第2話 謎の少年、右手を解放する

 「何だ、まだガキじゃねえか。夜更かしは体に毒だぜ坊や。さっさと帰ってママのおっぱいでもしゃぶってな」


 金髪男がせせら笑う。


 「無駄口を聞く暇はない。とっとと答えろ」


 鋭い目で金髪を睨みながら少年が近づく。見た感じ十五歳前後にしか見えないが、見た目とは裏腹にひりつくような緊張感を漂わせている。


 「口のきき方ってのを教えてやらなきゃいけねえようだな」


 金髪が怒りの形相で手下に合図をする。数人のペイント男がナイフを抜き、少年を威嚇するように取り囲んだ。


 「謝るなら今の内だぜ。腕の一、二本で許してやってもいいんだからな」


 紫色の髪を立てた男が薄笑いを浮かべてナイフを舌でベロリと舐める。


 「素直に答える気はないか」


 少年は微塵も臆することなくそう呟くと、羽織っていたマントを投げ捨てる。中は萌黄色の袖なしシャツに砂色のズボンという軽装だ。しかし右腕の肩口から指先までをすっぽりと覆った包帯と右腰に下げたショートソードが異様に目を引く。


 「一丁前に得物をぶら下げてるのかい!」


 紫髪がナイフを振りかざして少年に襲い掛かる。少年は落ち着いた様子で初撃を躱すと、左手でショートソードを抜いた。


 「ガキがいきがるな!」


 攻撃をかわされた紫髪が吠え、振り返って再度ナイフを振ろうとするが、それより速く少年のショートソードがナイフを叩き落とし、さらに紫髪の肩口を切り裂いていた。


 「ぐわっ!」


 悲鳴を上げて倒れこむ紫髪。「てめえっ!」と怒号を上げて周りの男たちが一斉に襲い掛かるが、少年はいともたやすく複数のナイフをあしらい、逆に男たちの肩や膝を斬りつけて動きを奪っていく。


 「いっぱしの腕をしているようだな」


 金髪が体のあちこちを押さえてうずくまる手下たちを見ながら舌打ちをする。


 「いけません!暴力は何も生みません。そこの君、いたずらに人を傷つけることは神の教えに反しますよ!」


 しばし呆然としていたエーリファが我に返り、少年に語りかける。


 「武器を捨て話し合いましょう。争いは不幸を生むだけなのです。どちらも物騒なものは置いて」


 「ふざけるな!ガキにここまでコケにされて黙っていられるか!」


 金髪が怒鳴り、魔蟲バグを宿した左手を少年に向ける。


 「そこらのチンピラ相手ならまだしもケンカを売った相手が悪かったな。これが分かるか?魔界に棲む蟲だ。俺はそいつを三匹も宿している」


 「俺はそいつをどうやって手に入れたか訊いているだけだ。それに虫けらを三匹飼っているくらいが何だという」


 「こいつの恐ろしさが分かってねえようだな!てめえはやりすぎた。死ね!……暗き澱みに巣食いし魔の蟲たちよ。我が意に応え我が魂を黒き炎と変えよ……」


 「いけません!闇の力を人に向けるなど!」


 エーリファが叫び、少年の前に立ちふさがる。


 「邪魔だ、どいていろ」


 しかし少年は慌てる様子もなくエーリファを押しのける。


 「いけません!あれは危険な力なんです。……連続して使いたくはなかったですが」


 意を決したようにエーリファは一度ぎゅっと目を閉じる。再び開いたその目は金色に変わっていた。


 「やめておけ」


 そう言って少年がエーリファの目に手を当てて、無理やり閉じさせる。


 「な、何をするんです!?」


 「聖なる瞳ホーリーアイズは寿命を縮めるんだろう?人に説教しておいて自分で命を粗末にする気か?」


 「ど、どうしてそれを!?」


 「いいからどいていろ。虫けらの火などなんでもない」


 「何をごちゃごちゃ言ってやがる!まとめてくたばれ。魔蟲黒炎波ワームフレイム!!」


 金髪の手から黒い炎が放たれ、少年に向かう。エーリファを突き飛ばした少年は何を思ったか飛んでくる黒炎に包帯の巻かれた右手を差し出した。


 「気でも違ったか!腕一本で召喚魔法の炎が防げるとでも……」


 金髪が嘲りの声を上げる。その言葉通り黒い炎は少年の右腕に纏わりついたかと思うと勢いよく燃え上がった。


 「きゃあっ!」


 エーリファが悲鳴を上げる。おろおろと辺りを見渡し、先ほどから成り行きを見つめていたマスターたちに向かって助けを求める。


 「み、水を持ってきてください!」


 「落ち着け。この火が普通の水で消せないことくらいあんただって知ってるだろう」


 パニックになるエーリファに対し、腕が燃えている少年の方は至って冷静のまま佇んでいた。


 「悲鳴を上げねえとは見上げた根性じゃねえか。しかし全身を焼き尽くされても澄ました顔のままでいられるかな?」


 「残念だがそうはならん」


 少年が淡々と言う。すると右腕で燃えていた黒い火は巻かれていた包帯を焼き尽くすと、そのまま消えていった。


 「ん?威力が足りなかったか?」


 金髪が怪訝そうな顔をする。本来なら腕から体に燃え移って全身を黒焦げにしているはずだ。


 「手が!すぐに手当てしないと!!」


 火が消えた後の少年の右腕を見てエーリファが慌てて駆け寄る。彼の腕は真っ黒に染まっているように見えた。


 「必要ない。よく見てみろ」

 

