第3話 天然聖女、無銭飲食を疑われる

 国民のほぼ全員が聖クリノア教を信仰し、教主を中心とした聖教会が実質国の指導権を握る宗教国家クリノア教国。聖都ラニスを中心としてそれを囲うように七つの大きな都市が存在している。ラニスと周囲の七都市は高い壁でぐるりと囲われ、町の外は荒涼たる大地が広がっていた。


 ラニスを含む大都市に共通しているのは町に川が流れていることである。木々もほとんど生えない砂漠に近いような荒れ地にあって、国内を流れる三本の川が人々の生命線であった。中央を流れる一番の大河メニウス川がラニスを含む三つの都市を、東のマルデ川が同じく三つの都市を、西のエンタリ川が二つの都市を縦断している。


 人々は川の恵みによって田畑を耕し、家畜を飼って慎ましやかな生活を送っていた。朝、昼、晩と日に三回聖クリノア教の神クリノアに祈りを捧げ、今日の糧と平穏を感謝する。ほとんどの国民がそれを励行していた。


 しかし人が多く集まれば道を外れよからぬことに手を染める輩が出てくるのが世の常であり、敬虔な信徒の多いクリノア教国においてもそれは例外ではなかった。各都市は川の流れと地形に合わせて各々造られたため地続きではなく、都市間を移動する際はある程度の距離の荒れ地を通ることになる。天候によっては一日二日で着けない都市も多く、当然その間には小さな町が点在するようになった。

 

 こういった都市間の町に自然に脛に瑕のあるような人間が集まり、犯罪の温床と化すことが多くなっていった。町が出来た当初は教会や自警団などが治安を維持しているが、徐々にそれが悪化し、いつしか聖職者もいなくなって無法地帯と化すことも珍しいことではない。


 エーリファが右手に召喚紋を持つ少年に出逢ったのもそんな町の一つ、アガリスのうらぶれた一角だった。


 「ぐあああっ!」


 焦げた傷口を押さえながらのたうち回る金髪男をおろおろしながらなだめようとするエーリファ。それを感情のない目で見下ろしつつ、少年は周囲に呆然と立つ金髪の手下どもに話を振る。


 「この様子じゃまともに話が出来なさそうだな。おいお前ら、こいつがどうやって魔蟲バグを召喚したか聞いているか?」


 「ア、非正写本アポクリファルを買ったって……言ってました」


 少年の右手の召喚紋を怯えた目で見ながら男の一人が話す。


 「誰から買った?」


 「それは……」


 男は口ごもり、視線をちらりと少年の背後に送る。少年がその視線を追って振り向くと、顔面が蒼白になったマスターの姿があった。


 「お前か」


 「ひいいいっ!」


 少年の冷たく鋭い視線を浴び、マスターが腰を抜かしてその場にへたり込む。


 「自分で非正写本アポクリファルを売りさばいておいて召喚者に怯えるとはな」


 「ゆ、許してくれ……」


 ガチガチと歯を鳴らしながらマスターが少年に懇願する。


 「許すも何も俺はお前が非正写本アポクリファルを売りさばいたことを責める気はない。ただ質問に答えてもらうだけだ。お前は自分の所で非正写本アポクリファルを量産したんだな?」


