第18話 アルバム


 目が覚めた。

 時計で時間を確認すると深夜の一時を回った頃だった。

 特別早く寝たわけではないのにこんな時間に目が覚めるのは珍しい。目を瞑って二度寝を図るが中々上手くいかない。

 仕方ないので一度仕切り直そうと思い、水を飲みにキッチンへ向かった。

 廊下に出たところで、リビングに明かりがついていることに気づいた。


「誰だ、こんな時間に」


 いつもこんな時間まで起きている人がいるのだろうか。そんなことを思いながらリビングのドアを開ける。


「……珍しいですね」


「そっちこそ」


 紗月だった。

 シャツに短パンというラフな寝巻き状態の紗月は物珍しそうにこちらを見てくる。


「何というか目が覚めたので」


「まあ俺もそんな感じだよ。水でも飲もうかと思ってさ」


 テレビもつけずに紗月はリビングのテーブルに座って何かをしていた。勉強でもしているのかと思ったが違った。


「アルバム?」


「ええ。わたしもお水を飲みに来たのですが、目が覚めてしまいまして。これが目に入ったので見ていただけです」


「……」


 アルバム、か。

 俺はこの町に昔住んでいた。けれどあまり覚えていないのだ。子供の頃の記憶なんてそんなものだろうけど、昔の写真でも見れば何か思い出すかもしれない。

 景色なんて数年でがらりと変わるもんだしな。


「それ、ちょっと見せてもらえないか?」


「なんでですか?」


 見たいからに決まってるだろ。

 なんでこうつっかかってくるかな、この子は。


「ちょっと気になって」


「まあ、別にいいですが」


 そう言って、紗月は散らかしていたアルバムを整理して隣を空ける。それは暗に隣に座ればということなのだろうけれど、それは許されるのか?


「失礼しゃす」


「なんですか、それは」


 俺がぺこりと一礼してから座ろうとすると呆れたように紗月は肩をすくめた。


「その写真っていつ頃のなんだ?」


「これは、まだ幼稚園くらいのときですね」


 開かれたページの中の一枚を見ると、それは集合写真だった。深雪さん、紗月、花恋ちゃんに親父さん、それからお母さん。


「この頃はまだ母が生きていました」


 黒く長い髪。優しく微笑む彼女を、俺は見たことがあった。

 そりゃそうだろうさ。

 子供の頃、間宮家は逢坂家と仲がよかったらしく家族ぐるみでいろいろとしていたらしいから。

 しっかりは覚えていないけど、この人のことは覚えてる。

 鮮明にではないけれど、朧気でもない。俺は確かにこの人を知っているのだ。


「毎日が楽しかったんです。学校に行けば友達がいて、家に帰れば家族がいる。わたしはそれだけで満足だった」


「……あれ」


 懐かしみながら写真を見る紗月の横で同じように見ていた俺だけど、ふと気になることがあって声が漏れた。


「なんですか?」


「いや、花恋ちゃんってこの頃泣き虫だったんだと思ってさ」


 写真に写っている黒髪の女の子。笑っている写真よりも泣いている写真の方が多い気がする。お母さんと一緒に写ってるのが多いな。


「それは深雪ですよ」


「ええ!?」


「声が大きいです」


 あまりの驚きに声を漏らしてしまうが、口を手で抑えて小さく謝る。


「これ、深雪さんなの?」


「ええ。花恋もお母さんっ子ではありましたけど、この頃の深雪はそれ以上でしたね。三姉妹の中の誰よりも泣き虫で、弱虫でした」


「……へえ」


 意外だ。

 料理の腕は壊滅級だし苦手なことももちろんあるけど、それでも今の深雪さんからは想像できない過去だ。


「成長するにつれて長女としての自覚が芽生えたのか?」


「何ですかそれは……そうなのかは分かりませんけど、きっかけは恐らく母の死でしょうね」


「そう、なんだ」


 どう返していいのか分からなかった。

 だから俺はそんなことしか言えなかったのだ。また無自覚にデリカシーのないことを言って怒らせてはいけないから。


「大きく変わったわけではないですが、変わったという意味ではわたしも花恋も、母がいなくなってから少し変わりましたね」


「いつくらいだったっけ? その、お母さんが亡くなったのって」


「わたしが小学生の三年生の頃ですね。その頃に、いろんなことが重なって、わたしも……」


 何かを思い出したのか、紗月は寂しそうな、辛そうな表情で小さく顔を伏せた。

 以前、深雪さんが言っていた。

 紗月はどこかのタイミングで男性に対して敵対心というか、警戒心を抱くようになったと。

 俺に対する冷たい態度も、もとを辿ればそれに原因があるらしい。

 その理由が気になっていた。

 同じ屋根の下で暮らすのだから、いつまでも冷戦状態ではいたくないから。

 ただ、最初の頃に比べると今はまだマシになったとは思うけど、それでもまだ俺と紗月の間には確かな溝がある。


「なあ、紗月――」


「さて、そろそろ寝ましょうか。明日も学校ですからね」


 俺が聞こうとしたとき、紗月がそう言って立ち上がる。遮った、つもりはないのだろうけど不完全燃焼ではある。


「少し話しすぎましたが、お話したおかげで今なら寝られる気がします」


 言いながら、紗月は広げていたアルバムを片付け始める。

 ここで俺が片付けを止めて話を続けようとしても、たぶん話してはくれないだろう。

 今日のところは諦めるしかないか。


「あなたも、早く寝た方がいいですよ。授業中に居眠りなんてしていたら、先生に怒られてしまいますから」


 片付けを終えた紗月はそれだけ言うと「おやすみなさい」と最後に一言付け加えてリビングを出ていく。

 一人残された俺はコップを片付けて部屋に戻る。

 布団に入り眠ろうとしたけど、まだ眠れそうにはなかった。

 どころか、いろいろと考えてしまってより一層目が冴えてしまう。


「……」


 目を瞑っても、最後の紗月の翳った表情が頭から離れなかった。

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