隠れオタクを見つける方法は絵踏み

 小川さん家の玄関先、ブーッとインターホンが鳴り響く。すでに連絡はしてあるので、空振りになる心配はない。


 ぼくたちは小川さんが玄関を開けてくれるのを待つ。


 そう、「ぼくたち」だ。やはり七瀬もついてきた。


「話ってなに?」


 そこには家だというのに制服を着た小川さんがいた。そもそも今は夏休みなわけだが……なぜ制服なのだ。なにか理由でもあるのだろうか。


「これ、小川さんのだよね」


 ぼくは彼女に例の同人誌を見せつける。


「……は?全然違うけど」


 彼女は口では否定したけれど、同人誌を見るや否や、不安そうに腕を擦り、更に答えるまでに何秒かの間があった。間違いない、これはクロだ。そもそも、小川さんが無くしたであろう同人誌を届けに行くと連絡しているのだ。もし勘違いならその時すでに訪問を断っているだろう。


「そう思うなら、この本を踏んでみなさい」


 本当にこの本の落とし主が小川さんなのかぼくを疑っていたはずの七瀬だが、さすがに今の小川さんの反応に怪しいものを感じたらしい。丁寧に玄関へとハンカチを敷いて、持ってきた本をその上においた。


 ハンカチを敷くところに、うっすらとファンとしての配慮が感じられた。


「そ、そんなの別に、普通にできるけど」


 小川さんの腕を擦る速度が加速した。


 そして唐突に始まる絵踏みである。オタクというのは隠さなければならない宗教かなにかなのだろうか。


 小川さんは白いソックスで覆われた足を上げた。そして、本へと下ろしていくが、途中でぴたりと動きが止まる。


「やっぱり、私にはできないっ…!」


 そして悲痛な声を絞り出して、今にも本を踏みそうになっていた足を引っ込めた。


 つまり、僕の目利きは正しかったということが証明されたわけである。ぼくは「ほらな?やっぱり小川さんだっただろ?」と、ドヤ顔で七瀬の方をみた。



「うわ、本当にこれ落としたの小川だったわけ?あんたの目きっも」


 七瀬はうへーっと吐き気を催したような仕草で僕から距離をとった。なぜだ。


「……バレてしまっては仕方ないです。お二人に、全部お話しします。ついてきてくれますか?」


 崩れ落ちていた小川さんが立ち上がる。そして普段のイメージとはかけ離れた丁寧な口調で、僕らを家の中へと招き入れた。


 彼女の部屋へ入るなり、ぼくはあんぐりと口をあけていた。なぜなら彼女の部屋は大助の部屋といい勝負ができる、いわゆるオタク部屋だったから。壁には拾った同人誌の表紙になっていたキャラがいて、パソコンの画面も同じキャラ。部屋に置かれた電子ピアノの上にも大量のグッズが鎮座していた。                          。


「あの、まずお礼を言わせてください。落としてしまった同人誌を届けてくれてありがとうございます。それでその……わたし、ただの二次元オタクなんです」


 そりゃあ、この部屋を見れば一目瞭然だった。


「じゃあ、普段のアレはいったい……?」


 もっとサバサバした印象だったんだけど、目の前の小川さんは随分とお淑やかである。


「その、そういうキャラを演じてるといいますか」

「そりゃまたなんでそんな面倒なことを」

「色々理由がありましてですね。あの、これを見てください」


 小川さんが差し出してきた写真には、ふくよかな体型の女の子が写っていた。


「なによ、二足歩行してる豚の写真なんて見せてきて」

「そうですそこに写ってるのは薄汚い豚です……」


 その写真に対して率直すぎる言い方をした七瀬に、なぜか小川さんは虚ろな目になった。


「えっと。これがなにか?」

「これ、中学生時代の私なんです」

「へー……え!?」


 思わず小川さんと写真に写る女の子を交互に見比べた。確かに、言われてみれば面影がなくも……いやわからん。


「そんな私なんですけど、中三のとき、ランドール様と出会ったんです。いつもクールなランドール様が、すごくかっこいいなって思って……」

「それとこの劇的なビフォー・アフターにどう関係が……」

「普段は鏡は見ないようにしてるんですけど、ある日のお風呂上がりにですね、自分の体と顔が鏡に写っているのをうっかり見てしまったんです。もうぶよんぶよんな脂肪の塊がそこに居てですね。そして恐る恐る体重計にのって気づくんです。腹の肉で結果が確認できないことに……」


