善悪

 ──よお松本、ちょっとコンビニ行こうぜ。

 泉は先生に聞こえるように言った。先生はそれを聞いて、あまり遅くまで遊んじゃ駄目よ、とたしなめて、勉強しなさいねとにこやかに付け足して教室を出ていった。泉と安田はわざとらしく「はーい」と返事をした。僕は先生に、いじめられていることを隠さなくてはならないから何も言えなかった。

 教室から誰もいなくなるまで泉と安田は適当な話をしていた。僕はなんで、いじめられるのを待っているのだろうと考えていた。もちろん逃げたいに決まっているが、それができない。

 最後に、物静かな女子二人が教室を出ていった。泉はその二人に、「バイバーイ」と、またわざとらしく言った。

 ──おい、コンビニ行くぞ。

 コンビニに行くというのは本気だったらしい。今までコンビニでどうこうされるというのは無かったから、僕の恐怖を余計に掻き立てた。

 塾から北に二分くらい歩けばコンビニがある。そこにつくまでの間、二人はずっと、適当な話をしていた。僕は黙ってついて行くことしかできなかった。逃げようかと思ったけど、足が動かなかった。

 二人は店に入るなり、カゴを取って、ジュースやお菓子をぽんぽん入れていった。僕は何を言われるのかだいたい想像がついたけど、黙っていた。泉はそのまま、高そうなアイスも入れた。安田はそれに便乗して、泉と同じものをカゴに入れた。

 ──おい、財布出せ。

 僕の予想はやはり的中していた。僕は財布を出さざるを得なかった。幸いというべきか、今日は二千円しか入っていなかったから、ダメージは少なく済むはずだ。僕がため込んでいるおこづかいは、家の僕の机の引き出しに入っている。

 しかし泉に財布を手渡した直後、僕は重大な問題に気付いた。財布の中には、僕が中一のときに仲が良かった女子からもらったラブレターがあった。

 別にその子のことが気になるから、今までずっとそれを入れていたわけじゃない。ただ、大事なものは何となく財布に入れておきたかったのだ。

 今は気になっていなくても、その子とは中一のとき、実はお互いがお互いすきだった。僕と彼女、そのことをどっちも知っていたのだけれど、その頃はつきあうとかよくわからなかった。だから、すきの告白だけして特に何もなかった。そのまま、時が流れるままに僕らの恋情も冷めていった。

 僕はとにかく、泉がそれを発見しないように願うことしかできなかった。泉がさっさと二千円抜き出して、返してくれることばかり願った。

 泉はまず、手に取った長財布の札入れのところを観察した。そして、舌打ちをした。

 ──おまえ、貧乏なん?

 そういって残念がりながらきっちりと二千円を引き抜いた。泉は次に、小銭入れのファスナーを開けた。そこから今度は、五百円玉と百円玉だけ取り出した。

 ──今日はこれで勘弁してやるよ。次は五倍財布に入れとけ。

 そのままレジに進んで、僕のお金でかごの中の物を購入した。

 僕は泉が手紙に気づかなかったことに安心した。二千円とちょっとの小銭なんかどうでもいいくらい安心した。僕はそこにある理不尽よりも、目先の安心に気を取られていた。非常に盲目だった。

 ──人の金で食うもんが一番うめーや。

 その悪意を含んだ言葉にも盲目だった。僕はそのまま何をいうでもなく駐輪場へ向かった。

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