当たり前のとこを当たり前にできるのは当たり前じゃないという当たり前の事実
七瀬さんにかけた通話は、3コール着信音がなったのち、ぶつりと切られた。
このクソアマがと思いながらも、「今日のコミケの件について話がある」とメッセージを送ると、すぐに既読表示になる。今度は向こうから通話がかかってきた。
「こんばんはー」
『……なに?』
ぼくの挨拶に対して、スマホからは苛立ちを含んだ声が返ってきた。
きっと通話ごしに、ゴキブリを見つけた時のような顔をしてるのだろう。
「あのさ、七瀬さん今日コミケで寅子のコスプレとかしてたりした?」
と、ぼくは彼女がコスプレしていたと思われる貧乳キャラの名前をあげた。
『さあ?なんの話?別人じゃないの?』
じゃあなんで一回通話ぶっちしたくせにコミケの話題をだしたら通話かけてきたんだよと心の中でツッコむ。未だ逃げおおせると思っている七瀬を観念させるために、ぼくはトドメを刺すことにした。
「でも、その人、七瀬さんとちょうど同じくらい胸がないんだよ」
通話の向こうから、ドタンバタンと周辺をデストロイされる音が鳴り響いた。なんだこれ怖い。
環境破壊音が途絶えたと思ったら、今度は荒げた息の音が聴こえてくる。相当ハッスルしたらしい。
『私、普段は目立たないためにサラシを巻いてるだけで本当は巨乳だから』
結局、七瀬はそう答えた。
「それ、自分で言ってて悲しくならないの?」
『だってホントのことだから』
「おまえ、左の鎖骨の上のところにほくろあるよな」
ぼくがそう追撃すると、しばし息遣いだけの沈黙が流れたのち、深いため息が台風みたいにぼくの耳を襲った。背筋がぞわぞわっとした。
『……胸が無いってなによ。小さいとか、小ぶりとか、色々言い方があるでしょ。無いことは無いわよさすがに』
「それで、結局サラシは巻いてるのか?」
『巻いてないわよ!』
彼女は言い逃れが無理だと悟ったのか、開き直ったように逆ギレしてきた。
『はあ。あんたといい西宮といい。渚も私も、絶対ばれない自信あったのになんでバレんのよ。どう見ても別人でしょ。あんたたち、わたしたちのストーカーかなにかじゃないでしょうね』
どうだろう。その疑い、大助については否定しきれない気がする。あれには間違いなく探偵かストーカーの素質がある。
『ほら、なによその間は!やましいことをしてなきゃ即答できるはずよ』
友達のストーカーとしての潜在能力に思考を巡らせていると、七瀬の怒声がキンキンと耳元で響く。
「まあまあ、ちょっとお願いがあるだけだよ。おまえ、目立ちたくないんだろ?この画像と、「これ七瀬さんなんだって」ってメッセージを添えてクラスメイトへ拡散されたくなかったら、おとなしく僕の言うことを聞いて」
そこまで言ったところで、ぼくの意識はプツンと途絶えた。
頭が割れるように痛い。ということは……。僕は慌てて周りを見渡す。するとやはり、あの裁判所のような空間に戻ってきていた。
「なんでだよ!別に未来のこととか、鬼のこととか、なにも話したりしてないだろうが!」
「おまえが七瀬ぼたんのことを写真を使って脅迫したからだ」
ぼたんって、七瀬の下の名前そんなに可愛らしいのか。獰猛な獣みたいな性格のやつなのに意外である。
「それは、大助と春風さんをくっつけるための協力を得るために仕方なく……」
「そのためなら脅迫が許されると、おまえは本当に思っているのか?」
閻魔ちゃんの呆れたような半目が僕を突き刺す。
「そもそもとしてだな、常識的に考えて罪を償うために過去に戻っているんだぞ?だというのに、罪を償うために新しい罪を犯すことが許されるわけがないだろうが」
「そういう禁止事項を先に教えてもらえてれば……」
「禁止されてなくとも、それが悪いことだとは気づいていたはずだ。だというのに禁止されてなければなにをやってもいいと思っているのなら、おまえは地獄に行って当然の人間ということだな」
ぼくの子供のような言い訳は速攻で潰された。
「たしかに閻魔様の説明不足は否めません。しかし、今回に関しては悪いことをしようとした佐藤さんが悪いと私もいます」
青鬼さんまで……。まったく。ぼくの味方はいないのか。
「ズルをしないという、ただそれだけのことです。当たり前のことじゃないですか」
青鬼さんがなんとなしに放ったその言葉は、ぼくの胸にぐさりと刺さった。
だって、当たり前のことが当たり前に出来なかったから、僕は今地獄に行きかけているのだから。
「……人は、そう簡単に変われやしないんですよ」
気づけば、そんなセリフが口をついていた。それは自分でもわかるほど清々しいまでに負け犬の言い訳だった。
そう。ぼくはいままでの人生ずっと負け犬で、それは過去に戻ったって変わりはしないのだ。
「たしかに、簡単に変われるのなら地獄行きになる人間もすこしは減っているだろうな」
「ただ……」と閻魔ちゃんが続ける
「変わろうとする努力をしようともしないのは間違っているだろう」
閻魔ちゃんはいままで見せたことのない、真剣な面持ちでぼくを睨んだ。
なにか言い返してやろうと頭を巡らせても、なにも言葉が浮かんでこない。彼女が言っていることが正論だとぼくの頭は勝手に納得してしまっていた。しばらく見つめ合って、ぼくはため息をつく。
いつだってぼくは、なにもしてこなかった。なにもせずにただ吠えるだけの負け犬だった。でもそこから変われるかどうかは、変わろうとしなければわからないのかもしれない。
「……わかったよ。ズルをしないで、もうちょっとだけやってみるさ」
「そうか。じゃあがんばってこい」
いつのまにか閻魔ちゃんはいつもの軽い口調に戻っていて、青鬼さんがまた後でと手を振る。そして、小槌が振りかぶられた。
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