第20話  脱獄

そして、ついに脱獄を予定した日がやってきた。


その間に、アーロンは兄を通して、手紙のやり取りをしていた。もちろん、脱獄の手段は火災だ。


乙女ゲームだと、火災がおきるのは3,4か月後なのだけど、シナリオを少し前倒しってことで!


「もうすぐ、ここから抜けられるぞ」


隣の格子ごしに、アーロンが小声で囁く。もう深夜11時に近い時刻。真夜中の二時ごろ火災が発生させる予定になっている。


もちろん、二人とも寝間着ではなく、脱獄に備えてきちんとした服に着替えていた。私は逃げやすいようにドレスではなく、裾の広い町娘の洋服だ。


脱獄の段取りはこうだ。


まずアーロンの部下が地下牢に忍び込み、私たちの牢から離れた所で、看守のランプを使って火事を発生させる。もちろん、第三者の放火、とわかれば、調査の手が入るから、あくまでも、看守が置き忘れたオイルランプが原因だという筋書きである。


そして、アーロンの部下が鍵をどさくさ紛れて入手し、鍵を開けに来てくれるという段取りだ。


私はと言えば、沢山の手紙をすっきりと書き終え、脱出するための心の準備も万全。走って逃げられるように、フェルトの柔らかな靴もルルに用意してもらった。


「火災だ!」


予定通り真夜中に近い時刻。きな臭い匂いがしてきたと思ったら、看守の叫び声が聞こえる。


「そろそろだ」


アーロンの声に頷いて、そのまま待っていると、彼の部下と思しき人物が地下牢の奥から現れた。ローブをすっぽりと被り、顔は見えないけれども、アーロンにはそれが誰だか、すぐにわかったらしい。


「ノワイエ、助かった」


「お久しぶりでございます。ご無事なようで安心しました」


彼はそう言うと、隣にいた私に会釈をして、ポケットから鍵を取り出す。

アーロンの錠前を外し、そして、私の扉も空けてくれた。


私が扉から出ると、ノワイエは二人分のローブを渡してくれた。それは、フード付きのものだった。


そして、アーロンは手早くローブを着こみ、私が慣れないローブを着るのに手間取っていると、すぐに手伝ってくれた。


柔らかくて手触りのいいフードを頭からすっぽりと被ると、顔も髪も全部隠れた。遠目からは、私たちが誰だかわからないだろう。


灰色のローブは煙に紛れて逃げるのにはもってこいでもある。これがあれば、火の粉がかかってきても大丈夫!


「それは、難燃性になっています」


「そうか。火の粉をかぶったらエレーヌがやけどするからな。助かった」


アーロンの言葉にノワイエはちょっと口元を上げ、満足げに肩をゆすった。


「急ぎましょう。他の看守がすぐに駆け付けてくるでしょうから」


「ああ、わかった。エレーヌ、いくぞ」


「ええ、アーロン」


アーロンが私の手を握って走り出そうとした時、ふと視線を感じると、ノワイエと呼ばれた男が私のことをじっと見つめていた。


その目つきには、なんだか悪意が込められているような気がしたが、次の瞬間、ノワイエは、私からすぐに視線をついと外す。


腐ってもいままで悪役令嬢をしてきたのだ。他人の悪意には、すぐに気が付いて当然である。ノワイエが私に悪意を持っていることは確かだけど、彼に悪意を向けられる理由はまるでない。


「ほら、エレーヌ行くぞ」


そして、アーロンが私の手を引っ張る。彼の後に続いて、私も一緒に駆け出した。


今は燃え盛る地下牢の中で、脱獄の真っ最中だ。

ノワイエが私に対して抱いている悪意については、後でゆっくり考えることにして、とりあえず、今はアーロンの足手まといにならないように、とにかく逃げることを優先させなければ。


そうして、アーロンと一緒に走りながら、いくつかの通路を曲がった所で、煙の先にぼんやりと扉があるのが見える。煙が充満してきているので視界がかなり悪いのだ。


「あの扉の先が緊急用の出入口です」


そう、もう少しでここから出ることが出来るのだ。私たちが一層、走るスピードを速めていると、その扉の手前の角から、突然、看守が一人飛び出してきた。


「ちょっと待った。お前たちは誰だ?」


看守は立ち止まり、まず、先頭を走っていたノワイエに気が付いたようだ。その看守が誰かを知った時、私は思わず、彼の名前を口ずさんでいた。


「ガス……」


そう、そこに立っていたのは、紛れもなく、ガスだったのだ。


ノワイエの後ろにアーロンと私がいたのに気が付いて、ガスは目を見開いて、私たちの前に立ちふさがった。


「脱獄を目論んだのは姫さんたちだったのか……」


そうしている間にも、地下牢ではどんどんと火の手が回っている。そして、私たちの背後からは濃い煙が染み出してきた。きな臭い煙が目に染みて、涙で視界がかすむ。


ガスも私たちも早く逃げないと、煙に巻かれてしまう。


火災で亡くなる人は、炎が原因ではない。ほとんどのケースが火災で発生する煙で窒息死するのだ。


「ガス、ここは危ないわ。早く逃げないと煙に巻かれる」


私がそう言うと、ガスは手にしていた鍵をチャラチャラと振って見せた。


「だから、俺は姫さんを救出しに来たんだが、まさか、脱獄とは……」


ガスは思いっきり傷ついた顔をしていた。どうして、このことを話してくれなかったのかと、かなりショックを受けているようだった。


「ガス、お願い、見逃して?」


私が二人の前に出て彼に懇願すると、ガスは目を見開いたまま、私とアーロン、そして、ノワイエの顔を代わる代わる見つめていた。彼自身、どうしていいか、混乱していたようだった。


「ガスパール、ここにいたら全員が命を落とす。早く、そこをどいてくれ」


アーロンがガスにそういうと、ガスはぐっと鍵を握りしめた。もう一方の手には警笛を持っている。他の看守に知らせるつもりだろうか。


地下牢内にますます充満する煙に巻かれながら、ガスは私たちの前に仁王立ちになり、その先を阻んでいた。


「……邪魔ですね」


ノワイエが煩わしそうに腰に手をやると、やおら長剣を引き抜く。ガスを始末するつもりなのだろうか。私は、驚いて声を上げた。


「ノワイエ、やめて! ガスを傷つけてはだめ」


私の言葉をノワイエは一切聞かず、彼はガスに剣を向ける。炎の周りは思ったより早く、身近な所で火の手が上がるのを感じた。

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