キアラ ④思い出の場所
「ただいま」
キアラが寝ていたら起こすと悪いと思ったモトコは、小声で言ってそっとドアを閉めた。
「モトコー」
奥から声が響いた。キアラは写真の部屋にいるようだ。
「遅くなってごめんね。退屈だった……」
部屋は、棚から引っ張り出されたアルバムで埋め尽くされていた。
「ってことはなかったみたいね」
「たくさんモトコを見つけたわ。チチも、コイビトも」
「……もう遅いから寝ようか。お風呂はどうする? 私はもういいからシャワーだけでも」
「一緒じゃないならいい。モトコともっと話したい」
「じゃ、父のベッドで寝ながら話しましょうか」
寒くはないが気温は低い。
ふたりは少し湿り気のあるベッドに入った。
「キアラ、もっと着ないとカゼをひくわよ」
「これでいい。モトコを近くに感じる」
しっかりと寝間着を着たモトコとは対照的に、キアラは下着だけだ。お国柄かもしれないので、あまり強くは言えない。
「わかったから。あんまりくっつかないで」
「『オンナドウシ』だからいいでしょ」
「まあね」
「オトコの方がいいの」
「そんなわけじゃ……!?」
触れていたキアラの身体が、すぅっと硬くなっていった。
「キア……ラ?」
キアラは少女から青年の姿に変貌していた。
「これでどう?」
声も低い。モトコはベッドから飛び出た。
「あなた……いったい何者なの」
「さぁ。わからない」
出会った時とまったく同じ態度に、かえって冷静になれた。少女の姿に戻ってもらうと、再び一緒にベッドに入った。
「キアラはどこから来たの」
「わからない」
「キアラが覚えていることってある?」
「ん――。雨の音。気持ちのいい風。気がついたら立っていた。まわりを見たら長い黒髪が目に入った」
「私ね」
「モトコを見たとき、『この人だ』って感じたの」
モトコはそっとキアラに頬をよせた。
「いいよ。キアラが何者でも。どうして私と一緒にいてくれるかわからなくても。私はキアラといて楽しいから、それでいい」
「うん。ずうっと一緒だよ」
キアラに抱きしめられると、胸があたたかくなった。
「なんだか眠くなっちゃった。キアラも寝ましょ」
言葉通り、モトコはすぐに寝息をたて始めた。そんなモトコの鼻に、キアラは形の良い鼻をくっつけた。
「モトコはわたしのトモダチだから。わたしのできること、なんでもしてあげる」
モトコに寄り添い、キアラも目を閉じた。
※
――キアラ。
キアラ?
ずうっと昔にも同じように呼ばれていた。
でも、こんなに優しい響きじゃなかった。
――キアラったら。起きて。
モトコだ。
モトコだから優しく聞こえるんだ。
キアラは目を開けた。
部屋は香ばしい匂いで満ちていた。キアラは匂いの元である台所に向かった。
「モトコ、これって、なんのにおい?」
「おそようキアラ。パンの匂いよ。もうお昼まわっちゃった。あんまり寝てたら目が腐るわよ」
「本当?」
真剣にキアラが聞き返したので、モトコはふきだした。
「ウソよ。でも、寝過ぎたら疲れちゃうわ。さ、ごはん食べましょう」
机の上には焼きたてのパン、小さく切った果物、バター、スープが並べられていた。
「りんごジュース、オレンジジュース、それともミルク、どれがいい?」
「モトコと一緒」
「じゃ、ミルクにするけど、いい?」
「うん」
二人は昨日と同じように席についた。
「モトコ。今日もどこか行くの?」
「キャラウェに行こうとは思ってるんだけど。キアラも一緒に行く?」
「行く」
「今の季節はマスコミも少ないし、ゆっくり見られるから、久しぶりに近くで見たくて」
「モトコ、マスコミ嫌い?」
「嫌いって言うか、質問されるから困るのよ。父がいなくなってから、父への質問が全部私にまわってくるの。私は研究員じゃないのにね。研究員と気まずくなったの、マスコミのせいでもあるから」
「モトコはマスコミに会わずにゆっくりキャラウェを見たいのね」
「できれば、研究員の人たちにも会いたくないわ。まあ、これは無理だけど。発掘は今日も行われているでしょうからね」
食後、さっそく二人はキャラウェ遺跡の発掘現場に向かった。
湿った風が花の香りを運んでくる。天候は定まらないけれど、寒くもなく暑くもないこの季節を、モトコは嫌いじゃなかった。
キアラは道にあるすべての物に興味を示し、あれはこれはとモトコに質問したり触れてみたりで、なかなか進まない。
