第31話 あれが出た
そろそろ夏だなと思わざるを得ない暑さにうなだれるとある休日。
今日は深雪さんと花恋ちゃんが出掛けており、現在家の中には俺と紗月だけだった。
といっても、こんな日は各々が自分の部屋で好きに過ごすだけなので関わることは早々ない。
昼飯を作ってくれることはあるけど先にさっさと食べて部屋に戻っているのだ。存在を無視されないところ、最初に比べるとずいぶんとマシになった。
「……暇だ」
暇である。
何かをしようにも暑くてやる気が出ない。部屋のエアコンが壊れており、それの修理がまだ済んでいないので、部屋の中はまるでサウナだ。
そんなときだ。
コンコンとドアが叩かれた。深雪さんも花恋ちゃんも出ているのでお化けでもない限りは紗月ということになるわけだが。
「……なんだ?」
不気味な訪問だった。
俺が逢坂家にお世話になり始めてから、紗月が俺の部屋に訪れた回数は思い出すまでもなくゼロなのだ。
俺が突然の訪問に躊躇っていると今度は急かすように速めのノックをしてきた。急を要するトイレのような焦り方だ。
「どうした?」
ドアを開けると動揺を隠しきれていない紗月がいた。まるで神に救いでも乞うような雰囲気だ。
こんな紗月は今までに見たことがない。
紗月は家の中では基本的にジャージで過ごす。部屋着ということだ。今日はグリーンのセットを着ている。
「あ、あの、えっと」
口をパクパクさせてはいるものの言葉が出てこない。言うのを躊躇っているとかじゃない、文字通り言葉が出てこないようだ。
「ゆっくりでいいから」
「は、はい」
返事をした紗月はすうはあと何度か深呼吸をして自分を落ち着かせた。
「実はですね、わたしの部屋に例のアレが出たんです」
「何が出たって?」
「だから、例のアレです! 何度も言わせないでくださいっ」
「何度言われても分かる気がしない」
俺のリアクションにショックを受けた紗月は難しい顔をして考えてから、恐る恐る口を開く。
「黒くて、速いアレです」
内緒話でもするように耳打ちをしてくる。俺は話しやすいようにしゃがんで耳を貸した。
「ああ、ゴキブリか」
「名前を言わないでください。その名を聞いただけでゾワッとします!」
本当に嫌なのか頭を抱える紗月だった。
「それで?」
「察してください!」
といっても、二階は男子禁制の秘密の花園(一度侵入済)なのだ。俺がそう何度も何度も入るわけにはいかない。
「でも二階って男子禁制なんだろ?」
「緊急事態です」
至って真面目な表情だった。
背に腹は代えられないということなのだろう。別に断る理由もないからいいんだけど。
「じゃあ、行きますか」
「そうしましょう」
先導する紗月についていく。武器は必要だろうと思い、部屋にあった読まない雑誌を右手に戦場へと赴く。
二階に上がるのは二度目だ。深雪さんの部屋は一番奥。紗月の部屋は真ん中にあった。
「どうぞ」
「え、俺が開けるの?」
「当たり前です。わたしはここで待っていますので早く行ってきてください」
何が当たり前なんだろうか、なんて言えもしない疑問を抱きながら、俺はドアノブに手をかけた。
ガチャリ、とゆっくりドアを開けて顔だけを覗かせ中の様子を見る。
わりと整理された部屋だったのだろうけど、ゴキとの遭遇で相当パニックになったあとが伺える。
基本的にインテリアの色は薄い黄色で統一されている。カーテンやテーブルからクロゼットまで、全てがきっちり一緒なのはさすがと言えた。俺には無理だ。
見たことのあるアニメのポスターが貼られているのに少し驚きつつ、床を見るが黒い姿は見当たらない。
勉強机の上に置いてあるくまの人形が少しくたびれていた。ところどころ縫ったあとがあるので大切にしているのだろう。そんなところに意識を持っていかれながら部屋の中を見渡すがゴキはいない。
「見当たらないけど?」
顔を部屋から引っ込めて、後ろでスタンバイしている紗月に言ってみる。
「ちゃんと中まで入って確認してください」
「……はあ」
男子禁制と豪語しているのは紗月だけなのだが、その紗月がそんなことを言うなんて、もう撤回してくれていいと思う。
だからといって二階に用事があるのかと言われると特にないけど。
