すべての元凶はおまえかよ

 ……ちょっと待て。待て待て待て。ふざけるな。もっと前に戻せよ。ここに戻すのは、あまりにも性格が悪すぎやしないか。

 僕は視界がチカチカとする中、このタイミングへ戻した閻魔ちゃんへと悪態をつく。今回戻されたのは、小川さんが泣き崩れて謝る数秒前だった。つまり、責め立てられてしまった後だ。これじゃあ未然に防ぐことができないじゃないか!


 慣れてきてもなお辛い頭痛を無視して、ぼくは必死に思考を巡らせる。


 二人の間に割って入って事情を話す。多分それが一番手取り早いのだ。でも、僕はどうにも躊躇ってしまう。


 小川さんは、ランドール様のように、かっこよく振る舞えるよう頑張ってきた。臆病な自分を変えるために。


 でも今林さんを止めるためにすべての事情を話せば、小川さんのしてきた努力が無駄になってしまうような気がしたのだ。「変われると思いますか?」と、震える声で七瀬に尋ねた時の彼女の顔が、脳裏をよぎる。


 くそっ。


「こんなとき、ランドール様ならどうする!?」


 結局、ぼくはただそう叫んだ。


 でも、彼女にはこれだけで伝わるはずだ。


 小川さんが目を見開いてこちらを見ていたが、幸いにも他のクラスメイトたちの視線もこちらに向いていたので、クラスのみんなからしたら小川さんらしくないその様は見られずに済んだようだ。


 彼女は目を閉じて、胸に手を当てた。そしてふぅーっと息を吐くとともに目を開く。すると、彼女の纏っていた雰囲気がそれまでとガラリと変わった。


 とりあえず今の一言で、彼女に一息つかせることはできたらしい。


 あとは、彼女次第だ。でも不思議と不安はなかった。だって、彼女がしてきた努力を僕は知っているから。


 クラスメイトを相手に仮定した会話練習をどれだけしてきたと思ってるんだ。彼女が話のネタに受け答え。それらをノートにびっしりまとめて、反復練習してきたのを僕は知っている。落ち着いてさえいればこのくらいの状況、彼女なら余裕で切り抜けられるに決まっている。


『ここには人間は入れないはずなのに、あなたはどうやってここに来たのかしら?』


 小川さんかの口から出てきたのは、劇のセリフだった。クラス中から見られている状況で、すらすらと、それでいて感情のこもった演技で、彼女は自分に割り振られたセリフを全て演じきってしまった。


 それを見て、思わず笑みが溢れた。まるで雛が巣立った様の親鳥のような、嬉しいけど寂しい様な、そんな気分だ。


「もう、合わせはできる。ただちょっと読モの仕事とかで、予定が合わなかっただけで。みんなごめん。でも、読モの仕事無くして、これからはちゃんと練習に参加できるから。だから心配しないでほしい」


 演技ってすげー。ぼくは今の小川さんの振る舞いと、気の弱い素顔とのギャップに感心した。


「……あの、こっちこそごめんなさい。わたし、小川さんの事情なんて何も知らないのに……。小川さん、ちゃんと練習してくれてたのに、勝手にサボってたなんて決めつけたようなこと言っちゃって。その、私、実行委員の方が忙しくてあんましクラスの準備に参加できなくてさ。わたしもクラスのためになにかしなきゃって思って、暴走、しちゃって……」


 林さんはきまりが悪そうに小川さんへ謝った。


 ああ、おとなしい印象のあった林さんがこんなことをしたというのが引っかかっていたけど、そういう経緯があったらしい。


「謝ることないよ。私が練習に参加できなかったのは本当のことなんだしさ。むしろ、何事もなかったかのようになあなあにして練習に参加する方がおかしいし、嫌だったから。だからちゃんと正直に不満をぶつけてくれてありがとう、林さん」


 小川さんは林さんへと笑いかけた。ぼくはランドール様のことは知らない。だから彼女がランドール様に似ているかは判断できない。でも、今の小川さんはめちゃくちゃに格好良いと思った。


「あり、がとうっ小川さん……」


 今度はさっきと打って変わって、林さんの方が今にも泣きそうになりながらそう答えた。


「もしかして、俺が林に仕事押し付けて過ぎてたっていうのも林が暴走した一因だったりする?」


 よくわからないがうまくいったようだと安堵していると、金髪イケメンがそんなことを耳うちしてきてぶん殴りたくなった。


「おまえ、やけに劇の準備手伝ってくれるなあ、忙しい間をぬってありがたいなあって思ってたのに……」


 林さんに仕事押し付けてサボってただけかよ!おまえがすべての元凶だったのか!


「いやホントすまんて」

「謝る相手はぼくじゃないだろ」

「お、おう。お、おーい、林ぃ」


 金髪イケメンは、本当に謝るべき相手の方へと重たい足取りで近づいていく。


「仕事押し付けて俺だけクラスの方に顔だしてごめんな……」

「え?あー、うん。確かにそれはちょっと思ってたけど、これからちゃんとしてくれれば……」

「はい、今後は実行委員の仕事もサボらないようにさせていただきます……」


 どうやら普通に許されたようだった。林さんも平手打ちの2、3発食らわせてやればいいのに。


「小川さん、衣装についてちょっと話があるんだけど、いい?」

「あ、うん」


 七瀬がそう切り出して、小川さんを連れて教室の外へと出ていった。


 そのやり取りにぼくは違和感を覚える。たしか衣装については家で合わせも済ませていると言っていた気がするのだが……。


 ぼくはこっそりとふたりのあとをついていくことにした。

「お、ストーカーか?」

「うるさい大助と一緒にするな」


 茶々を入れてくる閻魔ちゃんに小声で言い返す。


 彼女たちは化学室の前までくると足をとめた。人気がないらしいここに来るのは、大抵が内緒話をしたい時だ。今回もそうなのだろうか。


 七瀬が、くるりと回って後ろの小川さんの方を見た。


「よく泣かなかったじゃない。あんたにしては、よくやったんじゃない?」

「だって、泣いたら化粧が崩れちゃいますから。ですよね!?」


 七瀬のねぎらいに、さっきまでの凛とした振る舞いが嘘のように、小川さんがニコニコと笑みを浮かべた。


「そんだけよ。合わせる練習しなきゃなんだから、早く戻りなさいよ」

「はい!じゃあまたあとで!」


 小川さんは嬉しそうに返事をすると、駆け足で教室へと戻っていった。


「……犬みたいに尻尾ふって、ランドール様っぽさゼロじゃない」


 小川さんの後ろ姿に悪態をつく七瀬の横顔を覗くと、嬉しそうに頬を緩ませていた。


 きっと小川さんほどじゃなくても、誰しもが理想の自分を演じようとしているのだ。好きな人にかっこよく見られたいだとか、可愛く見られたいだとか。でもそういうのって疲れるんだと思う。


 だから素っ裸な自分をさらけ出せるというのはなによりもの信頼の証で、そんな関係は簡単に作れるもんじゃない。


 つまり小川さんにとって七瀬は特別な存在で。そしてそれに対して満更でも無さそうな反応をしている七瀬にとってもまた、小川さんは特別な存在になっているのだろう。


 ぼくはそろーっと七瀬の前に姿を現した。


「なんというか、まるで雛が巣立った様な心境だよな」

「あとをつけてきた上に盗み聞きとかキッモ。それに加えて親気取りとか更にキモい」


 ぼくを辛辣な言葉の刃でばっさりと切り捨てて、七瀬はスタスタと教室に戻っていった。

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