 小川さんは当時の光景を思い出しているのか、目から光が失われていた。絶望感がえぐそうな光景だなあそれ。


「こんな醜い私にファンでいる資格、あるのかなって思って、ダイエットしたんです。それで、高校ではランドール様みたいにクールでかっこいい人になろうって思ったんです」

「じゃあ、今の言葉遣いが普段と全然違うのは……」

「はい。こっちのほうが素なんです……。でもランドール様みたいに振る舞おうとしても、いざ人前だと緊張で全然喋れなくなってしまって」


 いや。口数が少ないから、むしろそれがクールキャラみたいにはなってたけど。まさか緊張してただけだったとは思わなかった。


「それにランドール様っぽいことを言おうと頑張って、やった!喋れた!って思っても、言った後にあれ?めっちゃ静かになっちゃったって焦ることが多くて。この前の、文化祭の出し物決めの時も、それで周りがシーンとなってしまって……」


 小川さんは、そう言ってしょんぼりと視線を落とした。


 ああ、あの、「つまんなかったらどうすんの?」っていう発言が、まさか大助の予想通り、本人に全く悪意がなかったとは夢にも思わなかったな。


 たしかに悪気はなかったのかもしれないが、小川さんはちょっと空気が読めない人なのかもしれない。


「やっぱあれ空気やばかったですよね……?」

「まあ、正直金髪イケメンがカバーしてなかったらやばかったと思う」

「あ、やっぱりそうですよね……。島田さんのフォローは本当に神の救いでした……」


 小川さんは更に視線を落とした。


「でもあんた、読モとかやってるんじゃないの?そんな性格でできるわけ?」


 そういえばそうだ。七瀬の言う通り、写真に撮られるだなんて目の前の気の弱そうな女の子にはとても無理そうに思えた。


「その、買い物してたらなぜかスカウトされてしまって。推し活でお金も心もとなかったし、なにより昔から頼まれたら断れない意志の弱い人間なんです私は……」


 小川さんは自分で言っておきながら、またひとりでにずーんと落ち込んでしまった。なんというか、めんどくさいなーって感じだ。無駄に自分にネガティブで自信がないところに、大助と同じ匂いを感じた。


「そんなとこよりさ、小川さん、なんで練習にこないの?」

「そうですよね。わたしの過去話なんてそんなことですよね……ははは」


 早速めんどくさい反応だった。七瀬がどうしてくれるんだとこっちを睨む。


「推薦された時、劇なんて私にはとてもじゃないけど無理だ。だからお断りしようと、そう思ってたんですけど。私、ランドール様の真似してると余計緊張して喋れなくなってしまうんですよね。それであのときは緊張しすぎてどんな反応をしたかも覚えて無くて。気づいたときにはなし崩し的に役をやることになっていて……」


 もう好きなキャラの真似なんてやめてしまえ。害しか出てないじゃないか。


「やっぱり無理だって言わなきゃいけないのに、全然言えなくて……。私にお芝居なんて、できるはずないから。いけないことだって自分ではわかってるはずなのに、結局ずるずると今日まで……」


「本当にすいませんでした……」と小川さんが土下座をする。それを見ると、なんだか心が痛くなってくる。


「頭上げなよ……。ああいうのって一回休むと一気に行きづらくなる気持ちはわかるしさ……」


 ぼくはなんとか、土下座したまま繰り返し謝り続ける小川さんの頭をあげさせることに成功した。


「ふん。さっきから聞いてりゃ、なにがランドール様の真似、ランドール様に近づきたいよ。ランドール様だったらそんなとき、絶対に逃げたりしないでしょ」


 七瀬にしてはやけに静かだと思っていたが、どうやら嵐の前の静けさだったらしい。そんな辛辣な言葉を小川さんにぶつけた。


「おい七瀬、ちょっと落ち着いて」「ちょっと部外者は黙ってなさい」

「ええ……」


 言い過ぎだぞと肩を叩こうとした手を、パシっと払われた。


 あのー、今しがた部外者と言われましたこのわたくし、今回小川さんが練習をサボりまくっている劇のですね、一応リーダーやらせてもらってるんですが……。


「ランドール様の真似をしてたら気づいたらオッケーしてたって、断れなかった理由までランドール様のせいにするつもり? いくら痩せてもそんなあんたにランドール様のファンを名乗る資格ないわね」


