 七瀬は少し考える素振りをして、そう答えた。


「そうか……」


 さっさと二人が仲直りしてくれればと思ったけど、そう上手くもいかないようだ。 


「ただ一個だけ、わたしからもあんたにお願いがあるんだけど……」


 あんなに素直に頼みを聞いてくれるなんておかしいとは思っていたが、やはりなんの条件もなくお願いを聞いてくれる奴ではなかったか。


「……死ねとか裸でグラウンド一周しろとかそういうの以外なら」

「あんたわたしのことなんだと思ってるわけ?」


 億が一くらいの確率でそういうとこを言いそうなやつだと思っているがなにか?


 しかし、いざ蓋を開けてみると、それは七瀬のお願いということを考慮するとそこまで無茶なお願いではなかった。


 噂をすれば大助から着信である。向こうも春風さんの説得に成功したのだろうか。そんなことを考えながらぼくは通話に出た。


「あ、もしもし佐藤くん?その、二手に分かれたところ悪いんだけど、ぼく春風さんの家どこか知らなかったよ……。佐藤くん知ってたりしない……よね?」


 知らねーよ。多分、大助が目の前にいたら殴っていたと思う。というか、これから合流したとしても殴るかもしれない。でも仮にそうなってもぼくは別に悪くない。                    


「絶対知ってるやつが目の前にいるからちょっと待て。あと、一つおまえにも手伝ってほしいことがある」


 ぼくはため息をついて大助にそう告げた。


 七瀬にに住所を聴いて、大助と合流したのち春風さん宅に無事たどり着いた。


 また神楽坂先生にお願いして教えてもらわなければいけないという屈辱的な思いをせずに済んだのは僥倖である。教師にモノをを教えてもらうのが屈辱というのもおかしな話だが、アレは教師もどきなので仕方ない。アレは、「普段はだらしないけど本当は生徒思いの……」なんてギャップもなくただただクズなだけである。


 玄関に入って早速、問題が発生した。なんと玄関をあけて出てきたのは春風さんのお姉様だったのである。きっと春風さんが成長したらこんな風になるんだろうなと納得するくらいに似ていたので、姉だろうなとすぐにわかった。


「えっと、ぼくたち渚さんのクラスメイトなんですけど、今渚さん居ますか?」


 春風さんと呼ぶと面倒になるので、下の名前で呼んで、そう尋ねる。


「娘のクラスメイト?今、娘は体調が優れないらしくて部屋で寝ているんだけど、今日はどういった要件で?」


 どうやらお姉様じゃなくてお母様のようだった。一番気まずいやつじゃないか。


「文化祭でやる劇のことで、話し合わなきゃいけないことがあって来たんですけど……」

「でもさっき言ったとおり、体調が悪いみたいなので話すのはちょっと……。熱はないみたいなんだけど風邪だったら移してしまったら申し訳ないし……」


 まずい、これは駄目そうな雰囲気である。しかし、ここではいわかりましたと帰るわけにもいかないのだ。明日も明後日も、春風さんは学校に来ないかもしれない。もしかしたら文化祭が終わるまで来ないかも知れない。。引き伸ばすことに意味なんてない。でも、この人を納得させて春風さんと会う方法が思い浮かばなかった。


「と、とりあえず春風……渚さんに聞いてみてくれませんか!?駄目そうだったらすぎゅに帰りますから!」


 好きな人の母親の前で緊張していたのか。好きな人の未来の姿を幻視していたからか、。さきほどから隣で地蔵のようにしていた大助が声を上ずらせて、噛みながらそう訴えた。


「……わかりました。じゃあ、娘に聞いてみるので少し待っていてくれる?」


 その勢いや切羽詰まった様子が評価されたんかはわからないが、春風さんのお母さんは乗り気には見えないものの、そう言って階段を登っていった。どうやら門前払いはされずに済みそうだ。


 少しして戻ってきた春風さんのお母さんの隣には、春風さん本人がいた。


「体調も良くなってきたし、文化祭についての大事な話だからとりあえず部屋に来てくれる?」


 とりあえず母親という関門は突破できたようだった。

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