第11話 突然の来客
そんな風に、アーロンと一緒に楽しく過ごす毎日を繰り返しながら、段々とカードの腕前が上がっていく。けれども、そうそう喜んでもいられない。
私は乙女ゲームの抜けてる部分がまだ思い出せそうにない。何度も思い出そうと頑張っているのだが、なかなか難しかった。
そんなある日のこと、ガスが格子越しに、ちょっと慌てた様子でやって来た。
「お嬢様、驚かないでくれ。来客だ」
ルルであれば、ガスは来客とは言わないし、父でもなさそうだし、一体、誰なのだろう、と思っていると、やってきたのは元婚約者様と、エマ。そう、あのヒロインである。
「なんだ。地下牢暮らしがつらいだろうと思って見舞いに来てやったが、元気そうだな」
「殿下、そんなことを言っては、エレーヌ様にお気の毒ですわ」
ヒロインであるエマが、彼をなだめるように言う。一見、優しそうな言葉だが、なんだか棒読みのような感じがする。
……私をここに投獄させようと画策したくせに、相変わらずうざいヒロインである。
悪役になるのなら、それに徹してもらったほうがずっと潔いと思う。表では、優しい顔して、裏ではこそこそと悪いことをするなんて、最低だ。
その点、エレーヌは違う。
令嬢をいじめる時は、堂々と苛め抜く。そして、それを隠そうともしなかった。卑屈な所がないのはいいことなんだけど。……と、いうかそれは私なんだけどね!
ただならぬ来客を前にして、アーロンはどうしているかなと、ちらりとお隣を伺うと、彼は暗がりに身を潜めて目立たぬようにしている様子。
まあ、こんな修羅場に出てきても、してもらうことは何もないから、別にいいんだけど。
私はルルが持ち込んだ地下牢にそぐわぬ金箔張りの長椅子に斜に腰掛けながら、ぱんっと扇を開いて、口元を隠す。
「あら、どこの面の皮が厚い方々がいらっしゃったのかと思えば、マリエル様ではないですか」
このくらいの嫌味は言って当然だ。元婚約者様は国王不在に付け込んで、やりたい放題やり散らかしていると、この前、訪ねてきた父からも聞いている。
私の様子を見て、元婚約者であるマリエル様は、顔を真っ赤にして激高した。
「反省しているかと思って身に来てやったのに、その態度は何事だ!」
私は一瞬もひるまず、相変わらず扇をパタパタと動かして応戦してやった。
「あら、わたくし、反省すべきことなど、何一つございませんわ。むしろ、反省すべきは、殿下のお隣にいらっしゃる方のことじゃありませんの?」
「ひどい。また私を侮辱するの」
エマが顔色を変えて叫ぶと、わざとらしくしなを作って、マリエルにしなだれかかる。
「殿下、ご覧になって?私、また苛められましたのよ」
「ああ、しっかり見届けた。エレーヌ、エマに対する無礼は許さん。すぐに彼女に謝れ」
私はわざとらしく大きくため息をついた。こんな茶番、まっぴらだ。
「なぜ、このわたくしが彼女に謝罪しなければなりませんの? わたくしに無実の罪を着せて、弾劾したのはその方とお取り巻きではありませんか」
それを聞いたマリエルは顔を赤くして怒っていた。
「生意気な女だな。せっかく、この私が恩情で貴族用の牢へと移してやろうと思ったのに、無駄足をした。そのまま、地下牢に入っておけ。このかび臭い牢屋がお前にはお似合いだ」
「あらまあ、わたくしをここから出そうとお思いになって、わざわざ足を運ばれたのですか」
「ああ、そうだ」
それを聞いて、私はへそで茶が湧かせるくらいおかしくなった。
扇を片手に、ふふっと苦笑いを漏らした私に、マリエルはじろりと睨みつけて言う。
「何がおかしい」
「わたくし知っておりますのよ。こちらにいらっしゃった理由は、どうせ、元老院からの勧告でございましょ?」
わたくしのような令嬢を地下牢にいれたことに憤慨して、年老いた貴族たちが息巻いているのが手に取るようにわかる。王太子は世間体を気にして、わざわざ私の顔を見に来た、と言う訳だ。
この人の脳内は風船のように軽い。軽すぎて、ほうっておくとふわふわとどこかに飛んでいってしまうくらい、間抜けで能天気だ。
神様は何をとち狂ったのか、容貌だけは乙女ゲーム仕様の、絶世のイケメンに仕上げているが、中身ははんぺん並みに軽い。いや、まだ、はんぺんのほうが、まだ厚みがあるけどね。
私の指摘がずばり正解だったらしく、彼はうっと言葉に詰まり、顔をさらに赤くした。
「お前、よくも俺のことをバカにしたな」
私は、ぱっと扇を閉じ、片手にそれをパンパンと打ち付けながら立ち上がった。そして、格子越しへと近寄る。
ここから先は、悪役令嬢の十八番だ。
こういう時のエレーヌは、それはそれは威厳のある態度が取れる。
私が格子の側にまで近寄ると、その気迫に押されて、エマがはっと青ざめて一歩後ろに下がった。
「そこの泥棒猫。人からこそこそと婚約者をかすめ取るような真似をしなくても、わたくし、こんな男、いくらでも、「のし」を付けてさしあげますわ。子供の頃から決められた婚約者だと言うことで、わたくしもそれなりの情は湧いておりましたが、こんな愚行をするほどまで愚かだとは、今回ばかりは、ほとほと呆れ果てましたわ」
「お、俺を侮辱するのは許さんぞ」
マリエルが、カンカンに怒っているが、そんなの構うものか。長年、彼に我慢してきたうっぷんも手伝って、私は彼にぴしりと指さす。
「侮辱もなにも、人を貶めるのはよくて、自分が貶められるのはよろしくないのですか?」
ぐっと言葉に詰まった男に、私は、にやりと侮蔑的な笑みを向けてやった。あれだけのことをやって、今更、世間体を取り繕おうなんて、甘すぎる。
「王様が国に戻られたら、なんとおっしゃるのか見ものですわね」
そんな風に彼を遣り込めていると、なぜか、彼の後ろにいたエマが隣の牢にちらちらと視線を向けている。
おい、ヒロイン、よそ見している場合か。わざわざ地下牢にまで修羅場を作りに来て、よそ見するとはなんとも恐れいった。
「殿下のお連れ様は、わたくしより隣の罪人に興味があるご様子ですわよ」
嫌味を込めて、ため息交じりに言うと、マリエルもエマへと視線を向けた。
「おい、エマ、何を見ている?」
マリエルに声をかけられた彼女は、アーロンの牢の前で、時を見計らったうようにわざとらしく叫んだ。
「あら、大変。この方、病気なのではありませんか?!」
突然、エマに叫ばれたアーロンはなぜか唖然としている。呆気に取られて、床に座ったまま、ぽかんとエマを見上げていた。どうやら、アーロンは、驚きすぎて、声も出ないらしい。
「隣の罪人など、どうでもいいじゃないか」
マリエルがそう言うと、エマは芝居がかった仕草で、王太子に向き合う。
「よくありませんわ。殿下。国の次期王たるもの、病に伏せる人々を見捨ててはなりません」
そんなエマに、マリエルはデレデレとした笑顔を見せる。
「……やはり、エマは優しいな。誰かと違って、お前は誰にでも優しいんだな」
たった今まで、口論していた男がまるで別人のように、バカみたいに鼻の下をのばしている。私は気持ちが悪くなって、早く帰ってくれないかなと、心の中で呟いていた。
そして、エマは、私のことなど一向にお構いなしに、元婚約者殿に甘ったれた声を出す。公爵令嬢の前でのこの行為は実に礼儀知らずだ。投獄されてなかったら、後で、体育館の裏まで呼び出すような案件である。
エマは、私などは眼中にない様子で、マリエルに言う。
「ねえ。殿下、この方を救ってさしあげましょう。この地下牢は寒すぎるわ。こんな所にずっといたら死んでしまう」
「仕方ないな。エマの頼みなら、聞かざるを得ないじゃないか」
マリエルは完全にふやけた顔をして、エマの腰を引き寄せる。私の元婚約者様の胸の中で、エマは甘ったれた声を上げた。
「ね、マリエル様、この方を救ってあげて」
「エマ、そんなにこの男が気になるのか。妬けるな」
マリエルは、彼女の顎を持ち上げ、その唇にちゅっと、軽いキスをした。元婚約者の目の前で、である。
うっぷ。……気持ち悪っ。
そんな私には全くお構いなしに、二人はいちゃいちゃを続けていた。
……もう、どうにかして。このバカップル(涙
下世話な三文芝居を目の前で見せつけられた気がして、私は再び椅子に腰かけて、扇で顔を隠してそっぽを向く。だって、見たくないんだもん。その間に、二人は何かの結論にたどり着いたようだ。
「では、エマのお願い通り、この囚人を他の場所に移してやろう」
