暖かい教室

 僕が通っている塾は街の小さな駅前にあって、自転車で家から十五分くらいだ。僕の家から学校まで二十分くらいだから、僕の家を中間点として、塾と学校は僕の家からほとんど同じくらいの距離のところにある。僕は学校から塾に行くとき、いったん家に、学校用かばんを置きに帰る。そして少しだけ休んで、今度は塾用のリュックサックを背負って出ていくのだ。

 小林の話に付き合うんならきっと、帰るのは少し遅くなるのだろうと推測した。そして僕はお母さんに、何で学校から帰るのが遅かったのか、少しは説明しないといけなくなるだろうとおもったから、その理由を考えた。いくつか言い訳の候補は考えついたが、その中で採用されたのは、「学校で友達と勉強してた」だ。定番すぎてさすがに見透かされるかもしれないが、下手な嘘をつくよりは、こういう捻りのない率直な感じのほうが逆にいいんじゃないだろうかと思う。

 理科の授業のため、理科室へ教室移動しているとき、いつも一緒に帰っている佐藤に、今日は用事があるから学校に残ると、断りをいれた。それをきいた佐藤は悪い顔をして、その用事の内容をきいてきた。僕は、秘密にしておくべきかわからなかったけど、一応言わないでおいた。そうしたら佐藤は、「待っといてやる」と、なにか分かった風な顔で言った。

 佐藤はクラスでもそこそこ人気があるから、僕が知らない情報も知っているのかもしれない。もしかしたら小林の話の内容はもうすでに、佐藤には伝わっているのかもしれない。

 学級活動が終わって、僕は小林に言われた通り帰り支度をすることなく座って待っていた。クラスのほとんどの人が教室から出て、残っているのは僕と、佐藤と、小林と藤村さん、あとは担任だった。僕たち四人は全員、勉強しているふりをして担任が出ていくのを待った。担任は五分くらいで何かの作業を終えて、最後に出る人は教室のカギをかけておくように、とだけ声をかけて教室から出ていった。

 すぐに小林が僕の机のところにきて、それに続くように藤村さんも僕の前に立ちはだかった。佐藤は自分の席で、勉強をするふりをしているままだった。

 口を開いたのは小林だった。

 ──ねぇ、松本ってなんか嫌いな食べものある?それかアレルギーとか。

 なんていうことはない普通の質問で拍子抜けした。どういう意図で聞いてきたのかわからなかったものの、僕は素直に、アレルギーは無くて、昆布とレバニラのレバーが苦手だと言った。そうしたら今度は、藤村さんが「よかった」と言った。果たして何が「よかった」のだろうと疑問に思ったけど、藤村さんに質問するのはとても緊張して、できることではなかった。

 話はそれだけだったらしくて、二人は僕の前から離れてそれぞれの机に戻って、帰り支度を始めた。僕も勉強するふりをやめて、佐藤に声をかけた。佐藤はまた、さっきと同じような悪い顔をして、小林と藤村さんに見えないようにニヤついてみせた。僕だけが何の事情も知らないみたいだった。

 塾に行くことが嫌だということは誰にも言っていない。だから学校からの帰り道でも、僕の憂鬱をよそに佐藤は実にいろいろなことを話しかけてきた。

 佐藤はさっきの小林との全ての会話を聞いて、小林もしくは藤村さんが、僕に弁当でも作ろうと画策しているのではないかと推察したらしい。だから、その弁当の中に僕の苦手なものがあってはならないから、あらかじめ僕に聞いておいたのではないか、と。だけど僕はこれを否定した。

 だって、小林からも藤村さんからも、僕に対しての好意なんか一回も感じたことがないからだ。そもそも、小林は恋愛ができるほど頭がよくないだろうし、藤村さんは今まで特段、僕との関わりがなかった。唯一、「関わり」があるとするならば、先月の間は席が隣だったということくらいだ。そのときは、ごく普通の、事務的な会話はしたと思うけど、それ以上のことはたぶん話していない。そもそも僕と藤村さんは、小学校は別々だし、クラスも三年になって初めて一緒になったのだし、それでもクラスが一緒であるというだけで、特別に交流があったわけではない。ただ、僕が勝手に、藤村さんを遠目から見て、藤村さんの底なしの明るさとかわいらしさに惚れたというだけだ。

 もちろん佐藤には、僕が藤村さんに好意を抱いているということは伏せておいた。佐藤はあっさりそれに納得したようで、「まあ、確かにそうかもな」とこぼしていた。一方で、「じゃあ、さっきの質問は何の意味があったんだろうな」などとつぶやいていた。

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