反抗的人間

 駐輪場は二階建てになっていて、その二階の奥のほうにトイレがある。駐輪場自体相当に古いもので、トイレの個室は和式しか備えられていなかった。だから少なくとも、若い人がわざわざ使っているのは見たことがなかった。お年寄りでも多分、あまり使わないのだろう。それに加えて今の時間は夜十時前で、通勤で自転車を使うサラリーマンの姿も、もう少なかった。つまり僕を三人がかりでどうこうするにはそのトイレは絶好の場所だった。ちらっと腕時計を見ると、長い針は八を指している。

 ──おまえさ、さっき肉団子からなんかもらってたよな?出せよ。

 渋々、丁寧に鞄の中にしまった紙袋を取り出す。

 ──俺らさ、肉団子からはもらってねぇんだよね。そんで他の奴もたぶんもらってねぇんだわ。つまりさ、肉団子がチョコあげたのはお前だけってこと。じゃあどうなるかっていうとよ、もしかして肉団子、お前のこと好きなんじゃね?

 そう言って紙袋を取り上げた。開け口を留めてあった紙テープを無遠慮にちぎって中身を眺めている。

 僕はこれくらいのことなら別にどうでもよかった。いつもみたく殴られたり、蹴られたりして苦痛を感じる、というわけではないからだ。浜田さんからのプレゼントは確かに嬉しかったけど、それをどうされてもそんなに心は痛まない。もし僕が浜田さんのことが好きで、そういう人からのプレゼントをぞんざいに扱われたらまた違っただろうけど、残念ながら浜田さんのことは何とも思っていない。浜田さんには悪いけど、この程度で済むならよかった。心も体も痛まないことに安堵して腕時計を見た。未だ八の数字を指したまま、長い針は動いていないみたいだった。時間の進みが遅く感じられた。

 遅刻が確定することは泉に声をかけられた時点で半分は覚悟していたが、これ以上長引くのはさすがにまずい。世間一般の感覚は分からないけど、僕が今まで生きてきて培ったちっぽけな感覚は、遅刻が許されるのは十分までだと言っている。そしてここから待ち合わせ場所の歩道橋までは、自転車で急いで十分かからないくらいだ。

 ──泉、浜田さんからのそれはあげるから、もう帰っていいか。

 僕の声は小さすぎたようで、彼らには届かなかったみたいだ。もう一度、今度はちょっと大きな声で言おうとして口を開きかけた時だった。

 ──おい、お前ら見ろよ。面白そうなもんがあったぜ。

 泉は袋から一枚の紙を取り出した。それは二つ折りにされていた。

 ──手紙じゃんこれ。絶対ラブレターだろ。うわ、やっぱそうっぽいわ。

 奥川と安田ものぞき込んで字面を追っていた。泉が嘘をついているわけではないようだ。つまり、浜田さんが僕のことを好きというのは本当らしい。先刻の泉の冗談は冗談ではなく、現実のことだったのだ。

 さすがに驚きを隠せなかった。浜田さんと僕で、一対一で話したことはないはずだ。そもそも僕が塾の教室で誰かと話すこと自体少ない。唯一まともに会話と呼べるものをしているのは、物静かな数人の男子たちとだけだ。それも宿題とか勉強の話だけだ。女子と話すことはまずないのに。

 ──やっぱ肉団子、お前のこと好きだってよ。やっぱ俺の言った通りじゃん。お前ら二人ならお似合いなんじゃね?

 ──いや、僕は特に何とも思って…

 ──おい、こういうのはすぐ返事するべきだろ。行くぞ。

 ──行くって、どこに…

 ──決まってるだろ、お前が今から肉団子に「僕も好きですぅ」って言いに行くんだよ。おまえらお似合いだしいいカップルなれるで。

 ──嫌だ!

 思ったより強い言葉が出ていた。こんな大きい声は生まれて初めて出したかもしれない。叫び慣れていない喉は、まだその振動を留めている。

 僕に背を向け塾へ戻ろうとしていた泉たちも驚いたようで、肩を一瞬ビクッとさせて足を止め僕のほうを振り返った。驚きと悪意を含んだその六つの目は、次に放つ言葉を決めかねているようだ。無限にも思える時間が流れた。先に耐えきれなくなったのは僕のほうだった、

 ──帰る。

 そう吐いて彼らの横を通り過ぎてトイレを後にした。もしかしたら追いかけてくるんじゃないかと思ったけど、杞憂に終わった。僕は急いで自転車に跨って歩道橋への道を急いだ。

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