「きちんとお医者様に見せると約束してくださる?」
エマが上目遣いに彼におねだりして、一層、甘いムードが盛り上がった時だった。
「……お取込み中、申し訳ないが、俺はべつに具合は悪くないぜ」
突然、アーロンがしごく冷静な言葉を放ち、いちゃらぶ中の二人の背後から冷水を浴びせかけたのだ。それでも、アーロンは暗がりの中に潜んだまま、顔を見せようとはしなかった。
「そんなことないわ。貴方は病気なのよ!それも、酷い風邪をひいているのに違いないわ」
エマが気色ばって叫ぶ。彼女のヒステリックな声が、監獄中に木霊した。その声を聞いたガスが何事かと、廊下の端からひょいっと顔を出したのが見える。
ガスは看守の勘らしく、面倒ごとに巻き込まれないように遠巻きにこちらを見ていたのだ。
そんな状況の中、アーロンはすっと立ち上がって、力強い声を発した。
「何を勘違いしているのか知らないが、そこの令嬢、俺は具合は悪くないし、病気でもない。他の監獄に移る必要もないと思う」
当然、彼の声はしっかりとしていて、病気とは到底思えないほど堂々としていたのだ。アーロンも、マリエルとエマのばかっぷるぶりを、目の前でまじまじと見せられていたようで、特にエマに対する彼の視線は嫌悪感に塗れていた。
今までのやり取りを耳にして、彼はすっかりエマのことが嫌いになったらしい。そんなアーロンにエマはしつこく食い下がる。
「いいえ、貴方は病気なのよ。具合が悪いのに違いないわ」
なぜか、エマはどうしてもアーロンを病気にしたいようだ。彼女がむきになって叫んでいると、その後ろからガスが騒ぎを聞きつけ、何事かと、そっと近づいてきた。
「おい、看守、本当にこいつは病気なのか?」
ガスに気が付いたマリエルが訊ねると、ガスは素直にその問いに答える。
「……王太子様、こいつは確か、先週までは病気だったですが、もうすっかり回復しちまいましたぜ」
その瞬間のエマの顔ったら!
鳩が鉄砲玉を食らったみたいな顔をして、目は大きく見開き、きょとんとしていた。そして、腑に落ちない顔で、小声で何かつぶやいていた。
「……そんなはずは」
ほほほ、残念ね。アーロンはもうとっくの昔に回復している。けれど、なぜ、エマがそんなことを気にするのだろうと、私は不思議に思いながら、その様子を眺めていた。
私と一戦やりあったのもあって、元婚約者様も、わたしのことはどうでもよくなったようだ。
「エマ、ここは寒い。もう帰ろう。俺の話も大体済んだからな」
マリエルに促されながらも、エマはアーロンの顔をちらちらと気にしながら、しぶしぶと元婚約者様の後に続いた。
「……そんなことないはずなのに」
エマが何度も振り返りながら、アーロンにしつこく視線を残しながら立ち去る姿を、アーロンは不可解なものを見るような目でながめていた。
「……なんだ、あの女? 心の病なのか?」
彼がそう呟いた後、アーロンが、やれやれと言った顔で私を見た。
「あれが、お前の元婚約者様か。それにしても、あれはどうしようもないな」
アーロンもマリエルのばかっぷりを目の当たりにして、呆れたように言う。
「そうなのよ。あれをどうにかしてほしい、ってことで婚約者の役割が、わたくしの所に回ってきたのだけど」
「あれじゃ、国どころか、軍一つ動かせない」
軍の指揮などしたことがないはずなのに、アーロンが呆れた顔をしていた。
そう、マリエル殿下は、見かけはとても美しいのだが、中身がかなり残念な子だった。多分、見目ばかりよいけれど、頭は風船並みと言われている王妃の遺伝子を継いだんだろうと思う。
「……まあ、あいつとの婚約が解消されたのはいい事なのかもしれないぜ」
「ええ、そうね。その点については、同感だわ」
「それにしても、あの女、やたら俺を病気にしたがってたな。なぜだろう」
「さあ? わたくしにも、さっぱり」
エマの不可解な言動に、私とアーロンは、二人揃って首をかしげていたのであった。エマが地下牢で見せた行動に、何か大切なヒントが隠されているような気がして、私はその夜、また一生懸命、記憶を探ることに注力したのであった。
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