卒業

 砂場の隣にポツンとある木製のベンチに腰掛けた。続いて藤村さんも、隣に座る。僕はさっそく本を取り出して見せた。

 ──これ。昔読んで、面白かった思い出があるから。

 ──『変身』…?ああこれ、結構有名だよね。教科書に名前だけ出てきてたよ。

 ──え、そうだったん。マジか。俺、知らんかったわ。

 本当に知らなかった。「海外の人の本持っていったらかっこいいかな」とか思っていた自分を悔やむ。まさか教科書に出てくるほどに著名だったとは思わなかった。もしかしたら世界的名作とよばれている本なのかもしれない。

 ──でもね、名前だけ知ってるってだけで、読んだことはなかったの。ありがとう。

 ──…うん、全然。

 彼女は手に取って、ぱらぱらとページをめくって見ている。彼女と話したいと思ったけど、肝心の話す内容がみつからない。それでも何かないかと頭をフル回転させる。でもやっぱり何も、発展性のある話題は浮かばなかった。浮かぶのは、「今日のごはんおいしかったね」とか、「明日卒業やね」とかばかり。どちらも相手が「うん」と返してしまえばそこで終わってしまう。

 そんな体たらくのくせに、僕は藤村さんと一緒にいたかった。今は何も話せないかもしれない。今は。じゃあ将来は?将来、というより一か月も経たないうちに僕は引っ越しだ。藤村さん含め、中学までの友達とはそれでおしまいだ。じゃあ、将来もなにもない。

 じゃあ付き合えば?そうだ。付き合っている仲なら、遠距離恋愛という選択肢がある。友達という関係にすぎないのにわざわざ長い距離を会いに行くというのは不自然だが、恋愛をしているならそうするのはむしろ当たり前のことだ。遠距離と言っても所詮は隣県同士だ。世の中にごまんといる遠距離カップルと比べればどうという問題ではないのかもしれない。

 ただ、そうするには僕から告白しなきゃいけない。僕は今まで誰かに告白をすることをしたことがなかった。いや、告白というか、「好き」と伝えたことはあるが、これは僕の中でイメージする告白とは少し違っていた。あの時は、もうお互いがお互い好きだということがほとんど確定している中での言葉だったから、こんなにどきどきしなかったし、そもそも「好き」だからといって付き合おうというふうになるような人ではなかった。相手がどうだったかはわからないが、少なくとも僕の中では、異性として「好き」という部分が多少はあったことは認めても、大部分は「人間的に」好きだったというのが正しい。

 一方で、いま目の前にいる藤村さんに対し、僕は確実に異性としての好意をもっている。さらに、ここが一番重要なことだが、藤村さんは僕に対して何も思っていないかもしれない。僕のこの感情は片道かもしれない。

 じゃあもしうまくいかなかったらどうしよう。断られて、それでもまた以前と同じように接することができるとは到底思えない。いまみたいな「友達」という関係も同時に終わってしまうのだ。さっき渡した本も、彼女は断った直後に神妙な顔をして「ごめん」と言って返却するだろう。

 僕の未来の選択肢は三つだ。ひとつは何もせず、一ヵ月弱の時間を友達として過ごして彼女との関係はそこで終わり。もう一つは告白して、それが成功するパターン。最後は告白が失敗する場合だ。

 熟考した。どんな数学の問題でもしたことがないくらい、色々考えた。そうしているうちにだんだん、感情の整理ができた。僕は今までの生き方と真逆の方策をとることを決意した。つまり、やらずに後悔よりやって後悔だ。

 ──藤村さん、あのさ。

 思考から離れて視線を落とすと、彼女はまだ本をぱらぱら眺めていた。僕の声に応じるようにその手は止まった。

 もう一度決心した。心臓がうるさかった。

 ──あのさ。あの…さ。藤村さん。

 「ん?」と顔を上げる。その動きはあまりにも美しいと思った。暗いけど目が合っているのが分かる。

 ──藤村さんのことがさ…、好きなんだよ。あの、うん。好きです。

 ──だから…、もし、迷惑じゃなかったら、付き合ってもらえませんか。

 ずっと目を合わせているのは無理だった。僕の視線は言葉を溢していくうちにだんだん落ちていって、最後には自分の靴と目が合った。そうでもしないと、息がとまると思った。

 藤村さんはいまのを聴いてどう思っているんだろう。いきなりこんなことを打ち明けられて困っているんじゃないか。それかもっとよくないことに、気持ち悪いと思われているかもしれない。自分が興味ない人からの好意ほど迷惑で鬱陶しいものはない。

 そういう思考で頭がいっぱいになって、ぼくはなんてことをしてしまったんだろうと思った。そもそも僕なんかを好きになってくれる人がいるわけないのに。いじめられても、金を巻き上げられても体を殴られても何も言い返せないしやり返せない気弱な小男だ。見得のためなら少しの嘘だってつくし、ちょっと勉強ができるだけで見下したような態度をとる。変にプライドが高いくせに勇気を出すのが怖い。ああもういっそ、「冗談だよ!言ってみただけだよ!」なんて嘘でもついてみようか。どうせ嘘で固めた心なんだから、もうどれだけ積み重ねても変わらない。

 そうだ、この期に及んでも体面を繕うことしか考えてないんだ。それがそもそもダメだっていうのに。

 言うことは言った。あとは彼女の返答しだいだ。そう覚悟したはずだ。

 靴から左に視線をそらして腕時計を見る。九時前だ。田舎の公園には誰もいない。今にも消えそうに点滅している照明だけ、一定のリズムを刻んでいる。ジー……ジジ、ジー……ジジという音を発しながら。

 ──いいよ。付き合おっか。

 正確なテンポのなかに、慣れない音が響いた。僕はとっさの言葉をうまく聞き取れなかったと思う。

 ──え………?

 ──付き合おう。私ね、正直言うと、明日の卒業式までに松本君が告白してくれなかったら諦めようって思ってたの。ほら、だって、私さ、今まで松本君にアタックしてきたつもりだったから。バレンタインとか。だから、それでもだめなら、私、好かれてないんだろうなって。

 ──だから、言ってくれてうれしい。私も好き。

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