第22話 未知なる領域
風呂桶にお湯を入れる。
時間をかけて食事を終えた深雪さんにあとはゆっくり寝るように言うと、汗をかいたからお風呂に入りたいと言ってきた。
確かに少し触れただけでも汗ばんでいるのは分かったけど、しかし風邪を引いてるときに風呂はよくないと聞かされている。
それを言うと不満げな顔をするので体を拭くだけで勘弁してくれとお願いした。
渋々、といった感じだったけど納得してくれた。
というわけで今その準備をしている。
あんな感じでわがままを言う深雪さんはやっぱり珍しい。
体調が悪く弱っていると、あんな感じになるのかな。自分があまり体調を崩さないので分からんけど、ネットで見たことがある。
「重たい」
ゲーマーの引きこもり的には今日一日中々の重労働である。明日はもしかしたら筋肉痛に襲われるかもしれない。
それでも何とかやりきれたからよかったけど、これで途中で倒れていたらたまったもんじゃない。
なので、多少なり体は鍛えておいた方がいいな、と思った一日だ。
「お待たせしました」
布団の上で体を起こして座る深雪さんの横に風呂桶とタオルを置く。
「それじゃあ俺出てるんで、何かあったら言ってください」
「あ、悠一くん」
部屋を出ようとした俺を深雪さんが呼び止める。振り返ると、彼女は恥ずかしそうに口元を結んでいた。
今日一日何度かこんな感じの顔を見てきたけど、全部あまりいい展開にはならなかった。
今回もいい予感はしない。
「あ、あのね、下着を替えたくて」
「はあ」
まあそりゃそうか。
気にしない人もいるかもだけど、深雪さんは女の子だしな。普通着替えたいか。
「取ってきて、もらえない、かな」
躊躇いながら、それでも言う。
そんな高難易度ミッションを平気で俺に言いつけるなんて、この短時間で成長してやがる。
「いや、でも、二階は……」
男子禁制だと紗月からきつく言われている。
俺が言わんとしていることを察した深雪さんは「私の部屋は大丈夫だから」と付け足してくる。
「だめ、かな?」
「……いや、深雪さんがいいなら俺は構いませんけど」
あとで紗月に怒られはしないよな。
事情が事情だし、今回は仕方ないということにしよう。
「じゃあ、お願いします。あと、一緒に着替えも」
お願いされてしまっては仕方がないので、俺は未知なる領域へと足を踏み入れることを覚悟する。
部屋を出て、階段の前で一度止まり上を見上げた。
俺がこの家に来てから立ち入ることのなかった上の階。いざ向かうとなると緊張するな。
「よし」
一歩一歩ゆっくりと階段を上がる。折り返してさらに上がると長い廊下があった。
三つ部屋が並んでいて、その奥には物置らしきドアがある。それぞれの部屋のドアに『みゆき』『さつき』『かれん』と書かれたパネルが掛けられていた。
子供の頃に作ったものなのか、カラフルに落描きされている。
深雪さんの部屋は一番奥のようで廊下をゆっくり歩く。別に誰かいるわけでもないけど、入ってはいけない場所というイメージが俺の動きを自然とそうさせた。
「ここか」
そして、ようやく深雪さんの部屋の前に到着する。ドアノブに手をかけ、俺は意を決してドアを開けた。
「……お、おうふ」
女子の部屋。
ただそれだけなのに思わず変な声が漏れてしまった。
何の匂いかは分からないけど、女の子特有のいい匂いがして緊張感はさらに高まる。何というか、イケないことをしている感がすごい。
おおよそイメージ通りの部屋だ。
整理整頓は行き届いており、勉強机の上も綺麗だ。棚に並べられている参考書や漫画は分かりやすく揃えてある。薄ピンクの絨毯と小さなテーブル。ベッドにはくまやぞうのぬいぐるみが置かれている。
そして洋服タンスに目をやる。
両開きの扉を開くとハンガーに掛けられた洋服が並んでいた。
しかし、今必要としているのはこれではない。
下着と着替え。
