第二夜

キアラ ①うんざりした日常

~魔法はない現実世界に似た世界で暮らしている女子大生視点です~


 大学の講義室に入るなり友人に手招きされた。今日提出の課題でもあったかと慌てて隣の席に着くと、友人は耳に口を寄せて言った。


「モトコの彼氏、見かけない女と腕組んで歩いてたわよ」


 話の内容以前に、朝一番からそんな話題を振ってきた友人にうんざりした。

 友人はいかにも気の毒そうに続ける。


「こんなこと言いたくないけど、彼氏の目的、また博士の研究データじゃないの」

「マサキはそんな人じゃないよ」

「えー。マサキ君も研究員でしょ。アヤしいわよ」


 以前つきあっていた男も都市から来た研究員だった。付き合い始めて間もなく、男の目的が家に残された父の研究データだとわかった。以来、マサキはもちろん、友人も家に入れないようにしている。


 心配無用だと言いかけて、やめた。友人の顔は好奇心で一杯だ。今日一日、マサキをネタに盛り上がるつもりだろう。


「私、帰る」

「ちょっと。授業はどうすんのよ。モトコってば」


 友人の高い声に、講義室にいる生徒の視線が集まる。急いで講義室から出た。

 講義に集まる生徒の波を逆流していると、いつものように、ひそひそ声が耳に入ってきた。


「あの子でしょ。シズル博士の娘」

「秀才なんだろ。こんな大学に来なくてもいいのに」

「博士は亡くなったんだっけ?」

「行方不明。でも、もう何年たつよ? キャラウェ狂のことだ。遺跡の中で死ねるんなら本望なんじゃないの?」


 玄関ホールまで一息に早足で抜け、停まっていたスクールバスに飛び乗った。駅に戻る乗客はモトコだけだ。定刻通りバスが走り出す。

 流れる景色を見ながら、いつの間にか止めていた息を、ゆっくりと吐き出した。


 モトコの父、シズルが失踪してから五年が経った。考古学者のシズルは失われた古代文明キャラウェの第一人者だ。村だったこの町の下に、半世紀かけてキャラウェ遺跡を発見した。爆発的に増えた観光客と研究員で、村は町になった。


 五年前、当時六十八歳のシズルは遺跡の発掘現場で行方不明になった。当時の発掘現場はもぐらの穴のように入り組んでいた。捜索隊は、シズルは道に迷って死んだのだろうと結論づけたが、シズルの遺体は今も見つかっていない。


 父は今も生きている。モトコは妙に確信していた。「キャラウェの謎を解くまでは死ねない」と話していたのだ。きっと今日にでも、謎を解いて帰ってくるに違いない。


 だから大学も家から通えるところにした。シズルの部屋もそのまま置いてある。キャラウェ研究所からは、シズルの研究データを渡すように言われ続けていた。同じ研究員なのだからデータを共有するべきだと。


 同じ研究員というなら、もっとシズルを探してくれても良さそうなものだった。捜索は早々に打ち切られ、待っていたかのように研究所の体制が変わった。この町主体から、都市の意向をうかがうようになった。


 そんな研究所に協力する気はさらさらない。


 シズルを失ってからの研究所は目立った成果を上げていない。研究員を諜報員にしてでもシズルのデータが欲しいのだろう。


 バスを降り、家に向かう足が止まる。このまま家に帰っても、余計なことばかり考えてしまいそうだ。


「あの、すみません」


 声をかけてきたのは見知らぬ女性だった。


「この辺りにガーデンカフェがあるって聞いたんですけど、どこか教えてもらえませんか?」


 観光客だ。モトコは笑顔を作った。


「いいですよ。入り口がちょっとわかりづらいんです。私も今から行くところだから、一緒に行きましょう」


 助かります。女性は屈託ない笑顔を見せた。

 女性は、Tシャツにジーンズと気さくな感じだが、どことなく都会の匂いがする。

 道すがら、女性は都市で働きながらの一人暮らしで、有給を使って遺跡巡りの小旅行に出るのが趣味だと話してくれた。


「再現されたキャラウェ遺跡を見たくてたまらなかったの。今日は朝イチで見に行ったのよ。緑の山に、あの赤い屋根が見えた時は震えがきたわ。よくぞ再現してくれたって感じよ」


 遺跡再現の指揮をとったのも父シズルだ。モトコはこそばゆい気分になった。


「キャラウェ文明の象徴でもある、赤屋根と白壁の平屋は、そりゃあもう素敵だったけど」


 観光客は言葉を確かめるように続けた。


「中がちょっとね。再現されたのはキャラウェ時代の神殿でしょ? それにしては、神殿内部の調度品がちぐはぐな印象なのよね。忠実に再現したってパンフレットには書かれていたのに」


