第43話 【最終話】そして、すべての終わりに
「ああ、もう俺は気が気でなかったよ」
アーロンが、さも、恐ろし気に、茶器を前につぶやく。
婚約式が波乱の幕を閉じ、私たちはアーロンの宮殿に戻ってきていた。大きなテーブルの向こうには、アーロンの両親、つまり、王妃様と国王陛下が座っている。
王宮の庭で、報告がてら外でお茶をしようということになっていたのだ。
「父上、大丈夫だと分かっていても、兵士がエレーヌ目がけて突進してきた時には、心臓が止まるかと思いましたよ」
「ああ、私もうまくいくかどうか、ハラハラしていたのだよ。息子よ。王妃がいくら大丈夫と胸をたたいても、国王としては薄氷を踏む思い……」
「あら、貴方、わたくしが信じられなかったとでも?」
王妃が茶目っ気のある笑顔を国王に向けると、王様は、もうたくさんだというように顔を振る。
「もう、ギャンブルはこりごりだ。そう思わんかね、アーロン」
「全くです、父上」
「まあ、とにかく、うまくいってよかったじゃない」
王妃が茶目っ気な表情をして笑う。たおやかな王妃様はしっかりと国王陛下を尻に敷いてらっしゃるのがよくわかる。
「最初、マクファーレンがエレーヌに手紙をよこした時には、罠かと疑っていたんだが」
そう。あれは、アーロンの宮殿に身を隠してからしばらく経ったころ、レイモンド
が突然、私の元に手紙をよこしてきたのだ。
内容は驚くべきもので、国庫を私用に着服していたのは、エマであること。支度金には一切手を付けず、全額寄付していることから、私は、横領には全く関係がないことが判明したと記されていた。
そして、極めつけは、証人として、国に戻ってきて、そのことを証言してほしいという。
「まあ、私も最初はマクファーレン警務省長官の言ってることが半信半疑だったのだけど」
王妃様が香り高い紅茶を一口すすり、上品な口調でアーロンに向かい合った。
「婚約式を利用しようと考えたエレーヌはさすがだわ。婚約式に集う貴賓たちの前で証言すれば、エレーヌの身の潔白も証明できるし一石二鳥だものね」
そう、それは、一世一代の私の賭けでもあった。
レイモンドが本当に敵か、味方か、悩む所だったのだが、私には前世での乙女ゲームの知識がある。レイモンドに聖エリウスの記憶、彼の母の記憶を取り戻させた今、レイモンドは十分信じていい相手だと、乙女ゲームの記憶に賭けたのだ。
「見事な策略だったな。エレーヌ。頼もしい限りだ」
国王陛下が私を見て笑った。親しみのこもった暖かな笑顔。
私は少し嬉しくなって、そっと微笑みを浮かべた。
「お褒めにいただき光栄ですわ。陛下」
「それで、マリエル王太子はその後、どうなったのだ?」
「ああ、それでしたら、父上、マリエルは廃嫡されて、ブランドル令嬢は裁かれたと聞きます」
「ほう。廃嫡とは、ずいぶん思い切った処置だな」
国王が眉をぴくりと上げ、面白そうな顔をした。
「まあ、王族が公爵令嬢を陥れて無実の罪を着せたのですから、マリエルはもう国の誰からも支持されないから、次期国王としては失格なのは明らかですからね」
「わたしとしては、あのぼんくらのマリエルが王位を継いでくれたほうがやりやすかったんだがな」
ふふ、と国王は鷹揚に笑う。
その横で、アーロンがくつろいだ様子で従者にお茶のお替りを注いでもらい、カップを手にして言う。
「マクファーレンから手紙をもらった時、あいつの言ってることをを信じていいとか、エレーヌは言うし……。母上もエレーヌをたきつけるし。もう、母上もエレーヌも、度胸が据わっているというかなんというか……」
万が一の時のために、国境線上では国の兵士たちを待機させていたのだと国王が言う。
「大事な息子たちを失う訳にはいかないからな。それにしても、アーロン、よく覚えておくがいいぞ。我がレディーたちは、実に狡猾だ。お前も奥方は大事に扱うがよいぞ」
アーロンはちらりと私を見て、嬉しそうに笑う。
「そうですね。父上、我らが奥方は大切に扱わないといけませんね」
「あら、アーロン、奥方と呼ぶのはまだ早いわ。まだ結婚式をしなくちゃならないでしょ」
式の前までは、わかっているでしょうね、と、王妃様は暗にアーロンを諫める。
「わかっていますよ。母上。結婚するまでは、その……節度を保ちます」
アーロンがどういう意味で節度と言ったのかは謎ではあるが、
そう。私とアーロンはその後、正式に婚約したのだ。
「とにかく、おめでとうを言わせてくださいな。エレーヌ」
「はい、王妃様、ありがとうございます」
「もう王妃様ではなく、お義母様と呼んでくださらない?」
王妃は愛嬌たっぷりに笑う。この義母とは、実にうまくやっていけそうな気がする。
「はい。お義母様。そう呼ばせていただきますわ」
「母上のほうこそ、気が早いな」
アーロンが茶化しているのを尻目に、私たちは、顔を見合わせて、うふふと笑いあった。
王妃様も第二王子の顔が潰せて、晴れ晴れとした顔をしていた。
宮廷の噂が小耳に入ったのだが、アーロンの異母兄弟である第二王子は、食事会で、さんざん無礼な態度をとっていたのだが、今回、晴れて私の無罪が認められたことで、相当ばつの悪い思いをしているのだそうだ。
人を貶めるから、そうなるのだ。
人を呪わば穴二つというではないか。
「まあ、とにかく、全部がうまく終わってよかったな」
アーロンが笑う。
乙女ゲームのスチルで少しだけ見た彼のさわやかな笑顔。
もう、本当に胸がときめいてしまうじゃないの。
そうして、私は幸せな気持ちに浸りながら空を見上げると、空はどこまでも青く広がっている。
「エレーヌ、幸せかい?」
アーロンが私の腰を引き寄せて甘い声で囁く。
「あらあら、焼けるわね」
王妃様に冷やかされながらも、アーロンは私の腰を抱いたまま離さない。
無実の罪を着せられて婚約破棄されて投獄されたが、そこで私は運命の人と出会った。
隣国のアーノルド第三王子。
人生とは、ほんとうに思いがけないことの連続なのだ。
色々と苦難はあったけれども、最終的には私の無実の罪は晴らされ名誉も守った。そして、私はこれから最愛の人と結婚する。
そんな幸せをかみしめながら、私はアーロンに笑った。
「ええ、もちろんよ。アーロン、本当に幸せだわ」
そう、これ以上ないくらいにね。
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