魔獣紋の少年と天然聖女

黒木屋

第1話 天然聖女、場違いな所に来る

 うらぶれた町の裏手にある酒場。安酒をあおる男たちはどれも凶悪な顔つきでまともな人種とは思えない連中ばかりだ。夜も更け、自警団の人間さえ外出をためらうそんな時と場所に、とんでもなく似つかない人間の姿があった。


 「あの~、少しお伺いしたいことがあるんですが」


 スイングドアを開き酒場に入って来たその人物を、店中の人間が凝視した。この荒くれ者たちの巣窟と化した町ではまずお目にかかることのない人間だ。


 「おいおい、まさかこんなところに聖女様かよ。ガキの頃以来だぜ、見るのは」


 赤い顔をした男の一人が下卑た顔で彼女に無遠慮な視線を送る。他の男たちも物珍しそうに明らかに不似合いな場所に入って来たその少女を見つめていた。


 「はあ。聖教会で聖女を務めさせていただいておりますエーリファと申します。え、っとここのご主人は……」


 エーリファと名乗った少女は優しい笑みを浮かべ、酒場の中に歩を進める。歳の頃は十七、八といったところか。全身純白の修道服に身を包んでいるのが聖教会に属する聖女であることを物語っている。すっぽりとベールをかぶっているので髪の色や長さは分からないが、かなり整った顔立ちをしている。こんな場所でなくても否応なく人目を引く美少女だった。


 「聖女様がこんなところに何の御用ですかい?あいにくうちはミルクはお出ししてませんでね」


 左右不ぞろいの口ひげを生やしたマスターらしき男がカウンターの中からエーリファを胡散臭そうな顔で睨みながら言う。それを聞いて周りの男たちが下卑た笑い声を上げた。


 「申し訳ございません。飲み物の注文ではございませんの。こちらで非正写本アポクリファルを取り扱ってらっしゃるという噂を耳にしたのですけれど」


 エーリファの言葉にマスターの顔色が変わる。同時にカウンター席にいた数人の男が立ち上がり、エーリファの周りに集まりだした。


 「何の話ですかな?うちはただの安呑み酒場でね。裏のルートで手に入れた酒を出すことはあるが、それ以外やましいことはないですぜ」


 引きつった顔をしながら精一杯平静を装い、マスターが答える。


 「あら、そうですか。間違いであれば申し訳ありませんが、一応倉庫などを調べさせていただいてよろしいですか?教会からの捜索許可証は持参しておりますので」


 エーリファは胸元に手を入れ、一枚の羊皮紙を取り出して広げる。教会の紋章に大司教のサインが入った正式な書類だ。


 「てめえ!『回収隊』か!?」


 スキンヘッドの巨漢が叫び、エーリファにごつい手を伸ばす。が、胸倉を掴もうとしたその手は触れる寸前で弾かれ、男は顔をしかめながら痺れた手を押さえる。


 「はい、世間ではそう呼ばれてるようですね。正式には『非正写本焚書特別隊アポクリファル・イレイザー』というのですが、長いですからね。あ、ちなみに私には聖器レリックの加護がありますので、乱暴な真似は出来ませんよ?」


 「ちっ、おい!連中を呼んで来い!」


 マスターが顎をしゃくって指示を出し、痩せた男が一人酒場を飛び出していく。エーリファは穏やかな笑みを浮かべたままカウンターの中に進み、奥にある扉に手を掛けた。


 「お、おい、勝手に触るな!」


 「申し訳ありませんが任務ですので」


 悪びれる様子もなく扉を開け、中を覗き込むエーリファ。その後ろから男が棍棒を振りかざし、彼女の頭めがけて勢いよく振り下ろした。


 ガキッ!


 しかしスキンヘッドの手と同じように棍棒はエーリファに当たる直前で停止し、男の体ごと後ろへ弾き飛ばされてしまう。


 「ですから無駄なのですよ。……ここはお酒の貯蔵庫のようですね。非正写本アポクリファルを製本している様子はないですし、別の場所を見せていただきましょうか」


 何事もなかったかのようにカウンターから出るとエーリファは店の入り口の方へ戻っていく。


 「さっき拝見したところ、裏手に小屋があるようですね。あちらを見させていただきます」


 「させるか!」


 先ほどのスキンヘッドがどこに隠していたのか巨大な戦斧バトルアックスを振りかざし、エーリファの行く手を阻む。


 「いくら神様の加護でもこの重量が受け止められるか!!」


 「あらあら困りましたねえ。聖器レリックの加護は完璧なはずですが、さすがにそれは重そうです。仕方ありません。手荒な真似は嫌いなのですが」


 顎に指を当てて少し首をかしげたエーリファが、かっと目を見開く。その青い瞳が金色に変わったかと思うと、そこにエメラルドグリーンに光る紋章のようなものが浮かび上がった。


