恋のキューピット引退

 そんなこんなで七瀬さんに寝首をかかれることに怯えながらも、土日を挟んでついに大助の書いた台本の審議をする日がやってきた。しかし……


「大助君休みだけど、どーすんの?」「間に合わなくて逃げたんじゃね?」「あーあ、期待してたのにさあ」「結局口だけだったな」「小説家志望(自称)ってやつだろ」


 ヒソヒソと大助ついて話しているのが耳に入る。そう。大助は今日、体調不良で学校を休んでいた。


「……たとえ矛先が自分に向いてないものでも、悪意ある言葉というのは、聞いていてあまりいい気持ちはしませんね」


 青鬼さんがそうポツリとつぶやいた。


「佐藤さんも。気持ちはわかりますが机がガタガタと鳴って気が散るので、それやめてくれませんか?


 青鬼さんにそう言われてようやく、ぼくは自分が貧乏ゆすりをしていたことに気がついた。


 どうやら、知らずのうちに相当イライラしていたらしい。


「西宮大助はお得意の腰抜けが発動したようだな」


 閻魔ちゃんが呆れたようにため息をつく。


 ……まあ、そういうことなのだろう。病気にしてはタイミングが良すぎる。


 ぼくがイライラしているのは、ひよった大助に対してだろうか。それとも、なんの罪悪感もなく大助に心無い言葉を吐き捨てるクラスメイトに対してだろうか。


「ねえねえ、佐藤くん。今日休みらしいけど、西宮くん大丈夫そう?」


 そんなことを考えているぼくに話しかけてきたのは、なんと大助の運命の相手、春風さんだった。


「わかんないけど、なぜぼくにそれを?」

「えっと、最近西宮くんとすごく仲良さそうだったから。友達なんでしょ?」

「ああ、なるほど」


 春風さんのその言葉で、ぼくは自分が何に対してイライラしていたのかがわかった。そうか、別に、ぼくが苛ついていたのはクラスメイトの言葉や、大助が休んだことに対してでもなくて……。


「そっかあ。佐藤くんもわかんないのかぁ。わたし、西宮くんの書くお話、読んでみたかったなあ」


 春風さんはそう言って、眉を八の字に曲げた。少なくともぼくの目には、彼女はお世辞などではなく、本当に残念がっているように映った。

 そういえば先ほど、彼女はぼくのことを「最近西宮くんとすごく仲良さそう」と評した。つまり、彼女は少なくとも最近、大助のことを見ていたということにならないだろうか。

 ……なんだ、さすが運命の相手だ。結構脈があるのかもしれない。


「……じゃあさ。もし読んだら、感想言ってあげてくれよ。あいつ、人に読んでもらって感想聞くの好きらしいからさ」

 ぼくがそうお願いすると、春風さんは「でも西宮くん、今日は休むって連絡あったって先生言ってたし……」と困惑していた。


「大丈夫。あいつ絶対に来るから」

「え?そうなの」

「そうそう」

「へー、よかったあ」


 春風さんが手を合わせてにっこりと笑うと同時に、一限目の授業開始のチャイムが鳴り響いた。


「春風さん、チャイムなったよ」

「あ、うん。楽しみにしてるね!」


 春風さんは小さく手を振って、自分の席へと戻っていった。


「学級活動は五限か……」


 時間は十分すぎるほどにあった。そして幸いなことに、一限目の現代文の担当は早弁しようがゲームしようが注意しない、授業がゆるゆるなことで知られている我らが担任、神楽坂先生だ。


「せんせー、トイレ行ってきます」

「はいよー。でもできれば休み時間に済ませろー?まだ授業開始のチャイムが鳴ったばっかだぞー」


 申し出があっさりと許可されたので、ぼくは教室を出て、ついでに学校も出た。そしてそのまま大助の家へと向かう。バテない程度に走れば、十五分もあればつく。大助が高校を、家に近いってだけの理由で選ぶやつで助かった。


