第25話 黒の呪縛(後編)
「
「分からん。もう一冊あったのか、それとも親父が偽物を渡したのか。親父はたとえ
「今となっては確かめようもないものね。しかし現実に
「サンプル、という言葉から察すると、スナイダー大司教が持ち帰った
アリエルが考え込みながら言う。
「それで地下室に逃げ込んだあなたはどうしたの?火事が治まるのを待っていたとか?」
「まさか。火の勢いは物凄かったからな。あそこにいたら直接焼かれなくても蒸し焼きになっていただろう。しばらく様子を見ていたが段々と熱が籠ってきてな。どうにかできないかとあちこち探っているうち、偶然どこかの仕掛けに触れたんだろう、棚が横に動いてその後ろに隠し通路が現れた」
「隠し通路?」
「親父が何を考えてそんなものを作ったのは分からなかったが、その時の俺にとってはまさに天の助けだった。テーブルの上の
「
「ほとんど無意識だった。とにかく必死に通路を走り、突き当りまで行くと石の階段があった。それを上ったら空き地の枯れ井戸だった。俺は何とか逃げのびることが出来た」
「そんなことが……」
「君が『
「エリオットさんは誰を失ったのです?」
「それは……今はいいでしょう。これ以上話が長くなると彼が辛そうだ」
「え?」
「ふ、見抜かれて……いたか」
薄笑いを浮かべたアルの体がふらつき、倒れこみそうになる。
「アル君!」
ユリナが慌ててアルの体を抱き留める。
「ふ、情けないな。これくらいのことで」
「強がらなくてもいい。見たところ一晩中馬を走らせてきたんだろう?」
「何ですって!?……でも考えてみればそうか。アル君たちがザペングに着いたのは昨日の夕方だったはずだもの」
「向こうでも襲撃があったんだろう?おそらく『
「ああ。
「それでそのまま馬を飛ばしてここへ?」
「奴がここにも刺客が来ていると言い残していきやがったんでな」
「私たちのことを心配して……」
アリエルが泣きそうな顔でアルを見つめる。
「ふん、せっかくの情報源を……無くしたくなかっただけだ」
「いいから少し休みなさいアル君。隣の部屋が空いてるわ」
「お前はどうするんだ?変態」
「その言い方はやめてもらいたいな。僕はただ美しいものを美しいと湛えているだけだよ。しばらくここに留まろうかと思っている。さらなる襲撃がないとも限らないし、君にフランツ司教を紹介する約束だしね」
「ならお言葉に甘えて……少し休ませて……もらおう」
「アル君!」
そのままアルはずるずると床に体を横たえた。
気が付くとベッドの上だった。しばし頭がぼーっとしていたが、徐々に記憶がはっきりしてくる。
「つまらん話をしてしまったな」
独りごち、ふと横を見ると、泣きそうな顔のエーリファが座っていた。アルが目を覚ましたのに気付き、慌てて手を握る。
「起きましたか!体は大丈夫ですか!?}
「お前……ああ、ザペングから戻ったのか」
「はい。アルさんが夜のうちに馬を出したと聞いて無理を言って馬車を都合してもらったんです」
「ティアはどうした?」
「一緒です。今は隣の部屋に」
「そうか。……マクナールの奴はどうなった?」
「亡くなっていました。屋敷の中で」
「何?……口を封じられたか」
「アルさん。私は恐ろしいです。あんなに簡単に……人の命を奪うなんて。そんな人たちと戦わないでください」
「それは出来ん」
「ユリナに話を聞きました。孤児院のことやスナイダー大司教のこと……。アルさんが『
「親も故郷も知らない俺にとってあの孤児院は唯一の居場所であり、スナイダーの親父はただ一人の家族だった。いや、他の子供たちも兄弟のようなものだったが。それをあいつは一瞬で奪った。奴を殺すことが俺に残されたただ一つの生きる意味だ」
「そんな……そんな悲しいことを言わないでください。あなたはまだ若いじゃないですか。魔法を捨てて平和に暮らしてほしいとスナイダー大司教も思っているはずです」
「親父はそう言うかもしれんがな。これは俺の気持ちの問題だ。……あの変態にも同じことを言ってみろ。俺と同じ返事をするだろう」
「変態?ああ、エリオットさんですか。確かにちょっと変わってる人みたいですけど、アリエル様とユリナの命の恩人ですし、その言い方はどうかと」
エーリファがそう言った時、アルたちがいる部屋のドアが勢いよく開けられ、ティアが飛び込んできた。ふう、と息を吐いた後、アルが目を覚ましているのに気付き、ベッドに駆け寄って来る。
「アル!起きたの!?よかった……」
「ティアか。お前も無事で何よりだ」
「どうしましたティア?なんだか慌ててるみたいでしたけど」
「アル~。あのエリオットって人何とかしてよ。私のことをやたら可愛い可愛いって言って褒めちぎるんだよ。何だか目が怖くって」
「これでも変態じゃないと?」
アルの言葉にエーリファは困った顔で苦笑いを浮かべた。
「フランツ司教の所に行くならどうあっても同行させてもらいます!」
