第22話 蜘蛛は逃げ蟻は食われる

 「この糸は魔法で作られたものか!」


 「左様。魔物の種類によってはこのような魔法も使えるのです」


 「なるほど、勉強になるな」


 「虚勢を張るのはおよしなさい。人間の力でその糸から逃れることは出来ませんよ」


 「人間の力ならな」


 アルはそう言うと呪文を詠唱し始める。


 「我が手に宿りし魔界の獣よ……」


 「させませんよ」


 アナンシが指を動かす。と糸が生き物のように動き、アルの口を塞ぐ。


 「むっ!」


 「召喚魔法を使って糸から逃げようとしても無駄です。黙って詠唱を見ているわけがないでしょう」


 『くそっ!』


 アルは歯ぎしりをして悔しがった。このままでは敵の思うままだ。


 「さて、死なない程度に痛めつけてあの方の元へ……」


 『舐めやがって』


 アルの心に怒りの火が燃える。と、体までが熱くなってきた。特に紋章のある右手が焼けるように熱く感じる。


 『何だ?』


 突然の体の異変に戸惑う。が、なぜかこのままこの熱さを高めていくことが今の状態を打破するのに必要だと勘が告げる。もっと体の中から力を絞り出すような感じで……


 「むっ!」


 アルに近づいたアナンシが異変に気づき、足を止める。甲冑を付けたアルの右手から煙が立ち上っている。しばらくすると、右手の甲冑が赤くなってはじけ飛ぶ。その下から黒い炎が立ち上り、アルの体を拘束している蜘蛛の糸を焼き切った。


 「これは!」


 「うおおっ!」


 燃え落ちた糸から抜け出し、口を塞いでいた糸を剥ぎ取ったアルが剣を抜いてアナンシに迫る。


 「追い詰められて覚醒しましたか。厄介ですね」


 剣を躱し、アナンシが呟く。


 「流石に魔力を使いすぎました。ここは退くとしましょう」


 アナンシがそう言い右手を上げると、指の先から糸が伸び、屋敷の二階に張り付く。そしてその糸に引っ張られるように体が宙に浮かんだ。


 「待て!」


 「私たちの裏をかいたつもりでしょうが、あのお方は賢明です。今頃は大司教も無事ではいないでしょう」


 「何だと!?」


 「またお会いできるとよいですね、では」


 アナンシはそのまま屋根を伝って宙に身を躍らせる。悔しげにそれを見上げるアルだったが、今の彼には追う手だてがなかった。


 「アル殿、ご無事ですか?」


 そこに先ほど仲間を連れて行った聖騎士が現れ、声を掛ける。別の聖騎士数名を引き連れている。


 「何とかな。敵には逃げられた。さっきの奴は?」


 「医療班に引き渡しました。危険な状態のようです」


 「そうか。すまんが馬を借りられるか?新しい甲冑も頼む」


 「はあ。しかしもう夜も遅いですよ。どちらへ?」


 「フランシスへ戻る。……遅いかもしれんがな」


 アルはそう言い、腹立たしげに地面を蹴った。





 「さてそろそろ覚悟を決めてくれたかな?」


 漆黒の刃をかざしながら男が迫る。荒い息を吐きながらアリエルの前に立ちはだかるユリナの体はあちこちが切り裂かれ、修道服が赤く染まっていた。男は一撃で仕留めることはせず徐々にユリナの持つ棍を短くしながら彼女をいたぶって楽しんでいるようだった。


 「もういいです、ユリナ助祭!あの男の狙いは私なのですから、あなたは逃げてください!」


 泣き顔でアリエルがユリナの体を揺すりながら言う。


 「ご冗談はおやめ下さい。大司教様を見殺しにして逃げたとあっては聖女の名折れ。死後楽園に行くことも叶いません」


 ユリナが男を睨みながら笑う。


 「ふ、聖女の鑑、と言いたいところですが、ただの無駄死にでしかないですな」


 男がとどめを刺そうと刃を振りかざす。


 「残念だが無駄死にはお前の方だ」


 いきなり声が聞こえ、男の声が止まった。


 「誰だ!?」


 「貴様のようなゲスに名乗るような安い名前はない!!」


 そう声が聞こえたと思うと、アリエルの後ろにある窓がいきなり割れた。驚く一同の目にその窓から飛び込んでくる一人の男の姿が映る。


 「え?こ、ここ二階ですよ!?」


 ユリナが目を丸くして叫ぶ。それを気にもせず、男は服に着いたガラス片をぱんぱんと叩いて落とす。まだ若い、二十歳そこそこの男だった。金髪に整った面立ちマスクをしている。


