たらればは人を過去に執着させる

 ぼくは学校で、大助になんと声をかければいいかわからず、なにもできずに帰ってきた。学生服のままベットにダイブして、電気もついてない薄暗い天井を見上げる。


「なあ、閻魔ちゃん達」

「なんだ」


 虚空に声をかけると、すぐに鬼たちは姿を現した。


「鬼って未来予知ができるって前言ってただろ。てことはさ、こうなることも閻魔ちゃんたちはわかってたのか?」

「まあ、おまえが西宮大助を春風渚に話しかけに行かせようと発破をかけた時からではあるがな」


 予想どおり、閻魔ちゃんは肯定した。あの時、いつもだったらぼくをボロクソに言うようなタイミングで鬼達が妙に静かだったのは、そのせいだったのかもしれない。


「もし……もし俺が春風さんのところに行くよう大助をけしかけなかったら、どうなってた?」


 恐る恐る、ぼくはそんな意味のないとこを尋ねた。


「未来のことは教えられない。が、もうやり直すこともできないのだ。もしかしたらあったかもしれない可能性くらいは教えてもいいだろう」「閻魔様、それは……」「その場合、春風渚は入院することになっていたな」


 青鬼さんが険しい顔で止めに入るのを無視して、閻魔ちゃんは話を続けた。


「階段から足を踏み外すというのは、西宮大助が声をかけるのと関係なく起こったことだ。むしろ一人で階段から落ちた分庇われることもなく、今回よりもよほど重症になっていたな」

「そうか。それを聞いて、すこしは救われたよ……」


 自分のせいで事態が悪化したわけじゃないとわかってほっとするぼくを、なぜか青鬼さんが泣きそうな顔で見ていた。


「佐藤さん、その……。その、とても言いづらいのですが……今のはすべて閻魔様の作り話です」

「え……?」


 一瞬、青鬼さんがなにを言っているのかがわからなくて、頭が真っ白になった。


「もし……もし佐藤さんが西宮大助さんに発破をかけなければ、春風渚さんが階段から落ちることはありませんでした」

「青鬼さんが言っていることは本当……なのか?」


 ぼくはすがるように閻魔ちゃんに尋ねた。


「……まったく、おまえは本当に優秀なお目付け役だな」


 閻魔ちゃんはぼくの質問には答えてくれなかったけど、深い溜息ののち青鬼さんにそう言い放った。閻魔ちゃんの嘘を指摘した青鬼さんを優秀と評すということは、つまりそういうことなのだろう。


「閻魔様が担当者に虚偽の情報を伝えた場合、真実を伝えるのが私の役目ですので……」


 いつもズバズバと物を言う青鬼さんとは思えないほど、弱々しい震えた声だった。そういえば初めて会った時、そんなことを言っていた気がする。


 春風さんの怪我は事故で誰のせいでもないと思っていた。でもそうじゃなかった。


 春風さんが怪我をしたのも、それが引き金で七瀬と喧嘩してしまったのも、劇が台無しになるかもしれないのも、全部ぼくのせいだった。


「……どれだけ悩んだところで、たらればに意味はないぞ」


 閻魔ちゃんは心を読んだかのように、思考の沼に沈みそうになっていたぼくにそう言った。いや、誰が見てもなにを考えているかわかってしまうくらい、今のぼくはわかりやすい顔をしているのかもしれない。


「でもぼくはやり直しができたんだ。だから今回のことだって……」「人生というのは本来やり直しが利かないもの。ついこの間そう言ったのはおまえだろう?」

「それは……」


 確かに言ったけど、まさかこんなことになるとは思わないじゃないか。


「どうしようもないことはある。今回がまさにそうだ。だがどうしようもないことを引きずって、まだどうにかできる大事なことから目を逸らすほど愚かなことはない。」


 閻魔ちゃんのセリフは、きっと正しいのだろう。でもやり直しというアドバンテージも失ったぼくにこれから一体なにができるというのだろうか。今日大助に声をかけることすらできなかったのは、そんな考えが頭を延々とぐるぐるしていたせいもあった。


「……佐藤さん。これは私の個人的な意見として聞いてください。佐藤さんは愚かかもしれませんが、大事なものがしっかりと見えている人だと、私はそう思っています。ですので変に悩まないでください。もう少し自分に自信を持ってください。佐藤さんは、やり直しなんて無くても、自分が思っているよりもずっと魅力的な人間ですよ。もう……私なんかにこんなことを言われても不快なだけかもしれませんが……」


 そう言って青鬼さんは目を伏せた。


「そんなこと……ないですよ」


 その否定は思わず口からこぼれたものだったけど、本心だった。


「確かに閻魔ちゃんの嘘を信じたままでいられれば、ぼくの気持ちは楽だったかもしれない。でもそれは、自分のしでかした罪を見なかったことにしてるだけなんですよ。そんなのはきっと、間違ってる。だから真実を教えてくれたことに、ぼくは感謝しなきゃいけないんです。青鬼さん、ぼくに自分の罪と向き合う機会をくれてありがとうございました」


 ぼくはベットから体を起こして、青鬼さんに頭を下げた。


「いえっ。私は規則を守っただけなんです。佐藤さんのためになにもできないのに、お礼なんて、言わないでください」


 青鬼さんは涙ぐんでいた。きっと、残酷な真実を本人に告げるというのは、ぼくが想像できないくらい辛かったのだろう。それがわかるから余計に、青鬼さんを責めるような気持ちにはなれなかった。


「閻魔ちゃんも、俺を傷つけないようにって嘘ついてくれたっていうのはわかるからさ。ありがとな。だから、あんま気にすんなよ」「ふん、気にしてなんかないわっ。それにおまえからの感謝なんて、ピーマンよりいらないんだからな!」「いやピーマンは食えよ」


 ぼくより倍以上年上らしいのに、そんな子どもみたいな好き嫌いするなよ。そう指摘すると、閻魔ちゃんはむすっとした顔をしてそっぽ向いた。


「閻魔様は素直じゃないですから。佐藤さんの言葉、ちゃんと嬉しかったと思いますよ」

「そうですか……」


 そんな青鬼さんとのやりとりが、閻魔ちゃんにも聞こえてるはずだけど、彼女は知らんぷりを決め込んでいた。


「閻魔ちゃん」


 ぼくはそんな閻魔ちゃんに呼びかけるも、やっぱり反応はなかった。けど、ぼくはかまわず語りかけ続けた。


「ぼくに今なにができて、現状をどうにかできるかはわからないけどさ……とりあえず、なにかはやってみるよ」

「……せいぜいみっともなくあがくんだな」

「その……頑張ってください」


 閻魔ちゃんは最後までこっちを見ないまま、そう言い残してパッと姿を消した。青鬼さんも、それに続くように姿を消す。


 ぼくの軽率な行動で状況が悪化してしまうかもしれない。春風さんが階段から落ちて怪我をしてしまったことを引きずって、そんなことばかり考えていた。


 でも考えてみれば、今はすでに最悪な状況だ。もう盛大に失敗したというのに、一体これ以上なにを恐れることがあるというのだろうかと、今はそう思うのだ。


 アドバイザーというのは、自称ではなかったらしい。背中を押してくれた鬼達のことを思い浮かべて。ぼくはそう思った。

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