第21話 絡みつく闇

 夜の帳が下り、月明かりが町に降り注ぐ。教会の窓からその輝きを眺めながらアリエルはため息を吐いた。


 「いかがなされました?アリエル様」


 ユリナがテーブルのカップを片付けながら尋ねる。


 「大丈夫でしょうか、彼女は。やはり身代わりなどお願いするべきではなかったのでは、と思って」


 「アル君や聖騎士が付いておりますし、一応エリーもおります。最初から敵の中に飛び込むと分かっていればよほどのことがない限りあの子を危険に晒すようなことはしないでしょう」


 「ならいいのですが」


 「ここも完全に安全とは言い切れません。やはり泊まる場所を変えた方がよろしかったのではありませんか?」


 「聖教会の中に内通者がいると言うならどこに行っても危険なのは同じでしょう。せめて無関係の方に被害が出ないようにしたいのです」


 「そのお考えはご立派ですが……」


 そう言いかけたユリナの動きが止まる。……何かおかしい。そんな気がした。ひりつくような空気が肌に刺さるような感覚。回収隊の聖女としてそれなりに悪意の中に身を置いてきたユリナは危険を察知する能力が身についていた。


 「どうしました?」


 緊張した面持ちでドアの方を睨むユリナにアリエルが声を掛ける。その耳にギシッ

、ギシッというきしんだ音が聞こえてくる。誰かが階段を上がって来るのだ。


 「アリエル様、お下がりください」


 ユリナがアリエルを庇うように前に出る。この雰囲気、少なくとも友好的な人間のものではない。階下にはこの教会の聖職者だけでなく、聖騎士も数名待機していたはずだ。ということは彼らは既に……。


 「ユ、ユリナ助祭……」


 アリエルにもさすがに気づいたようで、震えながらユリナを見つめる。その怯えた目が見つめる先で部屋のドアがギィ、と音を立てて開く。


 「ほほほ、こちらにおりましたか。あのお方の慧眼、さすがですね」


 ドアの後ろに立っていたのは暗い銀髪を無造作に伸ばした陰気な印象の男だった。ボロボロのコートのような服を着て、ポケットに手を突っ込んでいる。くぼんだ目が暗く光り、奥で怯えるアリエルを見つめていた。


 「何者です?ここは神聖なる……」


 「くく、そう緊張しなくてもよい。邪魔さえしなければお前は生かしておいてやってもよいのだ」


 「邪魔?何の邪魔です?」


 「そこの大司教を殺す邪魔だ」


 「冗談は顔だけにして下さい。そんなことをさせるわけがないでしょう」


 ユリナが傍らのこんを取って身構える。剣の扱いに慣れていないユリナが護身のために持っている木製の棍だ。


 「棒切れで私を止める気かね?」


 男があざ笑うように口を歪め、懐から歪な形の刃物を取り出す。大きく湾曲した刃が鈍い光を反射する。


 「出来るだけお下がりください、アリエル様」


 棍を構え、息を吐くユリナ。男はそんな彼女を見ながらぶつぶつと何かを呟く。


 「黒き群れよ、我が刃に群がれ。群れよ群れよ群れよ、黒き侵食によりて仇なすものを喰らえ」


 その呟きに呼応するように男の持つ刃物の刃が徐々に黒く染まっていく。しばらくするとすっかり刃は漆黒に変わった。


 「邪魔しなければ若い身空で死ぬことも無かったろうに」


 男が黒い刃を翳し近づいてくる。ユリナがそれを阻止しようと棍を突き出す。間合いはユリナの方が遥かに長い。


 「無駄なことを」


 繰り出される棍の突きを男が無造作に漆黒の刃で払う。焦るユリナは軌道を変え、横から大きく薙ぎ払うように棍を振るが、それも受け止められ、しかも漆黒の刃によって切断されてしまう。


 「しまった!」


 「焦りおったな。表面積の少ない突きの攻撃の方がまだ刃物に対しては有効であったろうに」


 男があざ笑いながらゆっくり近づく。悔しさに歯ぎしりをしながらユリナが短くなった棍を構え、息を整える。


 「アリエル様、お下がりを!」


 再度そう言い、棍を構えて男に近づくユリナ。格闘は不得手だが、聖器レリックの加護は発動している。何とか敵の攻撃を躱して間合いに飛び込めば……


 「無駄なことを」


 ユリナが棍を振り下ろそうとした直前、男が一気に間合いを詰め、刃物を横に払う。咄嗟に飛び退くが、漆黒の刃が掠め、修道服の胸の辺りが切り裂かれた。さらに鋭い痛みが走り、血が滲む。


