第12話 悪役令嬢、井戸を掘る

「姫様、ほら、昼飯だ。と、言っても食わねえだろうけどな」


お昼ご飯の時間。ガスは最近はお嬢様でなく、私のことを、姫様、と呼ぶようになった。お姫様のように態度がしぶといからではないか、と私は疑っている。


ほほほ、どうせ悪役令嬢ですもの。姫様と呼ばれるくらいどうってことないわ。


ガスが囚人食を差し出すが、私はそっぽを向く。私とアーロンはすでにルルの差し入れのお昼ご飯を終えているから、ぽちもどきの食事には全く興味がない。


殺風景なトレイの上には、金属で出来た器が一つ。犬のぽちでさえ食べないであろう冷えたお粥もどきと、異臭を放つ水のはいったコップ。 あいかわらず、毎日毎日、判で押したように同じ内容だ。


私は遠巻きにそれを眺めながら、気持ち悪くなって、眉をしかめた。遠くに離れていても、コップからにじみ出る異臭が鼻をつくからだ。


その匂いはもはや凶器。臭さで人を殺すことだってできるかもしれない。

この水の臭さ、明らかにおかしい。私を毒殺するために作ったのではないかと最初は思っていたが、これが元々の水のにおいのようだった。


「ガス、その凶器もどきの水、すぐにどこかに捨てておしまいなさい」


私がそう言うと、ガスは申し訳なさそうな顔をする。


「やっぱりそうか。俺達も、この水には辟易しているんだ。申し訳ない」


ガスは、そう言いながら、食事の乗ったトレイを引き下げた。


何日もこの牢屋にいるせいか、ガスとはすっかり仲良しになった。そして、夜はガスがいつものように夕食を買いに出てくれるので、私がこの臭い水を口にする確率はゼロである。


ガスが夕食を届けてくれる度に色々立ち話もするようになった。ちなみに、ガスは五人の子供のお父さんなのだそうだ。


ちょっと引っかかることがあって、私はガスに尋ねることにした。


「でも、その水、どうして、そんなに臭いのかしら? 井戸掃除はきっちりしてるの?」


「いいや、予算が削られて、井戸の清掃費も減らされたんだ」


ガスはそう言うと、とても言いにくそうに口を開いた。


「……姫様が王太子様から、いろんな宝石を強請るので、予算がないってことだったんだが」


「はあ?」


寝耳に水とはこの事。あの風船男(王太子のことね)が一体、何を吹聴しているのか。


「……ガス、それどういうこと?わたくし、殿下からそんな高価な贈り物なんかいただいたことなくてよ?」


「噂っていうのは当てにならないもんだな」


ガスがため息ながらに言う。けれども、私は聞き捨てならない言葉を聞いたため、格子に近寄り、ガスと顔を見合わせる。


ガスから詳しい話を聞くと、どうも王太子の婚約者である公爵令嬢の貢ぎ物が多すぎて、王室の財政が傾いてる、とのこと。それで、その帳尻を合わせるために、国の予算があちこち削られていて、王立の学校、病院だけでなく、ありとあらゆる所の予算が削られているのだそう。


ガスは地下牢の見張り番であるが、腐っても王立の公務員だ。それなのに、最初に出会った時、ガスの靴が破れて足が凍傷になりかけていた。ガスの給料だってそこそこあるはずなのに。


おかしい。


「ねえ、ガス、その、看守の給料ももしかして予算削減のあおりを受けたのではなくて?」


私の質問はずばり正解だった。ガスは顔を赤らめて、もじもじしながら白状する。


「……ああ、その通りだ。以前に話した通り、俺には五人の子供がいる。給料を削られても、食べ盛りの子供の食い扶持は減らせねえ」


だから、靴も買わずに、凍傷になりかけでもガスは靴代を節約していたんだと。


「それに、最近、俺の妻が病気にかかってしまってな。町医者だと質が悪くてどうにもならねぇ。本当なら、もっとちゃんとした医者に見せてやりてえんだが、賃金も削られて、俺んところは子供たちを食わせるだけで精一杯だ」


ガス曰く、奥さんの病気のせいで、家政婦を雇うことになり、ガスパール家の経済はさらに困窮したとのこと。


「俺の妻が回復すりゃ、少しは経済的にも楽になるんだが、何しろ薬も高すぎてなあ」

ガスが遠くを見るような目をして、ぽそりと呟く。

ガスはいいお父さんなんだね……。苦労しているガスの気持ちを考えると、私は目頭が熱くなる。


それにしても、昔はともかく、ここ数年は元婚約者からの私への贈り物は、そんなに値の張るものではなかった。ましてや、宝石なんて一度も贈ってもらったことなどない。そこで、私はピンと来て、くくっと唸る。


私に貢ぐ変わりに、エマに貢いでいたのではないか。私は怒りに震えて、拳を握りしめながら、ぷるぷると震える。


「あの風船頭、ことごとくエマに貢ぎやがったな……」


その挙句、こちらに全部、責任を擦り付けて逃げ切る気か!


