第45話 紗月と悠一
俺はカバンの中から小さな袋を取り出した。
それを眺めながら、少しだけ考える。自分がどうするべきなのかを。
「どうした悠一。最終日だってのにテンション低くね?」
部屋の隅で座っていた俺を気にしてか、一日目と変わらないハイテンションの翔助が寄ってくる。
「三日目にもなると疲れてるだろ、お前が高すぎるんだよ」
「自由時間だぜ? 有意義に使わねえでどうするよ」
「周りを見てみろよ。みんな落ち着いてる」
落ち着いていない奴もいる。それは昨日の告白大作戦の成功者達だ。逆に言えば失敗者はテンション低い。そりゃそうなんだろうけど、俺まで失恋したみたいじゃないか。
「一緒に遊んでくれねえの?」
「今回はパスだ」
「ちぇー、どうしよっかな」
休めばいいだろうに、もったいないとか思ってんだろうなあ。こいつ昨日の夜も遅くまで起きてたのに、まじで体力どうなってんの?
「三船のとこにでも行ってこいよ。あいつならたぶん元気だろ」
「お、そうだな。ちょっと行ってくるぜ」
にっと笑って翔助は早足に部屋を出ていく。それを見送った俺は、スマホの画面を開く。
『自由時間、少し時間ありますか?』
今朝に紗月から届いたメッセージだ。
疲れてはいたけど用事はない。それに紗月からの誘いなんて珍しいことはない。
ということで、この後に会う約束をしているわけだ。
「そろそろ行くか」
待ち合わせの時間ギリギリに行くと、既に着いていた紗月から「五分前行動は基本ですよ」とか説教される可能性があるからな。
余裕のある行動をしよう。何なら俺がそれを言ってやろう。
俺は手に持っていた小袋をポケットに突っ込んで部屋を出た。
「……嘘だろ」
待ち合わせ場所である中庭に着いたのは一五分前の時間だ。
だというのに、紗月は既にそこにいて、ぼーっと空を見上げている。周りをきょろきょろと見渡している様子はないので、俺がこの時間に来るという発想はないらしい。
ならもうちょい後に来いよ。
「よっ」
「……早いですね。驚きです」
声をかけると、こちらに気づいた紗月が驚いたようには見えない落ち着いたリアクションを見せた。
「驚いたならもうちょい驚いたリアクションしろよ」
「人間本当に驚いたときは、得てしてこんなものです」
「それマジのやつじゃねえか」
まさか本当に度肝抜かれたというのか? 俺ってそんなに時間にルーズだと思われてるのかな。
「まあいいけど。それで、わざわざ呼び出して何かあったの?」
俺が聞くと、紗月はバツが悪そうに視線を逸らす。まるでイタズラが見つかった子供のようだ。
「ああ、いえ。用事というほどのことはないんです。本当に、ただ何となく呼び出しただけで」
「そんなバカな」
紗月がそんな非効率的なことをするとは思えなくて、俺は驚きの声を漏らしてしまう。
まして、男嫌いの紗月がだ。
「そんな驚くことはないでしょう。一緒の家に住む者同士、別におかしくはないはずです」
「そりゃそうだけど。まさかお前の口からそんな言葉が出てくるとは驚きだよ」
「そうですか?」
「お前は最後まで俺を受け入れてなかったからな。それに男嫌いじゃないか」
俺が言うと、うっと小さく唸る。
「それはそうですが、男の人が苦手という件については、いつまでもこのままというのも良くないと思いまして。あなたなら、いい練習相手になります」
「練習相手、ねえ」
そりゃ、それで紗月の男嫌いが少しでもマシになるのなら俺として万々歳だけど。
「それに、あなたを受け入れていなかったということについてですが、それはこちらとしてもいろいろと思うところがあったのです」
「言いたいことは分かるけど」
結果的に言えば、昔の別れ方的に良くなかったしそれを覚えていなかった俺が確実に悪い。
それに加えて男に対しての不信感が強かったのだから仕方ないといえば仕方ない。
「ですが、これからはわたしも変わろうと思います。きちんと向き合って、然るべき対応をしようかと」
「固いな……いや、いいんだけどさ。てことは、本当に何にもないのか?」
「だから言ってるでしょ。強いて言うなら昨日の連続告白の件から恋バナが止まらない部屋の中に居たくなかったというのがあります」
きっと話振られたりしたんだろうなあ。事実呼び出されたわけだし、いろいろと聞かれるだろ。
「なので、少し時間潰しに付き合ってください」
紗月なりに、いろいろと考えて出した答えがこれなのかもしれない。
彼女自身が変わろうとしている。それを俺達が受け入れないでどうするというのだ。
そんなことを思いながら、俺はポケットの中の小袋を握る。
