終章 春の終わり

芽吹き

 川沿いに立つ校舎の教室の窓からは対岸に並ぶ桜の木がよく見えた。しかしもう花は散って、ところどころに緑の芽が生えている。時々新幹線が高架を走っているのが見える。川幅の広い本川のちょうど真ん中には中洲ができていて、そこに生えた木の、その枝には鳥の大群がある。

 高校生活はとても順調だ。友達も何人かできたし、どの部活に入るかも、もうほとんど決めている。都会は遊ぶ場所が豊富で、中学の時のようにコンビニ横に集まってだべることはなくなった。それをするときはたいていマクドに入ったし、誰かの家に集まってゲームをするのではなく市内中心部のラウワンに行って体を動かす遊びをした。

 視界を塞ぐような山はここにはなくて、かわりに目立つのは市内にどんどん立っていく高層マンションの姿だ。

 さて、ゴールデンウィークをどう過ごそうかと考える。先生が指示した問題はすでに解き終えて、窓の外を眺めている。あの街の桜も散っただろうか。ここと同じように新しい芽が、出てきているだろうか。桜並木がきれいな歩道が、あの街にもあった。彼女と見に行くことはできなかったが、いつかできればいいなと思う。

 そうだ。ゴールデンウィークは、彼女がわっと驚くようなサプライズをしたい。何がいいだろう。

 そういえば、今朝、彼女にもらった瓶から引いたメッセージには「いつでもふらっと帰ってきてほしい」みたいなことが書かれていたはずだ。じゃあこうしよう。彼女に事前の連絡をせず、いきなり訪問しよう。最低限、予定がないことだけ確認して、それだけにしよう。きっと驚くはずだ。

 そうと決まれば、手ぶらで行くわけにはいかない。それに、引っ越しの時も僕が貰ってばかりだった。何がいいだろう。僕も彼女のように、手の込んだものを渡すのがいいか、それとも都会にしかないような、あの街にはまず売ってなさそうなものを渡すべきか。しばらく考えて、どちらもやることに決めた。何か買ってきて、それに手紙でも書いて一緒に渡そう。

 幸い一度も当てられることなく数学の授業は終わった。今日はこれから新しくできた友達、小笠原の部活見学に付き合う予定だ。僕は全く興味がない文芸部だから、彼には貸しを作ることになる。ちょうどいい、終わったら買い物に付き合ってもらおう。


                  *


 小笠原は文芸部に入るということで決定しそうだ。三年生の部長が、彼のどタイプだったらしく、それに絆されたのだろう。たしかに格好いい先輩だった。威風堂々という言葉がよく似合っていて、文芸部より、どちらかというと応援団とか陸上部にいそうな雰囲気の人だった。かわいいよりは格好いいほうが、小笠原は好きなのだろう。

 さて何がいいだろう。そういえば彼女の趣味のことを僕はあまり知らない。読書が好きということ以外知らなかった。かといって本をプレゼントするというのは違うと思った。

 プレゼントと言われて、期待を膨らませて開けてみたら本が入っているというのは、かなりがっかりするパターンの一つだ。数年前の誕生日に父さんからそれをされて肩を落としたことを思い出す。たしかあの時はよくわからない自己啓発本だった。結局一度もページをめくることなくどこかへいってしまった。もしかしたら引っ越しの時に捨てたかもしれない。本は自分で選んだものを読むのが一番だ。

 ──なあ、何渡したらいいと思う?

 んー、とうつむいて考えている。小笠原は今まで彼女ができたことがないらしい。

 ──女子が喜ぶものやろ?美容系のモンじゃね?化粧とか高校生ならやるもんだろうし。あー、あと無難なのはハンドクリームとか?無難すぎるか。

 小笠原を連れてきて正解だった。僕には全く欠けていた視点だった。

 ただ問題なのは、自分の美容に全く興味を持ってこなかった僕が、どの製品が良いとか、それも女性用のものなんて全くわからない。

 ──それはアリ、大アリよ。やけどおまえ、そういう類の物でどれが良いとかわかるん?