 女性の趣味が遺跡巡りというのは本当らしい。


「鋭いですね。安心してください。神殿自体は忠実に再現しています。ただ内部は、町の特産品で飾っているんです」


「どうしてそんなことを」


「元になった遺跡の状態が悪く、内部が崩れていたためです。でも神殿に訪れる方は、『神』を求めていらっしゃるので、せめて雰囲気だけでもと苦肉の策なんですよ」


 実際は少し違った。

 発掘された神殿の内部はがらんどうだったからだ。あとから、目隠しのように幾重にも布が垂らされていたとわかったが、それでは地味だと都市の方から指導が入り、わざとらしい神殿が演出された。シズルがいれば許さなかっただろう。


「ほら。そのパンフレットにも、『内部詳細は推定』って、断り書きがあるでしょう」

「この但し書き、そういう意味だったの」


 女性は肩をすくめて笑った。


「困ったわ。私ね、実際に遺跡を見たら、ひらめきで『キアラ』が解けるんじゃないかと期待していたのよ。身のほど知らずでしょ」


「とんでもない。解けたら、ぜひこの町にも教えてくださいね。パンフレットに連絡先も書いてありますから。あ、着きましたよ」


 美しく刈り揃えられた緑の向こうに、ガラスの建物が見える。


「ここは中央公園でしょ?」

「ガーデンカフェは公園内の飲食サービスのことなんです」


 目に入らなかったわけね。女性は苦笑した。


「でも、素敵なところね。ここでじっくり『キアラ』を考えてみるわ」

「それなら温室がいいですよ」


 ガラスの建物を指すと、一緒にと誘われた。

 温室には町の人もいるだろう。断わると、女性はお礼を述べ、温室へと歩いていった。


 ガーデンカフェの受付は温室と林の二ヶ所にある。当初の目的は、増える観光客のゴミ軽減だった。町特産の焼き物に乗せて出される軽食は、食器を戻せば返金されるし、希望すれば新しい食器を持ち帰ることもできる。今ではすっかり定着して、町の住人にも評判がいい。


 林の受付に向かって、ゆるゆる歩く。湿った風に葉が揺れて立つさざなみのような音が心地良い。


 腕を組んだカップルとすれ違い、友人の言葉を思い出した。今日はもう余計なことは一言も聞きたくない。受付で注文を済ませ、人のいない場所を探す。


 今ごろ、あの観光客は『キアラ』を解いているだろうか。町の人さえいなければ、一緒に『キアラ』について話したかった。


 小さなテーブルにつき、鞄から古いノートを取り出す。開き癖のついたページに、『キアラ』を原文で書いてある。キャラウェ文明独特の象形文字も、長年慣れ親しんだモトコは読み書きができる。


 『キアラ』は遺跡から出土した石版に書かれた文章の一節だ。


   キアラは絶大な力を持つ

   何者にも侵されない

   キャラウェの要

   繁栄と滅亡の鍵を握る


 キャラウェ文明の文章は、四行で書かれた象形文字を一定の法則に沿って並べ替えることで幾通りもの意味を持つ。一種の暗号だ。


 『絶大な力』という説明から、キアラは『神の力』といった未知の力か、今は衰退した『科学の力』だと推測されている。通称『キアラ』と呼ばれるこの四行を解けば、キアラがどんな存在なのか具体的にわかるはずだ。もしかすると、キアラが眠る場所も特定できるかもしれない。


 現代とは違う発展を遂げた古代文明の秘密に、研究者はもちろん、企業も国も注目している。


 並び替えの法則を発見するには、より多くの石版の解読が必要だ。町の下に眠る巨大なキャラウェ遺跡の発掘は、今も続いている。


 シズルがいた頃はモトコにも石版を見せてもらえたが、今は研究員が独占している。


 マサキは、モトコが望めば発見された石版の内容を教えてくれる。モトコがキャラウェについて話せる、数少ない貴重な相手だ。だから友人の話を聞いたとき、むしろ利用しているのは自分だとモトコは思った。


 しかしマサキにも妙な点がある。


 マサキは異常なほど人目を気にしていた。二人が会うのは暗くなってから。デート先はいつも遠方で、それも町から一緒に出かけることはなく、目的地で落ち合う。


 人目を避けたいモトコにはありがたかったが、あらためて考えるとおかしい。別に女がいるのだとすれば辻褄が合う。


 二股なのか、直接マサキに聞いてみようか。


 でも、一度言葉にしてしまえば、今の関係には戻れないだろう。そう思うと、とても聞くことなどできない。


「やっと見つけた」


 背後で明るい声が響いた。

 待ち合わせだろうか。それに比べて私は……。思わずため息がもれる。


「モトコ」


 はずんだ声で名前を呼ばれて振り返ると、にっこり笑う少女と目があった。

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