 「がっ!」


 その瞳に見つめられたスキンヘッドが目を見開き、意識を失う。そのまま振り上げた戦斧バトルアックスごと後ろに倒れこんだ。


 「兄貴!」


 店にいた男たちが声を上げる。ナイフを抜いてエーリファに襲いかかる輩もいたが、その刃先はことごとく弾き返された。


 「頭を打っていなければよいのですけど。手当をしてあげてくださいね」


 青い瞳に戻ったエーリファが穏やかな口調で言い、店の外に出る。マスターを始めとした数人の男がその後を追って飛び出す。


 「待て!」


 マスターが叫ぶ。と、エーリファの行く手から数人の男が夜の闇の中を駆けてくるのがガス灯の明かりの中に見えた。


 「呼んできましたぜ!」


 先ほど酒場を出て行った痩せ男がマスターに叫ぶ。


 「待ってたぜ!お前ら、こいつは『回収隊』だ。片づけてくれ」


 マスターが痩せ男が引き連れてきた連中に向かって叫ぶ。まだ二十歳前後の若い男たちだ。髪を刈り上げ、顔には色とりどりのペイントを施している。とてもまともな奴らには見えなかった。


 「けっ!聖女様か。……いい女じゃねえか。片づける前に楽しませてもらっても構わねえだろ?」


 「確実に仕留めてくれれば何でもいい!後続が来る前に証拠を移動できる時間を稼げればな」


 「あらあら、それは自白と受け取ってよろしいですか?」


 「澄ました顔をしていられるのも今のうちだぜ、聖女様。まずは動けなくなってもらおうか」


 ペイント男の一人が柄の両側に刃の付いた小さな斧をエーリファの足めがけて投げつける。斧は回転しながらエーリファに迫るが、やはり直前で弾かれ、地面に落ちた。


 「ほお、そいつが何とかっていう神様の加護かい。普通の武器は通らねえようだな」


 リーダー格と思しき背の高い金髪男が、前に進み出てにやりと笑う。


 「よく御存じですね。その通りです。攻撃は無駄ですのでおとなしくそこを通してください」


 「まあ慌てるなよ聖女様。本当に無駄かどうかこいつを見てから判断するんだな」


 金髪はそう言って左手にはめていた黒い手袋を外す。するとその指先が、真っ黒に染まっているのが見えた。さらによく見れば中央の三本の指の爪に何か虫のような黒い模様が浮かんでいる。そこから手首に向けて黒い筋がそれぞれの指から延びていた。


 「それは!あなた、魔蟲バグを召喚したのですか!?」


 エーリファが初めて笑みを無くし、驚きの声を上げる。


 「その通りだ。こいつの攻撃はさしもの神様の加護でも防げねえんだろ?」


 「何ということを!もう手首まで魔喰痕マークが伸びているではありませんか!このままでは……」


 「何、まだしばらくは大丈夫さ。俺は元々長生きなんぞに興味はねえしな」


 「いけません!命を粗末にするような真似をしては。神もお許しにはなりません」


 「俺の心配より自分の心配をしたらどうだ聖女様?さっきのこいつのセリフじゃねえが、まずは痛い目を見てもらうぜ。……暗き澱みに巣食いし魔の蟲たちよ。我が意に応え我が魂を黒き炎と変えよ……」


 「いけません!おやめなさい!」


 「魔蟲黒炎波ワームフレイム!!」


 呪文を詠唱した金髪男の左の中指から黒い炎が放たれ、エーリファに向かって飛んでいく。咄嗟に身をかわしたエーリファだが、炎の一部が修道服を掠め、左腰の一部が黒く焼け焦げた。


 「うっ!」


 チリチリとした痛みにエーリファの顔が歪む。金髪は愉快そうに笑いながらさらに指を彼女に向けた。その中指から延びる黒い筋はわずかに手首に向かって長くなっていた。


 「くっ、こっちも痛みが来るのが難点だよな、こいつは」


 金髪男が顔をしかめる。腰を押さえながらエーリファは悲しそうな顔でそんな相手を見つめる。


 「すぐに聖都へ行きましょう。教主様であればその魔蟲バグを取り除くことも出来ます」


 痛みに耐えながらエーリファが出来る限りの微笑みを浮かべて優しく諭すように言う。


 「冗談はやめてくれよ。俺はこいつの力で今の地位を手に入れたんだ。こいつを手放す気なんてさらさら無えんだよ」


 「や、闇の力で得たものは……人を幸せには出来ません」


 「『回収隊』でも聖女様は聖女様か。そんな辛気臭い説教を聞く気なんざ……」


 金髪男がそう言いながらエーリファに近づこうとした時、彼女の背後からこちらに近づく人影があることに気付いた。目を凝らすと、ボロボロのマントを羽織り、首に巻いた布が顔の下半分を覆っている。ボサボサの黒い髪と鋭い眼光だけが見て取れた。男であることは間違いないようだが、それ以上のことはよく分からない。ただ得体の知れない雰囲気を纏っている事だけはその場にいる皆が感じ取っていた。


 「魔蟲バグか。お前、それをどうやって召喚した?非正写本アポクリファルか?どこで手に入れた?」


 マント男が金髪に向かって尋ねる。声の感じからしてまだ若い男のようだ。


 「何だ、てめえは!?」


 「答えろ」


 男は首に巻いた布を取り、男を睨みつける。その顔はまだ少年といっていいものだった。


 

 


 

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