第7話 アル、取引を持ちかける

 聖クリノア教の信徒は日に三回の祈り以外に当然のごとく教会での礼拝も行う。教会にいる聖職者が聖典を朗読し、全員が神への祈りを捧げるのだが、この一般的に言われる「聖典」は実は聖クリノア教の聖典の全てではない。聖協会の総本部である「最高法院ホーリーコート」には遥か昔から七冊の聖典が連綿と受け継がれてきた。それは表紙の色からそれぞれ「白の書」、「赤の書」、「紫の書」、「緑の書」、「金の書」、「青の書」、「黒の書」と呼ばれ、七冊を総称して「七原書しちげんしょ」と呼ぶ。


 七原書は最高法院ホーリーコートでのみ管理され、外部に出ることは一切ない。最高法院ホーリーコートは選ばれた大司教と枢機卿、そして教主のみが立ち入れる聖域で、それも二十聖家ヴァン・ファミリエと呼ばれる古代から聖教会を司ってきた二十の家系からしか選ばれない。それ以外の家の出身者はどんなに功徳を積み、立派な行いをしても大司教になれることはあっても(それもまた極めて稀有なのだが)、最高法院ホーリーコートに入ることは出来ないのである。


 したがって「七原書」の内容を知っているのはごく限られた人間のみであり、一般の人が知る聖典は七原書の一つである「白の書」の不完全な写しなのである。そして七原書は長い時間受け継がれるため当然劣化する。そこで百年に一度、七原書は新しく書き写される決まりになっていた。百年ごとに新しい写本を作るのだ。それは書き写された時の教主の名が付けられるのが通例で、今の写本は五年前に作られたばかりだった。だから今最高法院ホーリーコートに保管されている七原書は現在の教主の名を取って「エスメリア写本」と呼ばれる。


 新しい写本が出来上がると前の写本は破棄される。無論門外不出なので最高法院ホーリーコートで焼却されるのだが、五年前のエスメリア写本完成時に事件が起きた。


 何者かによって七原書の一つである「黒の書」が外部に持ち出されたのだ。聖教会は必死に行方を追ったが、ついに発見には至らなかった。百年前に写された「ミルノア写本」の黒の書が消失したことは大問題となった。持ち出すことが出来たのは当然最高法院ホーリーコートの人間だけだからだ。特に写本作業を担当した聖職者に疑惑の目が向けられたが、確たる証拠が得られず、一年後教主の命によって犯人探しは中止となった。


 それからしばらくして国内に聖教会を震撼させるものが出回るようになった。「黒の書」の一部を不正に書き写した写本である。それには「魔界」へのコンタクト方法が記してあり、さらに魔界の生物を召喚する術までが記されていた。その場限りでの召喚による初歩的な魔法行使はそれほど大きな代償を必要としないが、それを己の体に憑依させ、強力な魔法を使うことは召喚者の命を削る非常に危険な行為であった。


 それでも強大な力を得たいと望むものは多く、比較的魂の侵食が遅い魔蟲バグを憑依させるものが続出した。七都市以外の小さな町に巣食う荒くれ者たちにそれは多く、町の荒廃を加速させる結果ともなった。


 当然聖教会はそれを問題視し、不正に出回ったそれらの写本を非正写本アポクリファルと呼んで、回収と破棄を目的とした特別部隊を編成した。それがエーリファの所属する「非正写本焚書特別隊アポクリファル・イレイザー」、通称「回収隊」である。


 「未だに持ち出された『黒の書』のミルノア写本は見つかっていません」


 七都市の一つ、フランシスへ向かう定期馬車の座席に座ったエーリファがアルに切り出す。幸い他に客はなく、二人の貸切状態だった。


 「だろうな。しかし俺にそんなことを言って良いのか?」


 「あなたはすでに『黒の書』を知っていらしたので、これくらいは構わないでしょう?もっとも私も『黒の書』の中身については知りませんが」


 「回収隊でもやはり知らされていないのだな」


 「はい。『七原書』の存在自体、非正写本焚書特別隊アポクリファル・イレイザーに配属されて初めて聞かされましたからね。その存在を知るのは最高法院ホーリーコートの方と私たち隊の者だけなんです」


 「なのに俺は知っている。……気になるのは当然だな」


 「はい、話してはいただけませんか?」


 「悪いがその気はない。色々と面倒な話なんでな。それにあの酒場のひげ親父は俺が『黒の書』の名前を出したら反応した。非正写本アポクリファルを作っている連中にはその名は知られているようだ。それが七原書の一つだということまでは知らんだろうがな」


 「七原書のことまで知ってるんですね。確かに非正写本アポクリファルを広めている人たちは『黒の書』を非正写本アポクリファルの元本だと認識しているようです。聖教会の聖典の一つだとは知らないでしょうね」