 「せ、せいぜい数十冊だ」


 「それの元になったのはなんだ?『黒の書』の正規写本マスターコピーか?」


 「ま、まさか!俺が手に入れたのも非正写本アポクリファルだ。俺はそれを書き写したに過ぎねえ」


 「やはりそうか。お前に非正写本アポクリファルを持ち込んだのは誰だ?」


 「す、素性は知らねえ。一年位前にふらっと店に現れて、非正写本アポクリファルを買わないかと持ち掛けてきたんだ。思ったより安値だったんで買ったまでだ」


 「どんな奴だった?男か?」


 「あ、ああ。背が高くて、ガリガリに痩せてて、ガイコツみたいな奴だったよ。声も陰気で気味が悪かったな」


 「そうか……」


 少年の瞳に落胆の色が浮かぶ。期待していた答えではなかったらしい。


 「来たのはそいつ一人だけか?仲間がいるような話はしていなかったか?」


 「一人だ。仲間の話なんぞは出なかった」


 「そうか。邪魔したな」


 少年は軽く嘆息し、脱ぎ捨てたマントを拾って歩き出そうとする。


 「ま、待ってください!」


 エーリファが厳しい顔で少年を呼び止めた。金髪は激痛に耐えかね失神してしまったようだ。


 「魔獣ビーストを憑依しているような方を見過ごすわけにはいきません!私と聖都に来てください。教主様にご相談してその召喚紋を消す方法を……」


 「そんな暇はない。それにこいつを消す気もな」


 「魔喰痕マークが肩口まで伸びているではありませんか!その黒い筋が心臓まで達したら……」


 「魔狼ガルムに魂を食われて死ぬんだろう?自分で召喚したんだ。それくらいは分かっている」


 「どうしてそんな恐ろしい真似を!」


 「あんたには関係ないことだ。あんた回収隊だろう?さっさとそこの髭おやじが作った非正写本アポクリファルを回収したらどうだ?」


 「それは勿論やります!でも神に仕える身としてあなたをこのまま放っておくわけにはいきません!」


 「放っておいてくれ。神様の罰とやらは魂が食われた後で甘んじて受ける」


 「現世で改心してください!」


 「無理だな。俺はもう悪魔に魂を売っている」


 少年は淡々と言い、エーリファを見ることなくその場を立ち去った。





 翌朝、少年はアガリスの数少ない宿屋の一つにいた。こういう場末の町にある宿屋は大抵一階が食堂、二階が客室になっており、ここも例外ではなかった。少年は昨夜借りた部屋を出て一階に降り、遅めの朝食を頼む。


 「見つけましたよ!」


 お世辞にも美味とはいいがたい食事に箸をつけていたその時、宿屋のドアを勢い良く開けてエーリファが入って来た。昨夜と違って修道服ではなく、地味な薄茶色のワンピースを身に着けている。ベールをかぶっていないので腰まで伸びた美しい金髪が目を引いた。一瞬誰か分からなかった少年だが、すぐに昨夜の聖女と気づく。そしてさすがに驚いた様子で息をハアハアと吐きながら近づく彼女を目を丸くして見つめた。


 「あんた、どうしてここに?」


 「ふふふ、昨夜あの時間から町を出るようなことは出来ないと思いましてね。今朝からこの町の宿屋を片っ端から探していたのですよ」


 「熱心なことだな。俺のことは放っておいてくれと言ったはずだが?」


 「はい、分かりました!なんて言えるわけないじゃないですか!?この任務に就いてから魔獣ビーストの召喚者なんて初めて見ましたよ!……あ、すいません、お水下さい」


 宿屋の従業員ににこやかに微笑み注文するエーリファ。少年は呆れたような顔でそんな彼女を見つめ、ため息を吐く。


 「まあ滅多にいるもんじゃないだろうが……。あんたの仕事は非正写本アポクリファルの回収だろう?俺のことなんぞに関わってる暇があるのか?」


 「それはそれ、これはこれです!……あ、どうも」


 エーリファは赤ら顔のウエイターが持ってきた水を受け取り、一気に飲み干す。


 「ふう~。今朝から走り回っていたので喉が渇いちゃいまして」


 「20マナだ」


 ウエイターがエーリファに手を差し出す。


 「ええ~!高くないですか!?相場の3倍近いですよ!?」


 「食い逃げ、いや飲み逃げは許さねえぜ、姉ちゃん」


 「俺が払う。だからさっさと消えてくれ」


 少年がうんざりした様子で硬貨の入った革袋を取り出す。


 「いいえ!あなたにおごって貰うわけにはいきません。……ちょ、ちょっと待ってください」


 エーリファが慌てながら体のあちこちをまさぐる。


 「あれ?あれあれ?あーっ!お財布修道服のポケットに入れたままだったー!!」


 「出るとこ出ようか、姉ちゃん」


 「ま、ま、待ってください。すぐに自分の部屋から取って来ますから」


 「はいそうですか、って逃がすバカがいるとでも思うのか?」


 「わ、私は聖教会に勤める聖女です。嘘は言いません!」


 「そんな格好で寝言言ってんじゃねえよ」


 「だ、だって修道服は昨夜血塗れになっちゃって……」


 「血塗れ?どうやら自警団を呼んだ方がよさそうだな」


 「ち、違うんです!ああ!君、説明して!」


 パニックになるエーリファを冷たい目で見ながら少年が黙って硬貨を取り出し、ウエイターに握らせる。


 「20マナだ。これでいいだろう。心配しなくてもこの女は無害だ」


 「何かあったら坊主が責任取ってくれんのかい?」


 「何もないさ。少なくとも俺がここを出て行けばな。宿代は前払いしてあるはずだ。荷物を取ってきたらすぐに出る」


 少年は朝食をほとんど残したまま席を立ち、二階に上がっていった。うるうると涙を溜めそれを見送るエーリファを周りの人間たちが胡散臭そうな目で見つめていた。


 

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