着替え、ということはパジャマだろうけど、どこにあるのかなどもちろん見当もつかない。
ベッドの上に脱ぎ散らかしてあれば適当にそれを持っていったけどそんなこともない。
引き出しが三段ある。
一番下を開けると、スカートやらズボンやらが詰められている。パジャマに使えそうなものは見当たらない。
三段目を閉め、二段目を開ける。そこには上の服が入っていた。こればっかりは見ただけではパジャマがあるかは分からない。
「失礼します」
一言断ってから俺は引き出しを漁る。持ち主不在の中タンスを漁るなんて端から見れば下着泥棒でしかない。
深雪さんの許可を得たとはいえ、こんな光景を誰かに見られでもしたら誤解はされるし弁解は難しいだろうなあ。
なんて考えながら漁るが見当たらない。
二段目を閉め、一番上の引き出しに手をかけた。
この流れでいくとたぶんこの引き出しに下着が入っている。
「……」
ビンゴだった。
それにパジャマもあった。これは棚ぼたというやつだ。いやちょっと違うか。そんなことはどうでもいい。
薄いグリーンのカッターシャツのような上と、くるぶし上丈のズボン。これはよく深雪さんが着ているパジャマの一つだ。
あとは下着。
ゴクリ、と自分が生唾を飲み込んだ音がやけに大きく聞こえた。
小さくたたまれたパンツがズラッと並ぶ。その横にはブラジャーが同じように並んでいる。
白、ピンク、薄緑、水色と色も種類も様々だ。
あとは寝るだけだからブラはいらない、よな。女の子って寝るときはブラつけてないだろ。
ゲームではそうだし、この前の花恋ちゃんもつけてなかった。
「いやいや、忘れろ忘れろ!」
余計なことを思い出してしまった俺は慌ててブンブンと頭を振って煩悩を振り払う。
「さっさと取って戻ろう」
パジャマと、適当にパンツを一つ手に取って引き出しを閉める。用事も済んだので俺は早々に部屋を後にした。
部屋の前まで戻りドアをノックする。ここで何もせずにドアを開いてラッキースケベみたいな展開はお約束だけど、そんな失敗は犯さない。
「はーい」
中から返事がきたのを確認してから俺は中に入った。
「ありがと、悠一くん」
「……」
まあ、そりゃ当然といえば当然なのだが。
深雪さんは上半身裸だった。
脱いだシャツは布団の横に置かれている。下はもともと渡してないので実質彼女は今パンツのみということになる。
「あ、あんまり見ないでね」
「す、すいません……着替え持ってきました」
言いながら、持ってきたものを渡す。
渡すもの渡した俺は早急に部屋から出ていこうとしたのだが。
「ちょっと待って」
と呼び止められる。
振り向くのは気が引けたので背中を向けたままで返事をする。
「なんですか?」
「えと、あの、お願いがありまして」
本日何度目かのお願いである。
顔は見えてないけど、たぶんあの顔しているのだろう。遠慮がちな声がそれを物語っている。
「はあ」
「あのね、背中がうまく拭けなくて……」
「拭けと!?」
思わず声が大きくなる。
自分で自分の体を拭くことを考えると、腕や首、お腹や足は拭けるが確かに背中は手が届きづらい。
「だめ、かな」
正直それくらい別によくない? と思わないこともないけど、女の子は嫌なんだろうなあ。
紗月や花恋ちゃんが帰ってきてからお願いしたいけど何時になるか分からない。深雪さんにはさっさと休んでもらいたいし。
いろんなことを考えた結果、俺が拭くのが一番なのか? 深雪さんもいろいろと考えたのだろう。
ここまできたら、もう何でもしてやろうじゃないか。
「分かりました」
覚悟を決めろ。
大丈夫。ただ背中を拭くだけなんだ。しかも相手は病人。ここにやましいことなど何一つない。
「そっち向きますよ?」
「う、うん」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます