故郷の時間

 二人の後ろを自転車でついていった。空はすでに茜色を帯びていた。街を真横に流れる川土手、それに架かる橋、片側二車線の大通り。僕が生まれて十五年、いつも使っていた道だ。普段はなんてことないのに、今日はなんだか感傷的に感じる。ドリームタウン、買い物をするときはいつもここだった。物心つくまでは、ここが世界で一番大きいお店だと思っていた。どうやら世界は広いらしい、そう思いはじめてからだ。街をまさに包囲するように立つ山を鬱陶しいと思うようになったのは。それでも今は、その山々も、そこに沈む太陽も愛しく思う。ごく普通の日常が、実はとても愛すべきものだったのだ。

 達観したような気分になったところで、前を走る二人の自転車がとまった。僕もブレーキをかけた。ここが目的地のようだ。

 「ローダンセ」。つい先月できたばかりの、ちょっとおしゃれなビュッフェ形式のレストランだ。引っ越すまでに訪れることは無いだろうと思っていたが、このタイミングで来ることになるとは。

 ──六時に予約取ってある。今日は打ち上げやけんな。

 ──別に秘密にせんでもよかったのに。それに、まさか三人でやるつもり?

 ──まさか。

 六時にはまだ少し早かった。僕らは店の外で立ち話をして時間をつぶした。千田はこの店ができてすぐに、家族で食べに来たことがあるらしい。曰く、スイーツの種類が多いとか。そのなかでも僕が特に興味をひかれたのはチョコレートファウンテンがあるということだ。テレビでしか見たことがなかったから、きっと東京とか大阪とかにしかないんだろうと思っていた。想像よりずいぶん近場にあった。

 二十分くらい待っただろうか。ローダンセの真ん前の横断歩道の向こう側に、見慣れた人影が二つあった。暗くて顔はよく見えなかったが、その人影だけでそれが誰かは十分にわかった。藤村さんと小林だ。

 ──男三人で打ち上げなんてやるわけねぇだろ。ってもうち一人は小林だからノーカンかもな。

 ──はぁー?ふざけんなよ佐藤っ!

 小林は良いイジられ役かもしれない。全く怒っていない様子で佐藤の腹を殴っている。佐藤はそれを笑いながら受け止めている。

 一方で僕の関心事は別にあった。

 ──藤村さんも来たんだ。打ち上げすること知ってたの?

 ──うん、愛ちゃんと佐藤君が主催者みたいよ。でも、松本君が来るのは知らんくてびっくりした!愛ちゃん言ってくれたらよかったのに。

 ──てかさー、千田は誰が誘ったのよ。ウチ誘ってないんやけど。

 主催者の一人である小林は、千田を誘ってなかったみたいだ。僕は勿論、藤村さんも誘われた側だ。ということはつまり

 ──俺が誘った。小林も本当はそのほうがいいだろ?

 ──はぁ?なんでよ!

 なるほどなぁと思った。佐藤の言葉から察するに、小林は千田を好きなんだろう。だからきっとサプライズで千田を招待して、小林と千田を引っ付けようっていう算段なのだ。こうやって小林が過剰に反応しているのも、たぶん照れ隠しだろう。

 ──まぁいいよ、五人で予約しちゃったんでしょ?仕方ないから千田も来なよ。

 あまりにもわかりやすい。本当は嬉しいと、文字通り顔に書いてあるみたいだ。

 ──え、もちろんよ。ここまで来たんやから。今日は元取れるくらい食うつもりやからな。小林、どっちがいっぱい食えるか勝負しようぜ。

 一年間同じクラスで過ごしていて薄々気づいていたが、多分、千田はかなり鈍感だ。


                  *


 チョコレートファウンテンは本当に実在していた。チョコレートが滝になってどんどん流れ落ちている。詳しい仕組みは知らないけど、一番下の受け皿まで落ちたチョコレートはポンプか何かに吸われて、再び噴水の頂上へと戻ってくるんだろう。チョコレートと機械を動かす電力が無くならない限り、無限にチョコレートが流れ出てくる。夢みたいな機械だ。

 それぞれが好きな飲み物を取ってきて、席に着いた。僕はコーヒーにした。格好つけたかったという気持ちがなかったかと聞かれれば認めざるを得ない。だけど無理をしたわけではない。母さんが飲もうとしているとき、僕の分もついでに一緒に淹れてもらうことはよくあった。コーヒーのおいしさも理解しているつもりだ。

 ──いやおまえ格好つけんなってば。

 予期はしていたが当然、佐藤からツッコミが入った。やっぱり佐藤は全部見通している。

 ──いやこれはマジで普通だから!コーヒーが一番好きやから!

 ──はいはい。じゃあ明日卒業式ということで、かんぱーい。

 ──……かんぱい。

 そうして始まった五人での打ち上げは、本当に楽しかった。中学の内に起こった様々な出来事(一年の時誰々が教頭にこっぴどく怒られてたとか、二年の秋くらいに出た給食のおかずが不味すぎて、ほとんどの生徒が残した話とか、そういうレベルのもの)を話した。中には僕が知らなかった話も多くあった。それを聞くたびに、そうだったんだ、みたいな、少しの驚きがあった。

 楽しい時間は誰もが言うようにすぐに過ぎ去ってしまう。今回もそれは残念ながら例外なく、二時間のビュッフェは一瞬で終わってしまった。さっきまで苺やバナナをくぐらせていたチョコレートファウンテンも、もう当分は見ることも使うこともないだろう。

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