第15話 アリエル、襲撃される

 吹きすさぶ砂の向こう、荒涼とした地平線に夕日が沈む。大きな密閉型の幌の付いた二頭立ての馬車と、それを取り囲むように隊列を組む六人の騎兵が荒野を進む。騎兵は皆甲冑を身に着けており、腰には剣をいていた。


 「お、ようやくフランシスが見えましたよ」


 舞い飛ぶ砂の向こうに町を囲む壁を捉え、騎兵の一人が隣の騎兵に声を掛ける。


 「思ったより砂嵐ハーブ―ブがきつくなくて助かったな。速度を上げよう。もうすぐそこだ」


 声を掛けられた男はこの隊の責任者を任された年長の聖騎士で、聖騎士団でも指折りの剣の使い手であった。彼は御者台に近づき、手で馬の速度を上げるよう指示する。この国で使われている馬車は砂嵐ハーブーブから身を守るため、御者台も簡素な幌で囲われている。正面と左右にはガラスが嵌っており、中から砂を払うための手動のワイパーのようなものも取り付けられていた。ちなみに騎兵たちが身に着けている甲冑の兜も目の部分にガラスが嵌っており、目に砂が入らないよう工夫されていた。


 「速度が上がりましたな。もうフランシスが近いのかもしれません」


 後部の大きな幌の中に設えられた上等な革のソファに座る初老の男性が、傍らの少女に向かって話しかける。修道服に身を包んだ少女は窓の外の砂を孕んだ風を見やりながらふう、と息を吐いた。


 「お顔の色が優れませんな。気分がお悪いのですか?馬車に酔われましたかな?」


 「いいえ。そうではありません」


 少女は思いつめたような目で祭服を来た初老の男を見つめる。


 「まだ納得されておられないのですか?此度の『最高法院ホーリーコート』の辞令に」


 「それはそうでしょう。私は大司教などという役職に就くには早すぎます。表立って口にはしませんが、皆もそう思っているでしょう?」


 「私はおかしいとは露ほども思いません。お嬢様、いえ、アリエル様の信仰心の篤さ、行ってこられた奉仕の数々を鑑みれば異を唱える者など……」


 「ハンス司祭、私は若輩者ではありますが、そこまで愚かではないつもりです。今回の昇進についてマストラの方たちが蔭で何と言っているかくらいは分かっています」


 「アリエル様……」


 「私がこの歳で大司教に任命され、聖都の中央大聖堂に移動になったのはひとえに私の生まれがビビルーク家であったからに他なりません。家の名で大司教の座を買ったなどと言われるのは余りにも惨めです」


 「お言葉をお控えください。そのような発言、下手をすれば最高法院ホーリーコートへの侮蔑とも受け止められましょう」


 「聖職者としての功績で言えば、私などあなたの十分の一にも満たないということは誰もが認めるところでしょう。マストラのみならず、近隣の町でもあなたの名前を知らぬ者はおりませんよ、ハンス司祭」


 「恐れ多いことです。私はビビルーク家に拾われ命を救われた者。先代の大司教様に洗礼を受けて以来、そのご恩をお返しするために微力ながら出来ることをしてきたまでです」


 「誰もが認めるあなたが『二十聖家ヴァン・ファミリエ』の出身ではないというだけで未だに司祭の座にあるのはどう考えてもおかしいではありませんか。それがこの私が一足飛びに聖都の大司教などと。大体今の司祭の座でさえ、普通ではありえないくらいでしたのに」


 「最高法院ホーリーコートの決定ですので。……ここだけの話ですが、今回のお嬢……アリエル様の抜擢は私も確かに少々性急であるやに思えることもございます。私などに窺い知れるものではございませんが、聖都で何かしらが起こっているのかもしれません」


 「『二十聖家ヴァン・ファミリエ』の者以外が最高法院ホーリーコートに入れない秘密……。やはり本部には民に隠していることがあるのですね?」


 「おそらくは。今回のアリエル様の大司教就任が近い将来の最高法院ホーリーコート入りへの布石であることは間違いないでしょう。二十聖家ヴァン・ファミリエの方だけが知ることが出来る何かがあると思います」


 「そのために分不相応な役職を与えられるなど、やはり心苦しいです」


 「申し上げておきますが、アリエル様が大司教の任に相応しいというのは私の偽らざる思いです。あなた様の優しさ、慈愛の深さは決して御父上に劣るものではございません。ご自身を卑下なさいませぬよう……」


