三章 あの街へのさようなら

三月、水の都で。

 彼女はついてくるといってきかなかった。仕方ないから一緒に電車に乗って、鈍行片道三時間、僕がこの春から住む街にやってきた。

 というのも、明日が仮入学の日なのだ。もちろん彼女と一緒にそれに行くわけじゃない。僕がおばあちゃんちに前泊するということを話したら、それじゃあついでに私も行ってみたいといって一緒に街の散策をすることになった。彼女は日帰り、夜に新幹線で帰る予定だ。

 実質的には、初めての県外デートだった。卒業してからも何度も会って、遊びに行っていたけどそのどれもが自転車の範囲内だった。だから初めての県外デートというよりは、初めての本格的なお出かけデートと言ったほうがより正確かもしれない。

 最初、ついていきたいといわれたときは正直言って、迷惑とまではいわないけど、予定をいろいろ変えなきゃいけなくなることが面倒だなぁと思っていた。しかしいざ予定が決まると、はりきっていたのは僕のほうだと思う。年に数回、おばあちゃんに会いに行くためだけに訪れる街だから、なにがあるかとかおいしいお店はどこかとか全く知らない。全国的に有名な名物はあるけど、それをウリにしている店が多すぎて、結局どの店に行けばいいかよくわからなかった。だから必死にネット検索したのだ。

 駅の正面には五十階を優に超えているだろうマンションが建っている。こんなに高い建物は、家族旅行で東京に行ったときに見て以来だ。下は路面電車が止まっている。たしか、乗るときと降りるときにICカードをタッチするシステムだったはずだ。しかしそんなもの持っていない僕たちは整理券を取って、降りるときに現金で支払う必要がある。

 と思ったのだが、乗るときに整理券が出てこなかった。この間買ってもらったばかりの携帯で調べると、市内均一運賃といって、特定の区間内ではどれだけ乗っても運賃が変わらないらしい。今乗っている一番線はどの電停もその区間内に入っているので、そもそも整理券を取る必要がない、だから出てこなかったのだ。ちなみにその均一運賃は、大人百六十円だった。

 彼女は路面電車に乗るのが初めてだったようで、目的の電停に着くまでずっと目を輝かせていた。きれいな目だと思った。

 三十分くらい電車に揺られて着いたのは御幸橋。そのちかくにある『あまくちや』という、店外までソースのにおいが漂う店に入った。

 ネットによる調査の結果、僕の中で一番よさそうだと思ったのがこの店だった。写真で見ると最近リノベーションされたようで、口コミも高評価のものが多かった。特に心惹かれたのはやはり内装がおしゃれだったところだ。デートとなればできるだけ雰囲気がいいところのほうがいい。間違ってもおじさんたちがビール片手に飲み食いするような雑多で騒がしい店はダメだ。そういう観点で探していたから、この店しかないと思った。

 彼女もたぶん、満足してくれたと思う。お好み焼きを箸で一口サイズに切って口に運ぶと、こっちを見ながら、飲み込んで、「おいしい!」と一言。「箸じゃのうてヘラでそのまま食うのが地元流じゃけえの」という店主のアドバイスに従って、今度はザクザクと大きめのサイズに切り分け、口に運ぶ。口元にソースが付いている。さすがに大口だったみたいで、飲み込むまでにさっきより時間がかかっている。そして開口一番再び「おいしい!」。

 勝手なイメージだが、僕の中で彼女は清楚なかんじのイメージだった。だからそれがいい意味で裏切られた。彼女の新しい側面を知れてよかったなと思う。彼女は再び、上唇にソースをつけたままで、ヘラを使って大口でほおばる。僕はさっきからそれを眺めてばかりで、手がとまってばかり。学生は増量無料ということで一・五倍にしてもらった僕のお好み焼きは、一向に減る気配がない。

 三月も中盤で、暖かくなってきていた。長袖のTシャツ一枚でちょうどいいくらいだ。

『あまくちや』を出て、また電車に乗って、こんどは本通で降りる。電停は大きい交差点の真ん中にあった。人がたくさん歩いている。

 ──すごいねぇ。

 彼女がつぶやく。

 ──すごいねぇ。

 反復する。本当にすごいと思った。都会の景色は見慣れないものだった。交差点を見下すようにビルにくっついている大きなテレビも、歩行者のためだけに青になる信号機も、僕たちの眼には新鮮だった。

 そのまま商店街を西に進む。橋にさしかかる。その端に、西洋風のアイスクリーム屋がある。

 ──暑いねぇ。

 そういわれるとそんな気になる。

 ──暑いね。食べる?

 店の前に立つ看板を見ると、想定の二倍くらいの値段だった。これが観光地価格ということか。

 ──え、結構するね。じゃあ勿体ないから、二人で分けよう?

 味は彼女が決めた。店員さんが手際よくコーンに掬い取る。彼曰く、この出店の横にあるイタリア料理店が本業で、観光客が増える時期の昼間だけ、こうして手作りのジェラートを売っているのだという。どこかで仕入れたものではない。個人で作るから、どうしても材料費や手間が嵩む。それ以上に、本場で修行してきた経験があるから、味にも自信がある。

 観光地だからというのも一つだが、高価格である本当の理由はこれだったようだ。確かに、本格的な味をこの値段でと考えたらむしろ安いかもしれない。

 店の前の歩道をはさんで向かいにベンチが用意してあった。目の前は川が流れている。並んで座ってジェラートを頂く。どぎまぎしながら彼女からコーンを受け取る。恐る恐るスプーンで一口掬う。あっさりとしていて優しい口当たりだ。風が僕のシャツの中を通り抜けて川下へ流れていく。心地いい昼下がりだ。

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