「キアラー。もうすぐキャラウェが見えるわよ」
丘を歩く虫に目をとられて離れてしまったキアラに呼びかけると、坂の下からキアラがかけのぼってきた。
「もうすぐよ、キアラ。前を向いていてね」
十歩ほど歩くと、丘の頂上がえぐれているのが見えた。
丘から向こうは、ぽっかりとすり鉢状に大きな穴が空いている。穴には螺旋状に細い道がおよそ2mの間隔で造られている。道に沿った高さ2mの壁には、無数の横穴が空けられていた。
「ここは、あの写真の場所?」
「そうよ。写真を撮ったのはずいぶん前だから、横穴の位置や数は違うけどね。なにしろ掘った先で色々みつかるものだから、崩れない程度にたくさん掘るのよ。本当はここの土を全部どかしたいんだけど、町が崩れちゃうから、ちょっとずつ掘り続けているの。一度空けた横穴をふさいで、その隣を掘って、またふさいでの繰り返し」
「ふぅん」
二人はしばらく巨大な穴を見下ろした。横穴には、無数の研究員が出たり入ったりしていて、まさにアリ塚のようだ。
「手紙」
沈黙を破ったのはキアラだった。
「昨日、モトコに届いた手紙。あの最初の手紙が見たい。モトコ、手紙持ってる?」
「家に置いてきたわ」
「どこ? 取ってくる」
「今から取りに戻るの?」
「わたしが行くわ。教えて。どこに置いたの」
「一緒に寝た部屋の、丸いテーブルの上に」
「わかった。待ってて」
「え、私も一緒に」
モトコが言い終える前にキアラの姿が消えた。
キアラはモトコの家にいた。
思うだけで実現する。それは自分の名前も忘れたキアラが唯一覚えている能力だった。
「テーブルの上。あった。あの写真も」
キアラは壁から写真を外した。
手紙と写真を手にしたキアラは、もうモトコの前に現れていた。
「キアラ、いきなり消えないで」
「それより写真を見て。どこで撮ったの?」
「もう。……どこって正確にはわからないわよ」
写真の中の幼いモトコは、強い日差しに眉を寄せている。
モトコは穴の北側下方を指した。
「あの辺だと思うけど」
「あそこね」
「でも、ここって年々深く掘られているから、写真の道がどこかなんて、はっきりしないわ。だいたい、どうして、いきなり写真の位置なんて知りたくなったのよ?」
「ここを見たら、手紙の文の『西に7 天に3』は、ここの穴のことじゃないかなって思ったの。なら『思い出の場所』は写真の場所でしょ?」
キャラウェの要
ふたりの思い出の場所に眠る
西に7 天に3
……は近くに……
「あの手紙は父からだってこと? 示されているのは、父の居場所かキアラの位置なの?」
「わからない。でも手紙の場所に行けばわかる」
「そうね」
「さ、行こう」
キアラは地面を蹴って宙に浮くと、モトコに手をさしのべた。慌てて首を横に振る。
「私は飛べないわ」
「飛べるよ」
キアラに引かれ、穴の方に身体が傾いだ。
落ちるっとモトコは思わず目を閉じた。風は感じるものの落ちている様子はない。
モトコはそっと目を開いた。身体はすでにすり鉢穴の上空にいた。
下まではどれくらいあるのだろう。怖くて見ることができない。キアラを握る手に力がこもる。
「大丈夫。わたしの手を離しても落ちないよ。モトコ一人でも飛べるから。飛んでみる?」
「う……ん」
おそるおそるキアラから手を離す。最後の指が離れても浮いたままだ。
足場があるのかと下をのぞき込むと、なにも無かった。高さに、へなへなと腰が落ちる。身体全体が泥に沈むように、ゆっくりと下がっていく。
「キ、キアラ。落ちてるんだけどっ」
「『飛べる』って信じて。モトコが『飛べない』って思ったら落ちちゃうよ」
「そ、そういうものなの?」
ようやく一人でも飛べるようになった頃、おかしなことに気づいた。
眼下では、今もたくさんの研究員が働いている。仕事中でゆっくりと空をながめる者などいないけれど。
「どうして誰も私たちに気づかないの?」
「モトコがゆっくり見たいって言ったから、私たちのことを見えないようにしているの」
「そんなこともできるのね」
「なんだってできるわ。今すぐ気づくようにすることもできるけど」
「それはやめて! このままでいいの。本当よ」
あらためて景色を見下ろした。
穴はもちろん、町全体が一望できる。町すら模型のようだ。
「夢みたい。キアラってすごいのね」
「こんなことなんでもないわ。でも、モトコが喜んでくれるなら、いつだってしてあげる。なんでもね」
キアラは写真を宙に投げあげた。