厳しい顔でユリナがエリオットに迫る。アルの体調が回復した後、町の食堂に集まったアルとエーリファ、ユリナ、アリエル、ティア、エリオットの面々は食事をしながら今後のことを話しあっていた。近くの席には護衛の聖騎士が数名待機している。
「あなた方がいたら司教は僕の前に姿を現しませんよ。先ほども言いましたが、彼を捕まえさせるわけにはいきませんし」
「こっちにも立場ってもんがあるのよ!」
「まあ落ち着いてください、ユリーネス助祭。エリオットさん、今の状況を鑑みればフランツ司教にはどうしてもお話を伺う必要があります。しかしあなたの言う通り『黒の書』の持ち出しが彼でないというのなら、こちらも無理やり拘束するようなことはしたくありません」
「ですがアリエル様、本部からは捕縛の指示が……」
「大切なのは真実を明らかにすることです。このまま司教に会うことも出来ないより、お話だけでも聞けた方が有意義だと思います」
「その歳で柔軟な考えが出来るのだな。メガネも少し見習ったらどうだ?」
「その呼び方やめて!……確かにアリエル様のおっしゃることは尤もですが」
「どうでしょうエリオットさん。フランツ司教にお話だけでも伺えるよう取り計らってもらえませんか?こちらは決して司教を拘束するような真似はしないとお約束します」
「はあ。アリエル様がそうおっしゃるなら」
「ですがアリエル様を聖都にお連れするのも重要です。只でさえもう一日予定から遅れてますし」
「教会便で事情は知らせていますが、あまり遅くなるのも困りますね」
「それにここらでもたもたしていたら奴らの絶好の的だ。内通者がいるとはいえ、聖都に入った方が安全なのは確かだろうな」
アルが肉を頬張りながら言う。
「そうですね。中央大聖堂に入ればいかに内通者でもおいそれと手は出せないでしょうし」
「ここでフランツに会いに行く者とこのお子様を送り届ける者に分かれるのは得策ではないだろう。わざわざ戦力を分散させることになる」
「同感です。ここはまずアリエル様を聖都に送り届け、それからフランツ司教に会いに行くのがよいかと」
「ちょっとアル君、さりげなくアリエル様をお子様って言ったのを流さないでくれる?不敬にもほどがあるわよ」
「そうだよアル。失礼だよ」
「ああ、僕としたことが自然に答えてしまった。そうだぞアル君。この愛らしいアリエル様をお子様などと。罰当たりもいい所だ」
「あんたはちょっと黙ってて。気持ち悪いから」
「まったくどいつもこいつも。ガキをガキと言って何が悪い」
「あのね!」
「おやめなさい、ユリーネス助祭。私が子供なのは事実です。大司教などと立派な肩書を与えられても非力な子供であることに変わりはありません」
「いえ、アリエル様は立派な聖職者でいらっしゃいます。マストラでの素晴らしき奉仕活動の数々、私も聞き及んでおります」
「大したことはしておりません。それに私が働けたのもハンス司祭の助けあってのことです」
「そういえば司祭のご容態は?」
エーリファが心配そうに尋ねる。
「意識はしっかりしているとのこと。怪我が治ればすぐ復帰できるでしょう」
「よかった」
「とにかくアリエル様を聖都にお連れして、その後フランツ司教に会いに行く。これでいいわね?」
「異論はないが、メガネ、お前傷が治ってないだろう。ここに残ったらどうだ?」
「そういう訳には……。アル君たちが追っている男って
「回収隊はお前たちだけじゃないだろう」
「それはそうだけど……」
「アルさんのおっしゃる通りです。ユリーネス助祭、少しここで傷を癒した方がいいですよ」
「フランツ司教には私が話を聞いてくるから」
エーリファが笑みを浮かべながら言う。
「それが不安なのよね~」
「どういう意味よ!」
「メガネの不安は尤もだが、心配するな。俺もフランツには訊きたいことがある。ちゃんとお前たちが欲しい情報も聞き出してやる」
「アルまでひど~い!」
「あの、よろしいですか?」
エーリファが頬を膨らませたその時、聖騎士の一人がアルたちのテーブルに近づき声を掛ける。
「何か?」
「本部から通達がありました。ユリーネス助祭、エーリファ助祭の両名は聖都の『
「私たちに?」
「ボスのお呼びってわけか」
「『
アリエルがフルーツジュースを手に取りながら言う。
「はい。隊の創設者で
「バルデス……どこかで聞いた名だな」
アルがぽつりと呟く。
「とにかくこれで私も聖都に行かざる負えなくなりました。ご一緒させていただきます」
ユリナがそう言い、アリエルも「仕方ありませんね」と承諾する。
「ですがくれぐれも無茶はしないでください」
「それは誰かさんに言った方がいいかもしれませんけどね」
エーリファがアルを見ながら言い、そのアルは迷惑そうに顔をしかめた。
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