「すいませーん。大助くーん。いますかー」


 息を整えつつ、チャイムを鳴らす。そして、大きな声で名前を呼んだ。


 なにやらドタドタという音が扉の向こうから近づいてきて、玄関が開く。そこから私服姿の大助が出てきた。


「随分元気そうじゃん」

「き、君学校は……」

「サボった」

「いやサボったって……」

「少なくとも仮病を使ってるやつに文句言われる筋合いはないな」


 ぼくがそう言い返すと大助は口を結んでうつむいた。


「なあ、なんで学校来なかったんだよ。学校で噂されてるぞ、話ができてないから逃げたんだって。腰抜け扱いされて悔しくないのか?」


 大助は腰抜け扱いされて豹変するということもなく、ただただ落ち込んだ様子で視線を床へと下げた。


「話は、できてるんだ。だけどこれをクラスのみんなに見せるって思ったら、急に怖くなって……」

「あのな。ぼくは今めちゃくちゃイライラしてる。その理由がおまえにわかるか」

「それは……ぼくが仮病をつかって学校を休んだから」

「違う」


 そうじゃなかったのだ。


「ぼくは、おまえがぼくになにも言わずに休んだことがなによりも腹が立ったんだ。なにかあったなら、なんで相談してくれなかったんだよ」

「それは……君がぼくの恋のキューピットってやつだから?」


 大助は皮肉っぽくそう言った。


「違う。おまえその言い方は嫌だって言ってただろ?だから、変えることにしたんだ。ぼくが相談してほしかったのは、ぼくがお前の友達だからだ」

「とも、だち……?」


 ぼくの言葉に目を見開いた大助は、どこかふわふわとした様子で噛みしめるようにそうつぶやいた。


「友達なんてできたの、生まれてはじめてだ」


 なんて、悲しいことを言い始める始末である。ぼくも、小学校以来だと、おまえが初めての友達だったよ。


「その友達の華麗なるサポートでもうすぐ生まれて初めての彼女もできるから期待しとけ」

「結局、そこは変わらないんだね」


 大助は「はは」と引きつった笑みを浮かべた。


「……ねえ、佐藤くん。小説のことで相談があるんだけど……聞いてくれる?」

「タイミングが遅すぎるけど、聞かせてくれ」


 顔をひきしめて言う大助に、ぼくはそう促した。


「ぼく、小説家になって自分の作品が映像化するのが夢なんだ」


 知ってるさ。ぼくは心の中で相槌をうった。


「でもさ、ぼくはその夢をバカにされるんじゃないか、恥ずかしいやつって思われるんじゃないかって、誰にも言わないようにずっと隠してきた」


 そう。大助は三十歳になるまでずっと、その夢を誰にも言うことなく生きるのだ。


「春風さんはさ、小さい頃から自分の女優になりたいって夢を堂々と周りに宣言していて……自分の夢に誇りを持ってるんだ。自分の夢を、まるで悪い事のように隠してるぼくとは全然違くてさ。彼女は自分の夢に、一直線なんだ。

 ぼくは、春風さんのそんな姿に憧れた。今回、ぼくの物語をクラスのみんなが採用してくれれば、ぼくだって変われる。春風さんみたいに、自分の夢に胸を張れる。そう思ったのに……」

「土壇場になって怖くなったか?」


 大助は無言でうなずいた。


 そうだった。こいつは自分の作品を誰かに読まれるという状況が、それが例えぼく一人だったとしてもハラハラと落ち着きをなくしていたのだ。そんなやつが、クラス全員に読まれる状況に平気でいられるわけがない。


「結局さ、ぼくの小説家になりたいって思いはその程度だったってことだよ。所詮は他人には恥ずかしくて言えない、見せられないっていう、その程度のものだったんだ」


 大助は諦観したような笑みを浮かべた。その様に、ぼくはなんだか無性に腹が立った。


「その程度なんて、そんな言い方するなよ……。おまえ書いてるじゃん。ずっと、休み時間もちまちまちまちまスマホをいじってさ」

「べつに、それは他にすることがなかったってだけで……」


 大助が、そんなのたいしたことじゃないとでも言いたげで、そのことにぼくはまた腹が立つ。


「ぼくは良い大学に入って、良い会社に入って、金持ちになって優雅に暮らしたかった。でも、家じゃあゲームやら漫画やらテレビでダラダラとしてさ。あと何時間したら、明日になったら。そうやって、夢を叶えるための努力なんてなにもやってこなかった」


 今日は体がだるいだとか、バイトで疲れてるからとか、時間がないからだとか。言い訳は次から次へと浮かんできて。結局ぼくは死ぬまでそうして夢に向かってなにかをしたことなんてなかったのだ。けどこいつはずっと小説を書いてきたんだ。こいつの部屋のノートの山と、そのスマホの中に保存された膨大な量の小説を見ればそんなのすぐにわかる。そしてそれは、決して誰にだってできることじゃない。


「頑張らない言い訳も、つい目移りしてしまう誘惑も、そこら中に転がってるんだ。でもお前は毎日毎日書き続けたんだろ?それってすごいことなんだよ。確かに春風さんとは違うかもしれないけどさ。おまえはぼくから見たら、春風さんと同じくらい夢に一直線で、すげえやつなんだよ。おまえの今までしてきた努力を、おまえ自身がこの程度だなんて蔑むなよ」


 じゃないと、ぼくが惨めでしょうがないじゃないか。


「佐藤くん……。でも……でもっ。努力しても、結果が出るとは限らないよ。ぼくはみんなの前で自分の作品が評価されて、自分のレベルを知るのが怖いんだ……。おまえは所詮この程度なんだって。身の程を知ってしまうのが、現実を知るのが怖くてたまらないんだ」


 そう訴える大助は、涙声になっていた。


「……よし!ならこう考えよう!おまえは今まで一人で黙々とレベルアップしてきた。だから今日はさ、自分がどれくらい強くなったのかの試し切りに行くんだ。自分が今どれくらい低レベルなのか知るのを怖がるんじゃなくてさ、どれくらいレベルが上がってるんだろうって楽しみにしていけばいい」


 ぼくがそう提案すると、大助は「……クラスメイトを試し切りの対象にするのはどうかと思うけど……」と苦笑いした。

「例えだ例え。それにさ。ぼくはおまえの小説、めちゃくちゃおもしろいって感じたんだぞ」


 友達という贔屓目なしに見ても、こいつの書いた作品はどれも面白かった。


「そう……だね。どれくらいレベルアップしたのか、確かめてみるのも、悪くないのかもね」


 大助はそうぎこちなく笑った。


「思ったよりレベルが低かったら、またレベル上げすりゃあいいんだ。ただそれだけの話だ。なにもビビることはないさ」

「そしたら、また読んでくれる?」

「おまえが嫌と言っても読むね」


 不安そうに聞いてきた大助に、ぼくがそう答える。大助は、「そうだよね。きみはそういうやつだ」と呆れたように言い返した。その通りだが、なにか文句でもあんのか。


「おまえの作った話、クラスメイトに見せに行くんだろ?早く制服に着替えろよ。印刷して配って、学級活動までにみんなに読んでもらわなきゃなんだからさ」

「うん!」


 大助は今日初めて、普段のような間抜け面で笑った。やっぱりこいつにはこっちの笑い方の方がよく似合ってるなと、ぼくはそう思った。

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