写真はどんどん広がり、現実の道と重なるまで大きくなった。写真は半透明になり、アリ塚が透けて見える。
「モトコは手紙を解きたいって願った。だから解くの。穴が合うところを探そう。きっとある」
さっそくキアラは、端の方に飛んでいった。
モトコも、写真とアリ塚を見比べる。まるでアリ塚の道に立っている気がした。こんな風に期待する気持ちでアリ塚を見上げるのは、いつ以来だろう。
ふと、懐かしい歌を思い出した。
どこーにいるの あなーのおくで
おひーめさまは ずーっとまってる
歌に導かれるように、写真を撮った日のことが鮮明に蘇った。
あの写真を撮る直前、父と一緒にキャラウェを歩いていた。
『パーパ、キーラどこ?』
『キアラはね、ここに眠っているんだよ』
『キーラねむってるの。ずっと? いつおきるの?』
『いつかなぁ。明日かもしれないし、一週間後かもしれない。もしかしたら、何十年後かもしれないね』
『キーラさみしくないの? モトコだったらさみしい。そうだ。モトコともだちになる』
『おいおい、友達って。キアラは』
『ねむってたらなれないね。どうしよう』
『……』
『そうだ。おきるまで、さみしくないように、たからものをかしてあげる。ともだちになるって、やくそくのしるし』
『たからもの?』
『うん。モトコのだいじな』
「大事な、母さんの形見」
母が死んで間もなかったあの頃、父と離れたくなくて、毎日キャラウェに来ていた。神殿をお城だと思っていた幼い私は、キアラという言葉を聞いて、お姫様の名前だと思いこんだ。キアラ姫の物語を想像して遊んでいた。
どうして忘れてたんだろう。
あのでたらめな歌も毎日歌ってた。私が待ってるんだから、早く起きてって。きっと、母が死んだ自分とキアラを重ね合わせていたんだ。
「……どこーにいるの、あなーのおくで」
「呼んだ?」
目の前の少女は、当時の自分が想像していたお姫様に似ている。幼い容貌なのは、当時の自分が友達と望んだからだとすれば。
あなたは、あのキアラなの?
「キアラは私の『友達』なのね」
「なにか思い出したの?」
「うん」
当時の発掘途中、硬い部分に当たり、この先はもう掘らないだろうと埋めることになった。そこに母の形見を、キアラと友達になる約束のしるしとして、一緒に埋めてもらった。
その場所で写真を撮ったのだ。
モトコは横穴のない壁を指した。
「『思い出の場所』はここよ。ここから『西に7 天に3』ということは」
すでに塞がれた穴もあったので見つけるのに手間取ったが、二人は目的の横穴を見つけた。休憩中なのか奥にいるのか、この横穴付近に研究員はいない。
「入るわよ」
横穴は、二人が歩くにはちょうどいい大きさだった。並んで立って歩けるくらいの幅と高さがある。
「モトコ。この穴って、どこまで続いてるの?」
「わからない。でも大丈夫よ。父の事件以来、迷わないように、外との道は一本だけって決まっているの」
足音が妙に大きく響く。
どこからか、穴を掘る音が聞こえる。穴には一定の間隔で明かりが置かれているが薄暗く、目をこらさなければ地面も見えない。
キアラは夜目が利くのか、迷いのない足取りで進んでいたが、立ち止まった。
「道、わかれてるよ?」
キアラの目線の先をじっと見つめると、確かに小さな横穴があった。
「いったん戻りましょう。ちゃんと準備をしないと、父みたいに迷って出られなくなるわ」
二人は文字通り飛んで家に帰った。
「懐中電灯、ロープ、いちおう非常食も」
リュックに詰めていくモトコを、イスに腰かけたキアラは、ぶらぶらと足をゆらしながら待っていた。
「モトコ。手紙」
小窓にいつかの鳥がとまっている。
鳥は、一羽ずつ特殊な笛の音に呼ばれるように訓練されている。手紙を預かると、飼い主の家まで届けてくれる。
会えるかな?
待っている
マサキだった。
昨日の今日で手紙が来ることは今までなかった。なにかあったのだろうか。
「コイビトから? 行ってきたら?」
「キャラウェはどうするのよ?」
「明日でもいいじゃない」
「でも。父かもしれないのよ」
「チチじゃないかもしれない。それにモトコはコイビトのところに行きたいんでしょ?」
その通りだった。今は、五年も音沙汰のなかった父よりも、マサキの方が気になる。
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