 ──わからん。

 ──よな

 彼女はきっと何を渡しても、それこそ世間一般では敬遠されているような代物を僕が渡してしまったとしても喜んでくれるに違いない。きっと「松本君が一生懸命選んでくれたものだから」という風に言うだろう。だけど、それじゃ僕の気が収まらない。どうせならちゃんと喜ばれるものを渡したい。

 ならば、彼女の一番の趣味はやっぱり読書なのだから、それに関係するものがいいと思う。

 ──彼女さ、結構読書好きで、やっぱそれ関係のものがよくねって思うんやけど、どう?

 ──読書ね…。でも読書グッズてあんまなくね。あー栞とかブックカバーとか?でもそれプレゼントにするには地味すぎん?

 ──ちょっと高級な栞みたいな?本革でできてますみたいな。

 ──おっさんぽいけど革っていいな。十年は使えるやろうし。まあそんなものがあればやけど。

 そのとおり、プレゼントするにふさわしい価格帯の栞はなかなかなかった。本通商店街のどの文具店に行っても、おおよそ栞というものは高くても六百円程度に収まるようになっている。これじゃなんだかプレゼントと呼ぶには物足りない。僕らが求めているのは本革の栞だ。

 結局何にするか決めあぐねて、休憩を兼ねて駅ビルのスタバに入った。ここにはこちらに引っ越してから週に二回のペースで通っている。あの街には一つもなかったし、スタバと言えば都会の象徴のようなイメージがあったから、少し憧れていた。憧れの場所がこんなにも近くにあるなら、通わないわけがない。おかげで僕の財布事情は悲惨なことになっているが。

 僕も小笠原も同じものを注文した。キャラメルスチーマー。メニュー表には載っていない、裏メニューらしい。小笠原のお姉さんがスタバでバイトをしていて、そこから小笠原を経由して僕まで伝わった。本当は冬の寒い日にこれを飲むのが沁みるんだろうけど、そうでなくても単純においしい。彼女はたぶん、これの存在を知らないはずだ。あの街にもスタバ、できればいいのに。彼女にもこのおいしさを味わってほしい。

 ──駅まで来たはいいけどさ、ここらへん文具屋なくね?

言われてみればそうだ。駅ビルにも入っていなかったはずだし。

 ──確かにねぇな。本屋ならあったはずやけど、さすがに本革の栞はないか。

 ──んー、ん。いや、ワンチャンあるぞ。ちょっと高級路線な文具売り場みたいなんが併設されとったはずや。そこになかったら諦めやな。

 ──そうね、別のもの考えるわ。そこ行ってラストにしよう。

 駅前のビル十階にあるジュンク堂に入る。エスカレーター降りてすぐ左に、ちょっぴりラグジュアリーな雰囲気を纏った文具コーナーがあった。高校生が入るのは躊躇われたが、頑張った。

 なるほどやはり見た目と変わらず高級な文具ばかり置いてある。ボールペンの価格が三千円近い。万年筆もあるが、いまどき使う人がいるのだろうか。あとは名刺入れやネクタイピンなど。主な客層はおじさん世代といったところだろう。

 栞がなかった場合、ボールペンは悪くない選択肢だと思った。見た目いい木箱に入っていてプレゼント感があるし、価格帯もまあ、残りの今月スタバを我慢すれば買えないことはない。ただもう少し可愛らしさが欲しかった。おじさんが持つとそれはそれで色気が出るものなんだろうけど、女子高生が持つには地味すぎるかもしれない。

 肝心の栞は店内のどこにも見当たらなかった。仕方ないので出ようとしたとき、小笠原が呼びかけてきた。

 ──おいおまえ、これ見ろよ。

 『ボールペン・筆箱・栞等の名入れ承ります!』

 レジ前のポップに書いてあった。まさに僕が求めていたものはこれだ。

 店員さんに詳しい話をきいてみる。曰く、栞の場合、革のものに六文字まで文字を入れることができ、値段は二千円程度ということだ。本革ではなかったが、ちょうどいい価格だった。トントンと話は進んでいき、パステルブルーの生地に、『NINA』と入れてもらうことにした。完成は約五日後、あの街に帰る前日だ。遅れないように祈って、あとは楽しみに待つことにした。

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