 「非正写本アポクリファルは勿論だが、『黒の書』の捜索もあんたの仕事だろう?」


 「勿論です。私たちの最大の目的ですから」


 「聖教会はこの国のどこにでもあるからな。情報網もかなり充実しているだろう。何か分かったら俺にもその情報を流せ」


 「う~、一方的な取引ですね~」


 「そうでもない。昨夜の奴みたいな刺客が襲ってきたら、いかに聖器レリックの加護を持ってるあんたでも危険だろう。俺を用心棒に使うがいい」


 「ダメです!何度も言ってるように召喚魔法を使うのは危険なんです。まして上級魔獣ハイ・ビースト魔狼ガルムの力なんて。それにアルの目的って復讐なんでしょう?」


 「そうだ」


 「復讐は何も生みません。神も……」


 「汝の敵の罪を憎み、敵を憎むな。だろ?」


 「聖典は読んでらっしゃるんですね」


 「一応はな。だが昨夜も言ったが俺はもう神の教えは捨てた」


 「神はいかなる時もあなたを見守り救ってくださいます」


 「……なら何故親父は助けなかった?」


 「お父さん?確か孤児院で……」


 「何でもない。とにかくあんたがいくら神の教えを説いても敵は襲ってくるし、俺は復讐をやめる気はない」


 「それでもあなたが魔獣ビーストの力を使うことを見過ごすことは出来ません」


 「聖女ってのは本当にお節介だな」


 アルはそう呟いて目を閉じた。昨夜は襲撃で碌に眠れなかったので眠気が襲ってきたのだ。それを察してエーリファは口を噤む。自分にも睡魔が忍び寄っていた。


 「神よ、この者の魂に安らぎあらんことを……」


 祈りの言葉を呟き、エーリファは瞼を閉じた。

 


  聖都の南に位置する七大都市の一つ、フランシス。メニウス川の最も下流が通るこの町は国内でも屈指の肥沃な農地が開け、主食である小麦の一大生産地となっていた。食料品を中心とした物流が盛んで活気のある都市である。


 「お腹が空きませんか?教会の運営する食堂に行きましょう」


 町に着いた二人はとりあえずエーリファの薦めるその食堂へ向かった。普通の食堂と何ら変わりはないが、教会が運営しているだけあって、怪我や病気で働けない人や事情があってまともに食事を摂れない人向けに無償で食事を提供することもある。


 「おや聖女様、いらっしゃいませ」


 食堂に入ると恰幅のいい気のよさそうな女性が声を掛ける。


 「ふふ、やっぱりこの格好は落ち着きますね。すぐに聖女だと分かってもらえますし」


 洗濯した修道服に身を包んだエーリファが満足そうに微笑む。


 「逆に言うとそれを着てないととても聖女には見えないということだな」


 「ひどいこと言わないでくださいよ~」


 笑みがあっという間に泣き顔に変わる。それを無視し、アルは席に座った。




「あの町以外での非正写本アポクリファルの情報はないのか?」


 注文した料理を頬張りながらアルが尋ねる。


 「今のところ新しい命令は来ていません。アルは今までどうやって探してたんですか?」


 「基本的には一昨日と同じだ。よからぬ連中が集まりそうな町へ行って聞き込みをし、夜に怪しそうな場所を歩いて回る」


 「あまり効率的とは言えませんね」


 「仕方ないだろう。俺はあんたと違って組織的な後ろ盾がないからな」


 「そうまでして仇を取りたいのですか?」


 「ああ。俺には元々何もなかった。やっと見つけた唯一の居場所を奪った奴を殺すことだけが今の俺の生きる目的だ」


 「自らの命を捨てて復讐することに意味があるとは思えません」


 「他人に俺の命の意味を決める権利はない。たとえそれが神様であってもな」


 「それでも私はあなたに魔獣ビーストの力を使ってほしくありません。可能な限り止めます」


 「やれやれ、情報は欲しいがあんたといるのはストレスが溜まりそうだ」


 「ひどいですね。仮にもこんな可愛い聖女と一緒にいられるんですよ?」


 「自分で言うな。まあ見てくれだけは確かに悪くないが」


 「つくづく失礼ですね。外見以外はダメみたいじゃないですか」


 「その通りだろう。よく回収隊に選ばれたもんだ」


 「私もそう思います。全くなんであなたがこんな重要な任務に就けたのか不思議でなりませんね」


 いきなり頭上で声がして、エーリファとアルは視線を上げた。いつの間にか自分たたちのテーブルの前に一人の女性が立っていた。エーリファと同じ修道服を一部の隙も無く身に着け、楕円形のメガネの下には鋭い目が光っている。


 「ふん、お仲間か」


 「ユリナ!久しぶり!やっぱりここにいたのね」


 「気安く呼ばないでエリー。……で、こちらはどなた?」


 ユリナと呼ばれた聖女は射貫くような鋭い視線をアルに向けて言った。

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