曇天
もう何度書き直したかわからない。十枚入り五百円で買ってきた便箋はあと二・三枚しか残っていない。栞が完成した連絡を受けて、取って見るとイメージ通りのものになっていた。可愛らしさと上品さが一緒になっている。これに遜色ない文章を書かなければならないと自分に言いきかせる。
明日はいきなり藤村さんの家へ訪問するわけだが、いまからもう楽しみで仕方ない。数日前の時点で彼女の予定がないことは確認済みだから、きっと家にいるはずだ。
家の人にはちょっと迷惑かもしれないな。でも僕は彼女と散歩するだけでも全然、いや寧ろ散歩したい。桜が散った川沿いを歩きたい。閑散とした商店街を抜けた先にあるあの美しい川。木の香り、緑の光の下に手をつないだ僕たちがいる。そうしたい。是非そうしたい。
ひと歩きしたらそこらにある古いカフェに入ろう。白髪の似合う痩せた老人が一人で細々とやっているような、僕ら以外全く客が入らないのにどうして経営できているのか不思議に思うようなところで。酸味の強いコーヒーだけたのんで、日が沈むまで話そう。大丈夫、迷惑なんて思われないさ。そもそも客が来るだけ珍しいはずだから。
きっとあっという間に暮れて、一日が一瞬でおわるだろう。だからその一瞬にできるだけ詰め込もう。また当分、会えないんだから。
気が付いたらペンを走らせていた。また一枚無駄にしてしまったか。破り捨てようと手をかけたが、そこで一回立ち止まった。これはこれでアリかもしれない。少々恥ずかしいところがあるけど、手紙はたぶんこれくらいが丁度いいのだろう。明日家に行って、栞と一緒に手紙を渡して、そこで読んでもらおう。そして、手紙の内容どおりに彼女と一日を過ごすんだ。
明日の天気は曇り時々晴れ。快晴まではいかずとも晴れていてほしかったが、「時々晴れ」ならまだ希望はある。気づけばもう二十三時をまわっている。明日の朝は早い。さっさと寝てしまおう。寝られればだけど。
*
七時五十分広島発、二回も乗り換えがある。なんとか間に合った。目覚ましを二回鳴る設定にしておいてよかった。
朝の電車は人であふれていた。ゴールデンウィークだというのに会社に行く人は相変わらず多いようで、代わりに普段見られる制服を着た学生の姿は全くなかった。
そうは言ってもほとんどのサラリーマンは三つ目の駅までには降りた。座席もかなり空いて、僕は二人掛けの窓側に座ることができた。これから三時間半、暇つぶしに本を持ってきたけど、読み始めると寝てしまうこと間違いない。結局なかなか寝付けなかったから睡眠不足だ。ぼうとした頭で窓の外を眺める。海を挟んで向こうに宮島が見える。そういえば小学校のときの修学旅行以来、宮島には行っていなかった。
佐藤とはあの時も一緒の班だったな。でももうどこに行って何をしたか、忘れてしまった。夏休みに彼女を誘ってみようか。新幹線だったらすぐ来れるし、いいかもしれない。それかもっと遠くのほうがいいだろうか。夏休みだからこそ行けるところ。またいろいろ探しておこう。いや、今日話してみよう。
黄色い電車に乗り換えた。窓の外にはもう都会の面影はなくて、地方にありがちな景色が続く。雲がどんよりしてきた。外を眺めるのをやめて、目を閉じた。
一ヵ月という時間は、あの街を懐かしむには短いかもしれない。きっと僕が引っ越してから変わったところは何もないだろう。それが地方、田舎というものだ。
ただ風景は変わらなくても、人間は確実に変わっていく。現に僕らは高校生になったわけだ。僕は県外へ、彼女は家に近いところ、佐藤は確か中央高校だったか。あいつはあそこで、あと……、あ。……泉。なぜ今あいつの名前を思い出したんだろう。全然興味ないのに。どこに行ってようとどうでもいい。せっかく忘れかけていたのに。
もし彼女と同じ学校だったら……。
他のことを考えよう。
もう一度外の景色を眺める。小雨が降っているようだ。雨か。天気予報はあてにならない。傘は持ってきていない。それでも、まだ悲観すべきではない。午後から晴れてくれればそれでいい。曇り時々晴れなら、十分その可能性はあるはずだ。
電車は山のトンネルに入った。窓からは何も見えなくなった。
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