「王太子は姫さんじゃなくて、あのエマって女に貢いでいたのか? それで、何もかも姫さんのせいにしたってことなのか?!」


そう、ガスの指摘通り、まさにその通りである。私が憤怒に満ちた怒りをギラギラと顔に浮かべた瞬間、そんな鬼気迫る形相に、ガスは怖気づいたようだった。


「じゃあ、姫様、俺はここで……」


「ガス、ちょっと待って。他にも知ってることがあるのではなくて?」


仁王立ちになり、そそくさと逃げようとするガスをとっ捕まえて、口を割らせることにした。


まず、ガスが持っている情報をたっぷりと絞り上げ、ガスが息も絶え絶えになっている所で、私はとても大切なことを失念していたことに気付く。


井戸の水の話だ。


私は頭に上り切っていた血を一旦収めて、話題を変えた。


「それで、ガス、この臭い井戸の水は、ここの囚人全部が飲んでるの?」


もしそうだとしたら、他の囚人にはとても気の毒だ。もっと早く気付けばよかったと、私は少し後悔していると、ガスが困り果てたような顔で言う。


「ああ、囚人だけでなくて、看守も同じ井戸の水を使うんだが、この通り、何しろ臭くてな。この水が嫌なので、看守は各自、水筒持参で出勤してるんだが」


ガスは気まずそうに視線を床に落としながら言った。水を持参するのは結構、労力を使うとのこと。手洗いの水やら、掃除の水、他にも水を使う機会は沢山ある。


看守たちも必要な度にその水をつかわねばならず、看守たちも心底、臭い水に参っているのだそうだ。


「井戸の水を飲まないようにはできるんだが、井戸からの匂いがきつくてな、俺達看守も辟易してるんだ」


「上の人に言って、井戸の掃除をしてもらえば?」


「看守の間でなんとか献金を募って、以前、井戸掃除の費用を出して掃除したんだ。でも、すっかり井戸の中が腐っちまってよ。どうにもならないんだよ」


「そうなの。それは気の毒ね」


私は、ガスの手元にある腐った水を眺めながら言う。一度、水を腐らせた井戸は復活させるのがとても難しいのだ。


「腐った井戸を綺麗にするのは至難の業だしな」


「そう、それも困ったわね」


考え事をするいつものクセで、顎に手をやり、俯いた瞬間、とあるアイデアが舞い降りて来た。


「あ、そうだ。その手があったわ」


私がぽんっと手を打つと、ガスが怪訝な顔をして私を見上げる。


記憶がとぎれとぎれではあるが、乙女ゲームの中で、同じように井戸の問題を看守が話しているっていうシーンを見たことを思い出したのだ。


私はその時の記憶をフルに思い出しながら言う。


「だったら、新しい井戸を掘ればよくてよ!」


そう、パンがなければケーキを食べればよろしいのよ。簡単なことよ。ほほほ。


「井戸を掘る金なんかどこにもあるもんか」


私は胸を張りながら、ふんっと鼻を鳴らしながら言う。


「このわたくしが出資いたしますわ。こんな水、毎日飲まされている人が可哀そうだわ」


というか、この臭い水凶器を目にするのもうんざりしていた。いや、いっそのこと、こんな水、世界の果てに追放してやる!


「……いいのか?姫様。井戸掘りは結構金がかかるぜ。どこから水が出るかわかんねぇし。幾ら姫様でも、そこまで甘えるのも俺は気がひけるがな」


ガスが申し訳なさそうな顔をするが、所がどっこい!


わたくし、乙女ゲームでその件については学習済みですのよ。


「地下牢の入り口を出てすぐ右の物置小屋の横。その辺に水脈があるはずよ。そこを掘れば、水はすぐに出てくるはずよ」


「ほんとか?」


「ええ、水源の調査費用も全てひっくるめて私が払うわ」


「本当にいいのか? 姫さん」


ガスが興奮冷めやらぬ顔で私を見つめて来た。それほど、彼らも水問題で困っているのだろう。


私は、悪役令嬢らしく、どんっと胸を叩く。


「女に二言はないわ。さっさと、公証人を読んできて頂戴。それに関して、公文書を作らせるから」


お金については問題ない。


風船頭(王太子)は、口頭での婚約破棄を言い渡したが、まだ公式な婚約破棄は成立していないのだ。多分、その手続きには、これから二、三週間はかかるはず。


実は、王太子の婚約者には支度金制度、というものがある。つまり、婚約者として見苦しくないように、準備金と言うのが与えられるのだ。当然、婚約破棄された後には、その資産は王族へと戻されるのだが、それまでに、使いきっても、返済義務は生じない。


婚約破棄が正式に成立した時に、準備金が底をついていたら…… マリエルがぽかんと口を開けて驚いているのが簡単に想像できる。


ざまあみろ。


嬉しそうにぺこぺことお辞儀をしつつ去っていくガスの後ろ姿を見ながら、私はなんだかすっきりした気持ちになっていたのであった。


それが後々に思いがけない事態を招くことになるのを、私はまだ知らなかった。

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