変わろうとしている紗月に、俺はこれを渡すべきなのだろうか。それとも、もう忘れるべきなのか。
「どうかしました?」
何かを考えているのが顔に出ていたのか、紗月が怪訝な表情を見せる。
「あ、いや」
違う。
変わろうとしているからこそ、これは渡さなければならない。これは俺と、紗月にとって過去のものだ。だったら、これを渡して過去のことを終わらせるべきだ。
正しいかどうかは分からない。でも、俺はそうするべきだと思った。
「これ」
俺はポケットから小袋を出し、それを紗月に渡した。
「なんですか、これ」
珍しいものを見るように、紗月が小袋を眺める。
「過去のこと、いろいろ思い出したって話したろ。実家に帰ったときに、それも一緒に出てきたんだ」
過去のもの、と分かった途端に紗月の表情が一瞬翳る。そのとき何を思ったのかは俺には検討もつかない。
「それは、あの日お前に渡すはずだったものだ」
引っ越しの前日。
紗月を呼び出した俺は、それを渡そうとしていたのだ。
「少ない小遣い叩いて買える程度のちゃっちいもんだけど、当時の俺からしたら中々の買い物だった」
紗月は複雑な表情で小袋を見ていたが、やがて決心でもついたように唇をきゅっと結び、そして笑った。
「開けても、いいですか?」
「ああ、もちろん」
俺の許可を取ってから、紗月は丁寧に小袋の封を開ける。別に捨てるだけのものなんだから、ビリビリに破いてもいいだろうに。
中から出てきたのは半月のキーホルダーだった。
紗月だから月、という何とも安直な思考である。当時の俺は深く物事を考えなかったタイプなのだろう。
「……何というか、安直な贈り物ですね」
「うるせえ」
バツが悪そうに吐き捨てる俺を見て、小さく笑った紗月は「ですが」と付け加える。
「センスは悪くないです。わたしはこういうものの方が好きですから」
そう言いながらキーホルダーを眺める紗月は満足げというか、嬉しそうというか。誕生日プレゼントをもらった、やはり子供のようだった。
「ま、それ渡したのは俺の自己満足だし、全然捨ててもらっていいから」
当時の俺は、それなりに紗月のことを理解していたらしい。何せ、あの紗月に悪くないと言わせたのだから。
お世辞でも、気分は悪くない。
逆に言えば紗月はあの頃から変わっていないということになるが、人間根っこの部分はそうそう変わらない。
変わろうとしても、変えようとしても、そこはなかなかどうして難しいところなのだ。
「いえ。有り難くもらっておきます」
言いながら、紗月はポケットからスマホを取り出した。
「ちょうど、スマホにつけていたキーホルダーが壊れて、新しいものを探していたところです」
そして、スマホに半月のキーホルダーがつけられる。紗月がスマホの方を持つと、キーホルダーが自らの存在を主張するようにプラプラと揺れる。
「高校生らしからぬ装飾品に見えるけど?」
照れ隠しだった。
何というか、まさか捨てられないどころかスマホにつけてもらえるとは思ってなかったので、ちょっと驚いている。
「もしあの時に受け取っていたら、きっと同じようにつけていたでしょうから」
そんな俺の悪態にも屈さない紗月にこれ以上言える言葉はなかった。それに、ああして受け取ってもらえたのは素直に嬉しい。
なんてことを思いながら微笑ましく紗月を見ていると、スマホの画面を見た紗月がハッとした顔をする。
「いつの間にか時間です」
「え?」
「集合時間です! わたし、まだ荷物の整理が途中なんです!」
「あー、そういえば俺もだ」
いつの間にか結構な時間が経過していたらしい。俺も自分で時間を確認する。
「なにをしてるんですか、早く行きますよ――」
足早に建物の方へと向かった紗月が振り返り言う。その顔は何というか、楽しそうだった。
そう見えたのは、もしかしたら俺の理想が混じっていたのかも。
「――悠一!」
耳を疑った。
その声が、その名を呼んだのは随分と久しぶりだったから。
「お前……」
俺が呆気に取られた顔をしていると、紗月はバツが悪そうに唇を尖らせた。
「何か、文句でも?」
また適当な軽口を吐いてしまいそうになったけれど、やめた。こんなときくらいは素直に言うべきだ。
こんなときだしな。
「いや、懐かしいなと思ってさ!」
過去は過去だ。
けど、その過去がなければ今はない。いろいろあったけれど、今が楽しいならそれでいいのかもしれない。
あの時のような、笑顔の紗月を見て、俺はそんなことを思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます