第三夜
Let There Be Light ①トラブル発生
きらきらと瞬かない星空が窓の向こうにどこまでもひろがっている。
三十人がゆったりくつろげるほど広い、集会に使われるこの部屋は、通常『憩いの場』として愛用されている。大きな長方形の広い壁ニ面が窓なのだ。そこから星が、銀河が、宇宙がのぞいている。よくよく見ればその中に知っている星が見つかるのだろうが、そこまで熱心に目を向ける者はいない。乗組員が観察するのは光として認識するほど遠い星ではなく、宇宙船の真下にあるギザンガと呼ばれる星だった。
今、宇宙船はギザンガを中心にゆっくりとまわっている。窓の向こうのギザンガは、湯気のように見える白い気体をまとっているのでいつも同じ顔を向けているように見える。だが見つめていると、ゆっくりとその上にひろがる星空が移動しているのがわかる。それこそが宇宙船が問題なく動いている確かな証拠だった。
ゆるいペースでギザンガに隠されていた星たちが顔をだしていくと、スクリーンもかねている窓の一部にひとつの星が大きく拡大されて映し出された。
「なんと美しい」
「これこそが地球じゃ」
窓のそばで一息いれていた老科学者の言葉に、彼も顔を上げた。そして同じように拡大表示された星を見つめた。
青く美しい姿。どれだけ見ていても飽きないただ一つの星。
しかし出発時に見た現実の地球を彼は思い出した。赤茶けたいびつな地表。青く見えるのは水滴のように輝くふたつのドームだけ。目の前の映像からは想像もできない。
(残像だ……)
手元の簡素なカップを傾ける彼の目の前で、見慣れたオレンジ色の髪が揺れた。
「先輩、そろそろ時間ですよ! 展望台へ行きましょう!」
ここでは最年少のエリタは今にも走り出さんばかりの勢いだ。エリタは別の研究所の秘蔵っ子で、このプロジェクトで初めて会った。他の乗組員には尊大な態度をとるエリタだが、プロジェクト最初の登録者である彼を『先輩』と呼んで一目置いていた。
「あぁ」
彼はゆるゆる立ち上がると、階下にある展望台へとエリタと並んで歩を進めた。自動で広間の扉が開閉する。人を感知して歩道が動き出した。二人きりになった途端エリタがぼやいた。
「あ~もうイヤになっちゃいますよ。なんだってこんなダルい観測を毎日やんなくちゃいけないんすかねぇ」
言ったそばからエリタは手で『待った』と制し、彼に口を開く隙を与えない。
「わかってます! カムフラージュだってことは百も承知です! 僕らは『ギザンガ観察ツアー』に来ているんですからね。でも意味のないことに時間を割かれるのがイヤなんですよ。ほんの数十分だけど毎日だとさすがにね」
当番を決める話し合いの最初に「僕が一番余裕あるので」と自分から観察を買って出たのはエリタ本人なのだが、当番制で一週間に一回の彼とは違い、毎日続けているとそう感じるのも当然だろう。
「開発、行き詰まってるのか?」
オレンジの髪をゆらして大げさに肩をすくめる。
「まっさか。全然問題ありません。ただ意味ないなぁって思っちゃって。ギザンガのこと、宇宙人は調べ尽くしてるはずでしょ? それなのに僕たちに開放してるってことは、やつらにとっちゃ『自由研究にちょっと遠くまで行っておいで』って感じだろうなぁって。そう思ったら、費やした時間がもったいなくて、もったいなくて」
「まぁそうだな。でもそのおかげで俺たちはここで研究できるんだ」
「は……相変わらず冷めてますね、先輩は」
エリタの気持ちもわからないではないが、いまさら宇宙人(正しくは異星人もしくは超高度生物なのだが、皮肉をこめてここにいる人間は宇宙人と呼んでいる)に腹を立てても仕方がない、と彼は思っていた。
泥沼な戦争をしていたのは地球人だ。それを宇宙人が平定(と公式文書に書かれている)した。ただその平定のタイミングが遅くて地球が崩壊しそうなことも、戦争をやめてもドームバリアがなければ地球生物はとっくに死に絶えていただろうことも、生き延びたとしても動物園の檻の中のような状態なことも、仕方がないのだ。地球人に他の選択肢はない。
宇宙船の一番下にある展望台からは、真下にあるギザンガが良く見える。
彼とエリタの二人は手馴れた動作で小さな惑星ギザンガを撮影する。昨日から観測機に送られてきた電波やもろもろのデータをすべて圧縮暗号に変換させて地球に送信するのだが、通常通信なので地球に届くのは彼らが地球に帰ってからなのだから、確かになんとも気の長い自由研究だ。
圧縮暗号にしたとはいえ送信にも時間がかかる。二人は黙ってモニターの細いバーが埋まるのを待っていた。
「……僕らのやってること、無駄じゃないっすよね?」
いつも強気なエリタから初めて弱気な言葉を聞いた。
この『ギザンガ観測ツアー改め打倒宇宙人計画』に一も二もなく飛びついたのはエリタなのだ。宇宙人に我慢ならないと、メンバーを集めるのにも細かい打ち合わせにも一番熱心だったエリタ。
「もちろん無駄にするつもりなんてないっすよ? 現に強力な新兵器はいくつか完成させたし。でもね、ここでの一年は思ってたより長くて。毎日が同じことの繰り返し。立ち止まってる僕の横を時間だけが通り過ぎていくみたいで」
エリタはややオーバーアクション気味に大きくため息をついた。
「僕らがここに来た後にも地球では新技術が入って、嘘みたいに技術が進んでるはずっす。ここでどれだけ研究しても、地球に着いたら全然古くて通用しなかったら」
「地球でこの研究はできないぞ?」
打倒宇宙人として彼らが研究しているのは、より強力な兵器だった。『宇宙保護区域』に認定された地球では兵器の開発はできない。だからこそこんな通信にも時間のかかる遠く離れた宇宙に来ているのだ。
「そうでしたね。あぁ僕、ホームシックなのかな? 柄でもないっすね」
なるほどホームシックか、と彼は納得した。
(俺はどうだ、帰りたいと思うか?)
わからなかった。あらためて考えると、ここでの生活を結構気に入っているようにも思えてくる。彼の性に合っているのかもしれない。
エリタの言う通り研究だけの日々。単調な、一日が一日と区別できない日々。ギザンガの観察や集会以外は、誰とも話さず誰ともあわない時間が続く。それでも窓の外には無限の宇宙がひろがっているのだ。そのとき彼は永遠の時間に浸っているような不思議な気持ちになれて心地よかった。
「あ、終わりましたね。さてさて、また部屋にこもりますか!」
二人が展望台を出ようとしたとき、乗組員全員緊急招集のアナウンスが入った。
※
乗組員は全員『憩いの場』に集合した。
研究途中の者もいたらしく腹立たしげに腰をおろしている。窓には先ほどと変わらず、美しく青い星が映し出されている。
(おかしいな。ギザンガの観察はデータ送信の都合上、地球が見えるほんの数十分を狙っていたはずだ。その時間が過ぎたのにまだ地球が見えている?)
「皆様、突然の招集、申し訳ございません」
プロジェクト責任者であるプトリ氏が、かすかに震える声で前置きを述べた。
「大変な事態になりまして……。あの、なんと言ってよいのやら……」
プトリ氏は心底困っているらしく、しばらく言葉を濁していた。
だが訳もわからず呼び出されイライラしている人々を前にし、覚悟を決めたのだろう。プトリ氏は数回の深呼吸の後、慎重に言葉を運んだ。
「メインエンジンがトラブルを起こしまして……。あ、でも現在の航行には問題ありません。ここに留まるだけなら、いくらでもサブエンジンだけでまかなえます。ただ、ギザンガの引力から脱出できないのです。ワープを使う長期航行もできません」
一気にざわつく人々に、プトリ氏は慌てて言葉を続ける。
「もちろん! すでにこの状況を地球に伝えております! ですが、サブエンジンだけで稼働可能な通信機となりますと、最速でも地球に届くまでに2年はかかります。せめてもう少し交信に適した場所へ出られるといいのですが、ここは皆様もご存知でしょうが、通りの悪い区域なので……」
結局なにがいいたいのだ、と集まっている人々から声が上がる。
「えー、あのですね、つまりここで待っていても、緊急通信が届いて迎えが来るまでに食料が尽きてしまうことになるのです」
「なんだ。それならみんなでスリープ状態に入ればいい」
「研究は途中になるが、まぁ仕方ない」
「非常事態じゃからの」
スリープ状態とは航行中の負担を減らすため仮死状態になることだ。宇宙人から伝わった新技術で、宇宙船には乗組員全員のスリープ装置がついている。画期的な装置で、何世紀も眠って過ごすことが可能だ。地上で眠り医学の発達を待つ人もいる。時間が過ぎるだけでなんの問題もない。
「それがその……スリープ装置を作動するにもメインエンジンが必要なのです」
ざわり、と空気がうごめいた。
「そんな!」
「だいたいどうしてメインエンジンがトラブルを?」
「わかりません。現在、原因を追求および修復可能か調べています。ただ、今のところ良い結果が得られていません。そこで皆様に、覚悟だけはしておいてもらおうと、集まっていただいたのです」
驚きと、軽蔑の響きをふくんだ叫び声があがる。いくらかの望みをもって氏を仰ぎ見ても、氏はそれ以上口を開かなかった。
つまり氏はこう言ったのだ。『もう地球には帰れない。ここで死ぬしかないのだ』と。
「嘘だと言って下さい、ミスター!」
「我々はもう一度地球に戻れますよね?」
「なぜ今ごろトラブルなんて」
「私がエンジンを直してやる! 案内してくれ!」
終わりそうにない騒ぎを抜けて、彼は自分の部屋に戻った。
驚かなかったと言えばウソになるが、皆ほど心が動かなかった。
時刻は、もうすぐ午前0時になろうというところだ。彼は無駄のない部屋の質素なベッドに横になると、すぐに眠りについた。
※
おい、あいつが有力じゃないか?
そうだな。あいつの代わりはいる。なら、こいつは?
ああ。それならここらのじじいどもはどうだ?
「……」
『憩いの場』に入った彼に一斉に鋭い視線が集まり、そして散った。
午前9時前にようやく目を覚ました彼は、憩いの場の異様な雰囲気に驚いた。立ちつくす彼の元へ疲れた目をしたエリタが駆け寄ってきた。
「エリタ、なにかあったのか? 招集もないのにこんなに人がいるなんて、初めて地球を見たとき以来じゃないか」
「なにかあったのかじゃないっすよ。昨日の、ほら」
「あぁ。それにしても、みんな、研究は?」
彼を部屋の隅に引っ張ってくると、エリタは声を落として言った。
「念のためエネルギィを無駄使いしないように研究室は閉鎖されたんです。次の連絡があるまでここか居住区で待機してるんすよ。それとこれは噂ですが、通信がとれるまで食料をもたせるために人を減らす案が出てるとか」
「減らすって……殺すのか? 仲間だぞ?」
「自分の生き死にがかかっていますからね。まぁ僕らは大丈夫でしょうが、分野がかぶってる研究者たちは気が気じゃないでしょう」
あらためて広間を眺めると、最近さっぱり話もしなかった同期の者が数人いた。長い間一緒にいるが、初めの顔合わせ以来、挨拶も交わしたことのない人のほうが多い。それでもここに来ているということは皆『打倒宇宙人』という同じ志があるからだ。その誰もが一様に不安を隠せていない。
(もしもこのまま帰れなかったら、わざわざ宇宙の果てまでやって来て違法の研究をしていたというのに、これまでの研究は無駄になるのか?)
彼は立ち上がると広間に背を向けた。エリタも慌てて立ち上がる。
「どこ行くんすか?」
「プトリ氏のところだ」
「制御室へ? なにしに?」
振り向きもせず歩いていく彼をエリタが追う。
居住区を通る道々すすり泣く声が響いていた。呪う声。罵倒する声。いつもは皆眠りに帰るだけの静かな場所なだけに、別の場所へ来たようだ。
これからどうなるんだろう、とエリタは考える。
サブエンジンが生きている限り電気や空気の心配はいらないと聞いた。
朝の速報によれば、メインエンジンは故障や劣化ではなく、この宇宙研究所制作時の根本的なミスらしい。幸い乗組員は専門外とはいえ科学者の集まりだ。数人が復旧作業にあたっている。だがまだ明るいニュースは流れてこない。メインエンジン、最速通信、スリープ装置はすべて地球外科学である新技術の代物だ。地球人に理解できる形で発表されたことがなく、直せるとしても時間がかかるだろう。
(新技術はやっかいなんだよな。技術的な方程式が理解しづらいのはもちろん、地球で作り出せない特殊な物質を使ってるいることが多い。もしそれが足りないとなると、もう打つ手はないということに……)
「いい案があるんすよね?」
嫌な考えから逃れようと、エリタは目の前の男に集中する。彼は静かに口を開いた。
「俺には親代わりの博士がいたんだ」
いきなり始まった彼の話に、エリタは黙って耳を傾ける。
「このプロジェクトを計画した一人だ。でも計画したのに自分は行けないと嘆いていた。まぁもういい歳だから仕方ない。それで博士は俺を登録したんだ」
それで僕より早かったんだ、とエリタは納得した。
「それだけでは飽き足らず、博士はこの宇宙船の設計図を見ながら俺と一緒に行ったようなシミュレーションまでした。設計図を見ながらあれこれ想像する博士は、それは楽しそうだったよ……」
彼は在りし日の博士を思い出して途切れていた言葉を、エリタの視線に気づいて続けた。
「博士はドラム缶を見て『これは接続部をうまく外せば簡易宇宙船になるだろう』と言った」
ドラム缶とは、大きなドラム缶に似た形に見える宇宙船にくっついている倉庫のことだ。危険な研究結果や完成品の兵器が厳重に保管されている。
「マジっすか? エンジンもついてないのに?」
「『最強の保管場所』というだけあってシェルター機能が使われている。あれなら外壁が強固でまさに最強だ。後は勢いさえつければ」
「なるほど!」
ぱっとエリタの顔が明るくなった。
「倉庫を爆発させてエンジンの代わりに船を動かそうって言うんすね!」
「そうだ。ただ、うまくいくかどうかわからない」
「リスク高いっすよね。もう少しすればメインエンジンが回復するかもしれないし、今すぐ試す必要ないでしょ」
「あぁ。だけど早く倉庫をどうにかしないと。もしもおまえが口減らしのために死ぬことを強要されたらどうする?」
「えぇ? そんなことないでしょうけど、もしもっすよね? う~ん、ムカつくからいっそここごと壊しちゃえ~って」
エリタの表情が凍りついた。
「ヤバイっすね」
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