 小川さんは七瀬の辛辣な言葉に言い返すわけでもなく、ただ唇をくいしばってぽろぽろと涙をこぼした。あーあ、泣かしちゃったよ。


「何よ人のことを責めるような目で見て」


 ぼくが無言で七瀬を見つめると、七瀬は負けじと睨み返してきた。


「いや、小川さん泣いちゃったなーと思って」

「だってまさか泣くとはおもわないじゃない!」


 七瀬は泣いている小川さんに配慮してか、声を抑えてぼくに言い返す。


「いやあ、ぼくが小川さんの立場だったら泣くね」

「なによ。私は思ったことを正直に言っただけじゃない。わたしはこういう泣けばいいって思ってるやつが一番キライなのよッ」

「はいはいそうですか」


 例え七瀬の言っていることが正論だったとても、泣くもんは泣くだろ。だっておまえ怖いもん。


 七瀬は、苦虫を噛み潰したような顔で、泣いている小川さんを見た。手を差し出そうとしたり、口をパクパクと動かしてなにか声をかけようとチャレンジしている。どうやら、泣かせてしまったことにそれなりの責任は感じているようで、彼女なりにどうにかしようと思案しているらしい。


「ご、ごめんなさい。七瀬さんの言うこと、その通りなのに。わたしに、泣く資格なんてないのに。ごめ、ごめんなさい」


 そう言って、小川さんはまた泣きながら七瀬に向かって謝った。


「あーもう。あんたほんっっとにどうしようもないやつね!明日は予定空いてるの!?」


 いきなり大声をだした七瀬に小川さんはまるで小動物のようにびくっと肩をはねさせる。

 そして、怯えたようにプルプルと震えながら七瀬を上目遣いで見た。


「あし、明日は空いてますけど……」

「グッ。なんで怯えてんのよっ。まるでわたしが悪いことしてるみたいじゃないの!」


 その通りなのだが、どうやら当の本人には自覚がないらいし。


「ご、ごめんなさいっ」


 小川さんがさらに体を縮こめさせて、ペコペコと頭を下げた。


 少なくとも、この状況をはたから見てると、怯えるいたいけな少女と、それをいじめる性格の悪い悪役以外の何物でもない。


「あんた……わざとやってんじゃないでしょうねえ」

「な、なにをですか?」


 チワワみたいに目をうるうるさせながらプルプル震える小川さんを見て、七瀬はため息をついた。


「もういいわよ。いちいち真面目に反応するわたしが馬鹿だったわ。とにかくあんた、明日私の家に来なさい」

「え?なんで」「いいから来なさい」「はい……」


 目の前で脅迫が行われていた。


「小川さん。明日、もしあの凶暴なゴリラにいじめられそうになったらちゃんと言うんだよ」

「なに一人だけ逃げようとしてるわけ?あんたも来るに決まってるでしょ」


 七瀬は小川さんに忠告するぼくをキッと睨んでそう言った。


「逃げるというか、ぼくも要るのか?」

「役者が困ってるのよ?あんたそれでも今回の文化祭のクラスリーダーなわけ?」


 七瀬は「「信じられない!」とでも言うように、ぼくに責めるような目を向けた。


 さっき部外者とか言ったくせに!と都合の良いことを言う七瀬に怒鳴り散らしたくてたまらなかったが、ふと冷静になってみる。小川さんのことを大助たちが気にしているの確かだった。本人が目の前にいるから言わないが、クラスでの小川さんに対する陰口も少しずつ増えて、内容もエスカレートしてきている。場の雰囲気というのは大事だ。クラスの雰囲気がギスギスすると、それこそ2人の距離が縮まるのが遅れる可能性も否定できない。


 だから、ぼくは文句を言いたい気持ちを抑え込んで、「わかった、ぼくも行くよ」と口にした。ぼくは精神年齢がこいつらの一回りも大人だからな!この程度で自分を制御できなくなったりしないのである。


「ああ、結局来るわけ?ま、わたしはどっちでもいいけどね」


 なので目の前のクソアマを殴りたい欲求も、なんとか抑え込むことに成功した。


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