 少年の言葉に一瞬きょとんとした顔になったエーリファだが、改めて彼の腕をじっと見つめると、驚きのあまり目を丸くして叫び声を上げた。


 「そんな!まさかこれって……」


 「あん?」


 金髪も違和感を覚え、じっと少年を見る。少年が右手の甲を向けると、その顔が一気に青ざめた。


 「なっ!?」


 少年の右手の甲にはほぼ全体にわたって黒い紋様が浮かんでいた。それは獣の横顔のように見える。さらにそこから太い黒い筋が肩へ向かって伸びていた。少年の腕が黒く焼け焦げたように見えたのはそのためだったのだ。


 「しょ、召喚紋だと!?しかもそれは……」


 「あなたまさか魔獣ビーストを!?}


 「そういうことだ。魔蟲バグの火など俺の魔狼ガルムにとってはそよ風のようなものだ」


 「何と言う事を!!あなた、分かっているのですか?魔獣ビーストを憑依させるなど自殺行為に等しいのですよ!まして魔狼ガルムなどという強力な魔獣ビ-ストを」


 「無論知っている。誰かに憑依させられたわけではない。自分の意思で召喚したのだからな。それはあんただってよく分かっているはずだ」


 「しょ、正気かてめえ!?魔蟲バグだって相当寿命を縮めるって聞いたのに……」


 金髪が怯えた顔で少年を見つめる。さっきまでの威勢は完全に消え去っていた。


 「さて、正気かどうかは自分でも分からん。それよりそろそろ質問に答えてもらおう。お前の言う通り魔獣ビーストを憑依させる危険度は魔蟲バグとは比べものにならんが、当然その力も桁違いだ。試してみるか?」


 「ガ、魔狼ガルムの召喚魔法なんぞ使ったら命が幾つあっても足りねえぞ。は、はったりはよせ」


 手下たちの手前みっともない所は見せたくないのか、金髪が精一杯の虚勢を張る。だがその声は傍から見たら笑ってしまうくらい震えていた。


 「心配いらん。もう何度も使っている。信じられんなら見せてやろう。話は他の奴に聞くとするさ」


 「ま、待て!」


 「我が手に宿りし魔界の獣よ。我が意に応え我に仇なすものを漆黒の牙にて喰らえ……」


 「ダメです!やめてください!!」


 エーリファが少年にしがみつくようにして詠唱を止めようとする。だが少年は軽くそれを振りほどき、右手を大きく体の上に振りかぶった。


 「暗黒咆哮波ハウリング・ダークネス!!」


 「うわああああっ!蟲よ!蟲よ!蟲よ!我を守る黒き壁となって……」


 パニックになった金髪が早口で詠唱を唱える。その金髪に向かって少年が腕を振り下ろす。その右手から黒い狼のシルエットが飛び出すと、口を大きく開いて宙を切っていった。


 「ひいいいっ!!」


 魔蟲バグを憑依させた左手を突き出した金髪が絶叫する。黒い獣のシルエットが消えると、金髪はまだそこに立っていた。が、左手の中央の三本の指が消失している。黒い筋が伸びていた手首の辺りも切り裂かれたようになっており、おびただしい血が地面に滝のように流れ落ちていた。


 「ぎゃあああっ!!」


 激痛に悲鳴を上げ、金髪は自らが作った血だまりの中に膝を付く。周りの手下たちは顔面蒼白でその様を見つめていた。


 「魔法を詠唱していたのが幸いだったな。蟲が食われただけで済んだか」


 「い、痛ええええっ!!」


 「素直にしゃべる気になったか?」


 「なんという恐ろしいことを!大丈夫ですか!?」


 エーリファが急いで金髪の元に駆け寄り、指が消失した左手を取る。血だまりに膝を付いて修道服が血まみれになることなど少しも気にしていない様子だ。胸元から白い布を出すと手早く手首を縛り、失血を抑える。


 「自分を殺そうとしていた男にまで優しいことだな。流石は神の御使いだ」


 「出血がひどいです。すぐお医者様に診てもらわなくては。呼んできてください」


 エーリファが手下たちに向かって言う。


 「こ、こんなところにまともな医者なんざいやしねえよ」


 手下の一人が震えながら答える。


 「ああ、なんてこと……」


 エーリファが泣きそうな表情で苦痛に顔を歪める金髪を見つめる。


 「仕方ないな、どいていろ」


 少年がため息をつき、金髪の前に立つ。そして手首を握りしめるエーリファをどかせると、小さく詠唱を始めた。


 「我が手に宿りし魔界の獣よ。我が意に応えて穢れを焼き払え。魔狼焦熱波バーニング・ブレス


 少年の右手の人差し指から炎が滴のように垂れ、金髪の左手に落ちる。ジュッ、という音と肉の焼ける嫌な臭いと共に金髪の絶叫が響き渡る。


 「ぎゃあああっ!!」


 「な、何を!?」


 エーリファが慌てて火を消そうとするが、それより早く炎は鎮まった。


 「傷口を焼いて止血した。これ以上失血はしないだろう」


 血だまりの中を転げまわる金髪を見下ろし、少年は冷徹な口調で言った。

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