 「おお!これは失礼。お嬢さん、お怪我はありませんか?」


 金髪男はアリエルの服に着いたガラス片を払いながら大げさに恭しい態度を取る。


 「あ、あなた、一体何者です!?アリエル様から離れてください!」


 「いや、これは失敬。しかし心配はいりません。自分はあなたたちを助けに参ったものです」


 「助けるだと?何を寝言を。何者か知らぬが邪魔をするなら……」


 「ああ、黙っていろ。か弱い女性をいたぶるような奴には一秒でも早く消えてもらいたいのでな」


 魔蟻ピサント使いの言葉を遮り、金髪男がユリナの前に出る。


 「ふざけるな!貴様も漆黒の刃の餌食となれ!」


 激昂した魔蟻ピサント使いが刃を振りかざす。が、その動きが突然ピタリと止まる。


 「な、何だ、どうした!?」


 「怯えているのさ。その刃を侵食している蟻んこたちがな」


 「怯えるだと!?バカな。只の人間を魔蟲バグが恐れるなど」


 「俺じゃない。俺の背中にいるこいつに怯えてるのさ」


 金髪男はそう言って上着を脱ぎ、背中を向ける。


 「な、それは!」


  魔蟻ピサント使いだけでなく、アリエルやユリナまでが驚いて息を呑む。金髪の背中には羽を広げかけた鳥の紋章が浮かんでいた。


 「魔鳥バードだと!?」


 「そう。魔燕スワローだ。蟲は鳥の餌と相場が決まってるだろう?」


 「くっ!」


 不利を悟ったのか、魔蟻ピサント使いが背を向け、逃げようとする。が、振りかざした刃が動かず一瞬のけ反りそうになった。


 「逃がさないよ。神速にして賢明なる天空の使いよ。卑しき欲望の穢れを喰らえ」


 「くっ!」


 刃を手放し走り出そうとする男。しかしすでに遅かった。


 「飛燕瞬殺行フライング・キラー!」


 目にも止まらぬ速さで黒い影が飛び出し、魔蟻ピサント使いの背中を貫く。悲鳴を上げる暇もなく、体から血を噴き出して男はその場に倒れた。


 「な、何という事を!」


 アリエルが目を覆い、嘆息する。ユリナは落ち着いてはいたが、さすがに絶命した男を見下ろして顔をしかめた。


 「助けてくれた礼は言うが、アリエル様の目の前での殺生はいただけんな」


 「申し訳ございません。しかしこやつはおそらく私が追っている男の仲間、いえ、手下でしょう。人を殺すことなどなんとも思わぬ人でなしです。見逃せばまた大司教様のお命を狙うだけでなく、多くの人間が犠牲になるでしょう」


 「言いたいことは分かるが……。そもそもあなたは何者だ?」


 「申し遅れました。私の名はエリオット・ステラー。訳あってこの男の一味を追っている者です」


 「なぜここに?アリエル様が狙われていると知っていたのですか?」


 「はい。こやつらが新しい大司教様を狙っているという情報を掴みまして、動向を探っていたのです。大司教様がここからザペングに向かったと聞いたのですが、それにしては町の様子が物々しかったので、もしやまだこちらに滞在なさっておられるのではないかと」


 「鋭いですね。しかしよくここが分かりましたね」


 「教会にいらっしゃるのは予測できましたから。しかし危ない所でした」


 「あなたはアリエル様を狙う黒幕を知っているのですか?」


 「いえ、聖教会の内部の者であるとしか。その人物から命を受けたのが私が追っている男であることは分かっているのですが」


 「その男とは?」


 「通称、『二枚舌ダブル・タン』と呼ばれている男です。非正写本アポクリファルの製造の元締めと思われる奴でもあります」


 「非正写本アポクリファルの!?その男がどういう風体か分かりますか?」


 「筋肉隆々の大男で、右腕に魔獣ビーストを憑依させています」


 「まさか!アル君が追っている……」


 「アル?アルマーをご存じで?」


 「あなたもアル君を?」


 「直接の面識はありませんが」


 「アルさんは先日、私を助けて下さったのです」


 「ほう、彼も奴が大司教様を襲うことを知っていたのですか?」


 「私が協力を頼んだのだ。別の町で私の同僚の聖女と知り合った縁でな」


 「なるほど。裏に二枚舌ダブル・タンがいると睨んだか。中々鋭いな。師匠が気にされるだけのことはある」


 「師匠?」


 「アルに会えたらお話します。彼は今どこに?」


 「それが……」


 ユリナはティアを身代りにした作戦のことを説明した。


 「ふむ。向こうにも刺客が行っている可能性がありますね。二枚舌ダブル・タンの手下には厄介な召喚者も多いようですから無事ならいいですが」


 「彼を信じるしかありません。それよりユリーネス助祭、傷の手当てをしなくては」


 アリエルの言葉でユリナは自分が傷だらけであることを思い出した。


 「医者を呼んできましょう。いくらなんでも立て続けに召喚者が襲ってくることはないでしょう」


 「下の様子を確認してもらえないか?おそらく全滅だと思うが」


 「分かりました。聖騎士団にも連絡した方がよさそうですね」


 「すまない」

 

 「お安いご用です。いや~しかし」


 エリオットがアリエルを見て相好を崩す。


 「大司教様がこんなに可愛い方とは。お目に掛かれて光栄です」


 「お前、目が怖いぞ」


 舐めるようにアリエルを見つめるエリオットに警戒感を露わにし、ユリナがアリエルの前に立ちふさがった。


 


 

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