 「そんな!エリーほどではないにしろ、加護は発動しているはず!」


 痛みに顔を歪めながらユリナが動揺した声を上げる。深い傷ではないが、敵の刃は直接彼女の体に届いたのだ。


 「聖器レリックの加護か。普通なら防がれるだろうが、こいつには無力に近いわ」


 男が刃を突き出しながら笑う。よく見ると漆黒に染まった刃の表面が細かく蠢いている。小さな黒い物体が無数にたかっていることにユリナはその時初めて気づいた。


 「召喚魔法!?魔蟲バグ!」


 「その通り。この刃には今無数の魔蟻ピサントが群がっておる。刃そのものを侵食しながらな。こ奴らの食欲は旺盛そのものだ。例え聖器レリックの加護であろうと喰らう程な」


 「なら暫くすればその刃は魔蟻ピサントに喰いつくされてしまう訳ね」


 「そういうことだ。だがそれまで耐えることが出来るかな?」


 男は笑いながらさらに間合いを詰めた。





 「ここがマクナール卿の屋敷だ」


 ザペングの詰所から案内してきた聖騎士が目の前の広い屋敷を指して言う。アルとフランシスから来た聖騎士は彼に礼を言い、マクナール卿の屋敷の門を叩く。


 「聖教会の者です!マクナール卿はお帰りですか!?」


 聖騎士が叫ぶ。が、返事はない。アルと顔を合わせ頷くと、門に手をかける。あっさりと門は開いた。


 「一応ここじゃ名士なんだろ?門番もいないというのは不用心すぎないか?」


 アルの言葉に聖騎士も困惑したような顔で頷く。何らかの抵抗があると予想していたのだ。


 「入るぞ」


 アルが先頭を切って敷地内に入り込む。慌てて聖騎士二人が続いた。


 「うっ!」


 正面玄関の前まで来て、アルが思わず声を漏らす。玄関前に二人の男の死体が転がっていた。格好から見て使用人、おそらく門番だろう。


 「自分の家の門番を殺す理由がマクナールにあるとは思えん。急ぐぞ」


 嫌な予感を覚え、アルが玄関のドアを開ける。中は明かりが灯っておらず真っ暗だった。静まり返っているが、不気味な雰囲気が漂っていることにすぐ気付く。


 「うかつに入るな!!」


 アルが叫ぶのと、隣にいた聖騎士がいきなり倒れるのがほぼ同時だった。


 「ちっ!」


 アルがもう一人の聖騎士を後ろに押しのけ、ドアを閉める。次の瞬間、ドアに何かがぶつかる衝撃音が響いた。


 「お、おい、しっかりしろ!」


 押しのけられた聖騎士が倒れた同僚に声を掛ける。倒れた聖騎士の胸から喉には何本もの黒い針のようなものが刺さっており、アルたちが見えている前でそれが煙のように溶けて消えていく。


 「召喚魔法だ!離れろ!」


 アルがドアの前から横に飛び退き、聖騎士も慌てて反対側に跳ぶ。すると再びドアに激突の衝撃音が響き、無数の小さな穴が開いたかと思うとドアが破られ、ぽっかりと大きな穴が開いた。


 「残念、残念、一気に仕留めるつもりだったんですが、勘のいい方がいらっしゃるようですねえ」


 屋敷の中の暗闇から男の声が響く。ややあって建物内に明かりが灯る。声の主がランプを点灯したようだ。


 「あの魔蛇サーペント使いの仲間か」


 「ヒュドラをご存じとはもしや魔狼ガルムの召喚者ですかな?これは僥倖。さっき殺さなくてよかったです」


 「俺のことを知っている?あのお子様を襲った黒幕はアガリスの酒場の件も知っているということか」


 「中々頭も切れるようですね。さて、出来れば殺さずにあの方の元に連れて行きたいところですが」


 「あの蛇野郎も同じようなことを言っていたな。あの方というのはお前らのボスか?」


 「私は余計なことを話す気はありません。いざとなれば殺すこともためらいませんので」


 「それは俺も同じだ」


 ショートソードに手を掛け、じりじりと扉に近づきながら中の様子を窺う。明るくはなったが、視界に敵の姿はない。勿論こちらから無防備に入っていくわけにもいかないので、ドアを挟んだにらみ合いが続く。


 「そいつを連れて敷地から出ろ。ドアの前は通るな」


 アルが聖騎士に言う。聖騎士は頷いて倒れた仲間を引きずるようにして後ずさっていった。


 「相手の姿が見えんことには迂闊に攻撃も出来んしな」


 焦れながらアルが呟く。と、再び激突の衝撃音。今度はアルが立っている壁の前だ。アルは反射的に飛び退く。と、今まで立っていた前の壁が僅かに膨らみ、中から黒い針が壁を突き破って飛び出してくる。


 「この威力の召喚魔法を連続発動だと!?こいつら、一体どうなってやがる!?」


 「くく、まだ召喚魔法を使いこなしていないようですね。せっかくの魔狼ガルムも宝の持ち腐れという訳ですか」


 「どういう意味だ!?」


 「知らないならそれでいいのです。もうあなたは術中にはまっているのですから」


 「何!?」


 またも衝撃音がしてアルは移動する。と、その動きが急に止まる。


 「な、これは!?」


 体が動かない。いや、何かに張り付いたように動かせなくなってしまっていた。


 「かかりましたね。自分の周りをよーく見てごらんなさい」


 男の言葉に目を凝らすと、自分の体が何かに張り付いているように見えた。さらによく見るとそれは細い糸のようだった。それが縦横に走っているのだ。


 「蜘蛛の巣?」


 「その通り。私は魔蜘蛛アラクネの召喚者、アナンシと申します。よろしく」


 破られたドアが開き中から男が出てきた。アナンシと名乗ったその男は左手の甲にある蜘蛛の形の紋章をアルに見せながら不敵に微笑んだ。

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