キアラ ③いつもの呼び出し
首を振って出口のない思考を止め、包丁を握り直す。誰かのために食事を作るのは久しぶりだ。少女は幼い。味付けに気をつけよう。
残されたキアラは部屋の観察に戻っていた。
「これはショモツ。これもショモツ。これは?」
キアラは小さなフォトアルバムを見つけた。
アルバムには今と変わらないモトコがたくさんしまわれていた。キャラウェ遺跡の写真もある。数枚、楽しげな場所での写真があった。モトコの隣には同じ男がいて、モトコは嬉しそうに笑っている。
「……」
「キアラー。できたよー」
キアラが台所に入ると、長いテーブルの上に、湯気の出るお皿が並べられていた。
「おなかすいてたから手抜きにしちゃった。さ、座って。食べましょ。口に合うといいんだけど」
モトコと横並びに座って、キアラは果物の入ったパンケーキに手をのばした。
すっかりテーブルが片付くと、モトコは食後のお茶をいれた。
快い音と香りが広がる。漂う湯気を一心に目で追うキアラを見て、モトコは自然と微笑んでいた。家でこんなにくつろげたのは何年ぶりだろう。
「不思議ね。一人で食べるより、二人で食べる方がおいしい。私ね、父がいなくなってからずっと一人だった。あ、母は小さい頃に死んだのよ。でも、父がいなくなるまで、この古い家を広いなんて思ったことなかった。キアラ、今日はあなたと一緒にいて楽しかった。ありがとう」
「そんなに喜んでもらえるのなら、ずうっと一緒にいてあげるわ」
まじめに答えるキアラがおかしくて、聞き返した。
「ずっと?」
「ずうっと!」
「嬉しいわ」
キアラを抱きしめながら、でも、とモトコは思う。私はもう『永遠』なんてありえないって知っているのよ。
鳥の羽ばたく音に我に返った。
「手紙だわ」
小窓にとまった白い鳥の足には筒がついている。この町で、有線電話の次に早い連絡手段だ。
キャラウェの要
ふたりの思い出の場所に眠る
西に7 天に3
……は近くに……
手紙の文はキャラウェ語で書かれていた。
一瞬シズルの字に見えたが、確証はできない。象形文字は誰が書いても同じように見えるのだ。
「これ、写真の文と同じ?」
「同じなのは一行目だけよ。一行目が『キアラ』の三行目とまったく同じね。暗号文にしてあるんだろうけど、最後の一文がはっきり読めないから、他の解釈をできないわ」
「誰からなの?」
「わからない」
もう一通手紙が重なっていた。
元気か?
ひまなら遊びにおいでよ
二通目の手紙はマサキからだった。
こうなると、一通目もマサキが書いたことになる。暗号ゲームのつもりなのか、新しい石版が見つかった知らせかもしれない。
友達が言っていたことが引っかかるものの、石版が見つかったのなら早く知りたい。
「キアラ。悪いけど、私ちょっと出るから」
「手紙の人に会いに行くの?」
「そう。いちおう『恋人』だからね」
「コイビトってどういう人なの」
「え……っと」
モトコは考え考え、口に出した。
「お互いにお互いを好きで、ずっと一緒にいたいなぁって思う人のことよ。一緒にいると、楽しいし、嬉しいし、ほっとするの」
「わたしとモトコもコイビト?」
「ちょっと違うわ」
「どうして?」
「一般的に『恋人』って男と女の間で使う言葉なのよ。私とキアラの場合は女同士だから、『友達』とか『親友』とかね」
「うん。わたし、モトコのトモダチ」
「そうね。悪いけどもう行くわね。家の中はどこでも自由に歩いてくれてかまわないわ。あ、それとも帰る?」
「ううん。モトコを待ってる」
「遅くなるかもしれないけど、気にせず寝てていいから。ふとんはあっちの部屋。お風呂はこの廊下の向こうだから」
「わかった」
「なるべく早く帰るようにするけど」
「早く帰ってきてね」
目を輝かせるキアラに見送られ、モトコはどこか幸せな気分で家を出た。
※
「やぁ」
マサキは相変わらず言葉少なくモトコを迎えいれた。
キャラウェ遺跡の研究員は、自らの研究が一段落するまでキャラウェの町に住み込む。2LDKのアパートの部屋のほとんどが、研究資料で埋まっている。
「テレビ見る?」
モトコは久しぶりにテレビのスイッチを入れた。画面では、見知らぬ女性がニュースを読み上げている。
湯気の立つお茶を机に置くと、マサキはそっと口づけてきた。
「今日もきれいだね。新しいペンダント似あってるよ」
マサキはモトコのすぐ隣に腰をおろした。
「ありがと。それにしても、珍しいこともあるものね。昼間に手紙くれたの、初めてじゃない?」
「そうだった? たまたまだよ」
どうだか。でも今は不毛な会話はしたくない。
「発掘は進んでるの?」
「今はアリ塚をしらみつぶしに調査してる。いいかげん、地図を作るらしいよ」
「いまさらな話ね」
シズルが行方不明になった時点で作ってしかるべきものだ。だいたいマサキと話すようになったのも、進展しない父親の捜査にじれて、シズルの手がかりを調べるためだった。それももう聞かなくなったけれど。
「ねぇ。今日の手紙だけど、あれってどういう意味で」
残りの言葉はマサキの唇にふさがれた。
マサキがモトコを呼び出すのは、そういう気分の時だけだ。諦めたように目を閉じる。
そうして、ゆっくりと時間が流れていった。
……りりりりり ……りりりりり
電話の呼び出し音が、うたたねしていた二人を起こした。
マサキは起きあがって、隣の部屋にある電話の受話器をとったようだ。
「はい。……ああ、今忙しいからまた後で」
受話器を置いた音を確認してから聞いた。
「誰なの?」
「研究員。タイミングの悪いやつだ。起こしてごめん。もう少し眠ろう」
「ううん。帰るわ」
「もう? 来たばっかりじゃないか。もう少しいろよ」
衣服を身につけ始めたところを抱きしめられた。
「だって、キアラが待っているもの」
「キアラ!?」
抱きしめられた腕に力が入った。
「名前よ。とってもかわいい女の子なの。今日はうちに泊まるみたい」
「なんだ。素敵な名前だね」
「そうでしょ」
帰りの乗り合いバスに揺られる間、電話のことがモトコの頭から離れなかった。
あの電話は女からだ。やはりマサキには他にも女がいる。でも別れたくない。ただ、この気持ちが、好きだからか、寂しいからだけなのか、モトコにはもうわからなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます