おくりもの

 引っ越しまでのあいだ、ほとんど毎日遊んですごした。仮入学で配られた課題には全く手を付けていない。それでも親は理解してくれているのか、何も言わないでいてくれた。

 二日に一回くらいのペースで彼女と会って小説の貸し借りをした。とはいっても彼女から借りた回数のほうが相当に多かった。圧倒的な蔵書数の差があったからだ。彼女の勧める小説は全部面白かった。基本的にはそのどれもが後味が悪いものだったけど、僕はそのビターな読後感にすっかり虜になった。

 他の日は佐藤や西山、もしくは小学校の時に仲が良かった友達とすごした。誰かの家へ行ってゲームをしたり、小学生の時に作った山の中の秘密基地がどうなっているかを見に行ったりした。あと一週間もすれば僕は引っ越すことになる。もしかしたらいつかの成人式まで会わなくなる友達も、中にはいるかもしれない。どれもが貴重な時間だった。

 佐藤と新しい服の買い出しをした日、家に帰って携帯を見ると彼女からメッセージが来ていた。「明日、行きたいところがあるんやけど、空いてる?」

もちろん空いてるというふうに返事をした。返事はすぐにきた。昼過ぎに彼女の家に集合することになった。

 借り貯めしていた本が何冊かあったから、彼女の家に集合というのはちょうどよかった。明日全部返して、一冊ずつ感想を話したい。彼女と同じような感想だったら嬉しいし、違っていてもそれはそれでおもしろいし、話が弾む。

 買ってきた服を開封することもせず、心を楽しみいっぱいで満たして眠りにつくことにした。


                   *


 帰ったら引越しの荷造りをすることを母さんと約束して出かけた。中学に入学する時に買ってもらったこの自転車は、毎朝僕を乗せて学校まで連れて行ってくれた。それが理由で相応に傷んでしまっているから、引越しと同時にこちらで処分することになっている。高校で使う自転車は引越し先で新しく買う予定だ。だからこの自転車に乗るのも、本当にあと少しだ。

 この三年間で街の何かが変わったかと問われれば、答えに窮してしまう。それほどに変化のない街だ。いや、田舎だったらどこでも同じようなものかもしれない。唯一思い浮かべられるのは、小学生の時によく行っていた駄菓子屋が閉店したことくらいだ。

 ただ、この街の見え方は僕の中で確実に変わったと思う。鬱陶しい山に囲まれて、田舎で古臭くて、何にもない街だと思っていた。昔は。といっても数ヶ月前までそう思っていた。でも今は違う。確かになんにもない。おしゃれな服屋はまずないし、洗練された内装のカフェなどないし、江戸時代から残る町屋なんてものも全くない。そういうものはなんにもない。けど、なんでもある。それは「足るを知る」のような倹約主義的なものではなくて、本当になんでもある。美しい景色がある。きれいな人々がいる。優しい老人がいる。言葉を交わさずとも互いを手にとるようにわかる友達がいる。「何にもないけどなんでもある」のだと、今では心の底から思う。

 彼女の家について、インターホンをならす。「はい」という低い声と共にでてきたのは彼女のお兄さんだった。

 ──お、きたか。仁菜は今トイレいってるから部屋で待っといて。

 ──あっ、ハイ。

 ──今変な想像したろ?

 ──いやしてませんって!

 驚くほど端正な顔立ちのお兄さんは口が悪いというか、性格がわるい。でもいい人だ。たまに面倒だけど。

 彼女の部屋に入って本棚を眺めると、新しい本が何冊か追加されているのがわかった。全部おもしろそうだ。表紙は飾りっ気なくシンプルで、タイトルは短く簡潔。彼女らしいなと思った。

 この中のどれかを今日も貸してくれるんだろうか、だったらこれを読んでみたい、いやでもこれも捨て置けない、いっそのこと全部はどうだろう、彼女のことだから既に全部読んでそうだし、と考えたところで扉があいた。

 ──ごめんおまたせ!お兄ちゃん変なこと言ってなかった?

 ──……いや、なんも。大丈夫。

 ──ほんと?ならいいけど。

 話をそらそうと思って借りていた本を鞄から取り出した。

 ──これ。前借りたやつ。読んだよ

 ──全部よかった。これはなんていうか、この作者っぽくない終わり方だったけど新鮮だったね。「最後そういうふうにもっていくんか!」みたいな。こっちもうね、投げ出されたよ。主人公がどんどん破滅的なほうに行くじゃん。「そっちは絶対だめ」って方向ばっかに行くのよ。もはや狙ってるんじゃないってくらいに。で、結局収拾つかなくなって、て感じね。それで……

 ──あのさ、ちょっと待って。

 ──え?あぁ、うん。どした?

 ──感想だいたい一緒で嬉しいんやけど今日来てもらったのはちょっと違うことがあって。

 ──なんていうか、渡したいものがあって……。

 そういって彼女は部屋のクローゼットを開け、そのなかの棚に隠しておいたのであろう透明な瓶を取り出してみせた。中に何か入っている。

 ──もうすぐ引っ越しだよね。だから、これ。あげる。

 ──一日一枚取り出して。恥ずいけど中にメッセージ書いたから。三十枚くらい入ってる。続きはゴールデンウィークに帰ってくるでしょ?そのときに渡すって感じで…。

 新しい場所で友達もいないだろうから、毎朝メッセージを見て元気出して学校に行けるように、と。僕のためにわざわざ三十枚も。うれしくて目が潤む。それと同時に僕にはもったいない彼女なんじゃないかと思う。

 ──いや、ほんとに、ありがとう。何よりもうれしい。これで元気出すわ。

 大事に鞄に仕舞った。

 ──それでさ、昨日行きたいところがあるって言ったじゃん?

 そういえばそうだった。ここ、彼女の家は単なる集合場所だった。

 ──うん。それで行きたいところって?

 ──松本君の思い出の場所全部。

 「え?」と聞き返した。彼女が言うには、文字通り、この街の中で、僕が思い出深いと思う場所全部に行ってみたいとのこと。僕が引っ越した後さみしくなっても、その場所に行ったら、今日こうして一緒に自転車で巡ったことを思い出せるから、らしい。なんてピュアなんだろう。

 ──いいけど、いっぱいあるよ?

 ──大丈夫、自転車の手入れは昨日しておいたから。

 そういうことじゃない気がしたが、あまり突っ込まないことにした。リビングでゲームをしていたお兄さんに挨拶してから彼女の家を出発した。

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