「おじゃましまーす」
一応一言入れておく。
あまり音を立てないように部屋の真ん中辺りまで移動する。よく分からんけど物音で隠れられたら困るからだ。
ていうか見渡していないんだからどっかに隠れたんだろう。それを見つけるのは中々に厳しいぞ。
「あんまり部屋の中を見ないでくだはいね」
「それは無茶だろ……」
何というジャイアニズムだ。
どこかに隠れたのは明確だ。あるとすればベットの下か、勉強机やクロゼットの方もあり得るか。
とりあえずベットだな。卑猥な意味はなく、あくまでも見やすいからだ。ここで見つかればラッキーなのだが。
「……」
下を覗くが見えない。暗いし、いても存在に気づかない恐れがある。
ちょっと揺らすか、と思いベットに手を置く。ほんのりと女の子特有のいいかおりがしてドキッとしてしまう。変な気持ちは持ってはいけない、と顔を振ると、ベットの枕元に二枚の写真が飾られているのが見えた。
家族の写真のようだ。花恋ちゃん、深雪さん、お父さん、それからお母さんもいる。驚いたのはもう一枚の写真に幼い姿の俺がいたこと。その写真には俺ともう一人が写っていて、紗月、なのだと思うけど幼い姿のその子が誰なのかは今では判断がつかない。
どうしてこの写真が飾られているのかは分からないし、たぶん聞いても教えてはくれない。見なかったことにはできないが、気にしないでいよう。
今はそれどころではないし。
「あの!」
「なに?」
突然後ろから声をかけられる。といっても、紗月は未だ部屋には入ってこずドアから顔だけを覗かせているだけだが。
「あんまりベットの前に滞在しないでください。不潔です」
「……はいはい」
どの立場で言ってんだと言い返してやりたいところだが、そんなことを言っても不毛な言い合いが続くだけだし止めておこう。
「なんですか、その反応」
どうしたらいいと言うんだ。怒る、というよりは拗ねているように見えたのは、きっと主観的な見え方だからだろう。
そうであればいいのに、と思うから。変な意味はない。ただ、もう少し心を開いてほしいだけなのだ。
「仕方ない」
面倒になってきたので俺は片脚を上げてそれを思いっきり下ろす。
ドドン! と大きな音を立てて部屋が揺れた。するとクロゼットの奥からカサカサという気持ちの悪い特有の音と共に奴が姿を見せた。
「いたッ!」
姿さえ見えれば叩き殺すだけだ。俺は手に持った雑誌をくるっと丸めて構えた。
「ちょ、ちょっと、カーペットの上で叩くつもりですか!?」
「そんなこと言ってられねえだろ!」
諦めろ。
と無言で伝えるような勢いで俺は腕を振り下ろす。見事命中、一発で勝負は決した。
「よし。これでいいか」
踵を返し、部屋を出ようとする。
「なんで後片付けしないまま出て行こうとしてるんですか!?」
「いや、退治はしたし」
「後片付けまでが退治です! これはその生き物を駆除する上で常識ですよ!」
「初耳だわそんな常識」
仕方ないな、と俺は小さく息を吐く。ここで紗月に貸しを作っておいて損はないからな。
「ホウキとチリトリは?」
「え?」
「いやホウキとチリトリだよ。この死体を素手で触れってのか?」
「触らないんですか?」
「鬼かッ!」
自分は絶対にしないくせに。
「冗談ですよ」
冗談も通じないのかよ、みたいな呆れ顔をして、紗月はホウキを取りに行く。
ホウキとチリトリを受け取りゴミ箱に入れようとすると、この部屋には捨てないでと言ってきたので仕方なく袋に入れる。
「じゃあ、これ捨てに行くから」
「あ、はい」
ようやく終わった。袋片手に部屋を出ていく俺を「あの!」と紗月が呼び止めた。
「ありがとうございました」
ぺこり、と律儀に頭を下げる。
紗月が今どれくらい俺に心を開いているのかは分からない。昔のことはあまり覚えてないから昔のように、とも思わないし。
男嫌いという最大の壁があるわけで、難しいのは分かってるけど少しでも改善できればなと思う。
「ああ」
けれど、そんなこと言えやしないので、短く一言だけを言って部屋を出るのだった。
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