 「ありがとうございます、ハンス司祭。……昔のようにハンスと呼んでもいいかしら?せめて聖都に着くまで」


 「二人きりの時に限らせていただければ」


 「ありがとう。……きゃっ!」


 急に幌馬車が停まり、二人はソファから投げ出されそうになった。ハンスが咄嗟にアリエルを抱きかかえ、窓の外を見る。


 「何だ?どうした?」


 「前方に数十人の人影があります。こちらに向かって来ているようです」


 窓に騎兵の一人が近づき、大声で報告をする。


 「こんな場所で?」


 「様子がおかしいです。念のため、馬車は後退させます」


 「もうフランシスは近いのだろう?」


 「はい、目の前ですが」


 「なら町の入口まで突っ切った方が早いのではないか?」


 「ですが……ぐあっ!!」


 いきなり騎兵が視界から消えた。ハンスが驚いて前方を見ようとする。がそれより早く御者が馬首を返し、馬車を反転させた。


 「襲撃です!退却します」


 御者が叫ぶ。急な方向転換で再びソファから投げ出されそうになる。


 「襲撃だと!?」


 ハンスがアリエルを抱えるようにして守りながら唸る。こんなところに野盗でも出たというのか?それともまさかこちらが誰か知った上で……


 「ひひ、やはり油断しきってたな。あっさり一人れたぜ」


 ビッグサムに雇われたひょろり男が歪んだ笑みを浮かべて馬車に迫る。さっき投げた円刃が馬車の窓に張り付いていた騎兵の甲冑の隙間に入り、その喉笛を切り裂いていた。


 「油断するな。さすが手練れを集めたらしい。布陣に隙が無い」


 隊列を組んで向かってくる騎兵を見ながら筋肉質の髭男が言う。二人の後ろには二十名を超すビッグサムの手下が続いていた。


 「散開しろ。俺と半分の者は聖騎士の足止め。もう半分は馬車を追え」


 髭男が大剣を抜いて指示を出し、ひょろりが半分の人数を連れて離れる。


 「野盗でしょうか?」


 騎兵の一人が隊長に声を掛ける。思いもよらぬ襲撃で動揺を隠せない様子だ。


 「いや、妙に統率が取れているし、こんな場所で野盗が待ち伏せというのも解せん。恐らく最初から我々を狙っていたのだろう」


 「まさかアリエル様を!?」


 「むっ!奴ら散開したぞ!抜かせるな!」


 隊長が叫ぶ。五人の騎兵は距離を取り、駆け込んでくる襲撃者に対応する。


 「があっ!」


 歩兵が騎兵と相対するには数倍の人数か技量を必要とする。ビッグサムの手下は剣を抜いた聖騎士に次々に斬り払われる。しかし通常の倍以上ある幅広の大剣を振るう髭男には苦戦を強いられた。


 「くっ!手強い」


 「貴様が隊長か。流石にいい腕をしているな」


 髭男が笑いながら大剣を間断なく繰り出す。普通の男では持ち上げるのも苦労する重い剣の斬撃に、さすがの隊長も防戦一方になってしまう。一人にかかりきりになってしまったことで、当然他の騎兵の負担は増す。ひょろりたちは大半を聖騎士に食い止められながらもその防衛線を突破することに成功した。


 「しまった!」


 ひょろりが馬車に向かって走るのを目で追いながら騎兵が叫ぶ。足元にはビッグサムの手下が群がっていて上手く後を追えない。


 「逃がすかよ!」


 ひょろりが最後の円刃を馬車に向かって投げる。それは幌と車輪を繋ぐ軸に当たり、傷ついた軸が回転の勢いで折れ車輪が外れてしまう。衝撃に驚いた馬が止まって前足を上げ、さらにバランスを崩した馬車は傾き、幌が横転してしまった。


 「きゃあああっ!!」


 幌が地面に投げ出され、アリエルとハンスは衝撃を受ける。アリエルはハンスに抱きかかえられていたので大きな怪我はないが、ハンスの方は腕を強く打ち、苦悶の表情を浮かべる。


 「ハンス!」


 涙目になってアリエルが叫ぶ。


 「お嬢様……お逃げ……ください」


 激痛に顔を歪めながらハンスが声を絞り出す。腕だけでなく足も打ったようだ。息が苦しく、まともに動くことが出来ない。


 「へ、いたな」


 横転し上空を向いたドアを開き、ひょろりが幌の中を覗き込んだ。ハンスの腕の中でアリエルが恐怖の色を浮かべる。


 「あん?修道服を着てるってことはこいつが大司教ってことか?まだガキじゃねえか」


 ひょろりが呆れたような声を出す。確かに目に前にいる聖女はまだ子供と言っていい見た目だった。


 「あ、あなたは何者です!?私は確かに未熟者ですが、神に仕える聖女であることに違いはありません。それにこの者は私とは比べ物にならないほどの立派な聖職者です。神に仕える者を襲うなどふ、不敬にもほどが……」


 恐怖に耐えながらアリエルが必死に叫ぶ。


 「くく、ガタガタ震えながら虚勢を張っちゃって可愛いねえ。悪いがあんたが神の使いだろうと何だろうと関係ないんだよ。あんたを殺すことが依頼なんでね」


 殺す?私を?最初から狙いは私?アリエルの中で恐怖と動揺がぐるぐると渦を巻く。何とか動こうとするが、体が硬直したように言うことを聞かない。


 「円斬刃サークルエッジは切れちまったが、ガキ一人殺すにはこれで十分だろう」


 ひょろりがナイフを抜いて舌なめずりをする。元来この男はサディストだった。弱いものをいたぶるのが好きだったのだ。だから目の前で震える少女を見て気持ちが昂っていた。


 ――だから、自分に向けられていた敵意に気が付かなかった。


 「我が手に宿りし魔界の獣よ。我が意に応え我に仇なすものを漆黒の牙にて喰らえ」


 「さて、少しずつ切り裂いて……」


 ひょろりが大きくナイフを振りかざし、アリエルが恐怖のあまり目を瞑ったその時、


 「暗黒咆哮波ハウリング・ダークネス!!」


 「あ?」


 一瞬、ひょろりは自分の身に起きたことが理解できなかった。振り上げた右手に違和感を覚え、ふと、視線をそちらに向ける。


 「なっ!?」

 

 視線の先には……何もなかった。自分の右腕の肘から上が綺麗に消えてなくなっていた。


 「ぎゃあああっ!!!」


 何が起きたのかを理解する前にすさまじい激痛が襲ってきた。同時に消えた腕の断面から血しぶきが吹きだす。


 「がああっ!!」


 意識が朦朧とし、膝を付いたひょろりがのろのろと視線を背後に向ける。


 「ふん、今度は逃がさんぞ。ゲス野郎」


 ぼやけた視界の中に、魔獣ビーストの紋章を浮かび上がらせた右腕を伸ばすアルの姿が映った。

 

 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る