第31話 アーロンの宮殿にて~4

夕食を途中で辞退して、大きな回廊をアーロンと二人で歩く。


「急な話で済まなかった。エレーヌも疲れていただろう」


「疲れているのは確かだけど、どのみち、夕食は食べるものだから別に構わないわ」


そんな話をしながら歩いていると、アーロンが申し訳なさそうにぽつりと言葉をこぼす。


「ベルーシが無礼で申し訳なかった」


「いいのよ。ああいうのは、どこの国にもいるんだって思ったから」


そして、回廊の角に出た。ここを曲がった先には、アーロンの宮殿があり、私の部屋はその奥だ。


「それで、その…… さっきの話の続きなんだが」


アーロンが立ち止まり、私の手を取る。


「さっきの話ってなんだったっけ?」


私が無邪気に彼を見上げると、思いつめたように彼は顔を真っ赤にして、私をじっと見つめた。


「エレーヌ。今言わなくちゃダメだと思う。俺は…、俺は君が好きだ」


えっ? 


突然のアーロンの大直球を前にして、私は驚いて息をのむ。


「地下牢で初めて君を見た時、熱のある俺を看病してくれた時、ことあるごとに、俺はエレーヌを意識していた。気が付いた時には、俺は君が好きすぎて、どうにかなってしまうんじゃないかと悩んだくらいだ」


「アーロン……」


「それで俺は決めた。地下牢から脱獄出来たら、君に俺の思いを打ち明けようと。俺の本当の姿を知ってもらって、そして、改めて、俺のことを好きになってもらいたいと思った」


そういうアーロンの表情は誠実さにあふれていて、そして、愛おしさに満ち溢れていた。正装であるアーロンの姿は見るからに立派で上品だ。


ああ、彼は王子様なんだな、とぼんやりと思っていると、頬に熱く湿ったものを感じる。


気づけば、アーロンが私の頬に口づけを落としていたのだ。


「好きだ。エレーヌ」


アーロンは私の両手をとり、じっと熱心な様子で私を見つめる。気づけば、口が勝手に開いて、自分の気持ちを素直に口にしてしまっていた。


「……私もアーロンのことが好き」


それは心の底から嘘偽りのない言葉である。


地下牢に一人放り込まれてから、なんだかんだ言っても、やはり心細かったのだ。その傍らにアーロンがいてくれて、どれほど心強かっただろう。そして、彼が見事に地下牢から脱出して一緒に連れてきてくれた。


「本当か?」


さっとアーロンの頬に血の気がさす。彼の表情ははつらつとして、生き生きとしている。私が素直にうなずくと、アーロンがいきなり私を抱き上げた。


「エレーヌ、俺もだ。俺も君が大好きだ」


アーロンは笑いながら、私を抱き上げたまま、ぐるぐると回る。


「ちょっと、アーロン、目が回るわ!」


私もくすくすと笑いながら、幸せに浸る。私たちは両想いなのだ。


「ああ、すまん。喜びすぎた」


私を地面に下してから、アーロンが素直に詫びる。けれども、その言葉の端々には幸せな様子が滲んでいた。そして、アーロンが私に向かって大きく手を広げる。


「エレーヌ、おいで」


私が素直にその胸に飛び込むと、アーロンは目を輝かせながらそっと包み込むように私を抱きしめた。彼の胸に顔をうずめると、思った以上に彼の胸はしっかりとしていて、そして温かい。


「俺は君を手放したりするもんか。これからはずっと一緒だ」


それが結婚を意味するものなのか、ただ単なる愛情表現なのかはわからなかったけれども、私は難しいことは考えず、ただただ、目の前にある幸せを享受していた。


疲れていたこともあるし、今はこの幸せにただ浸っていたかったのだ。将来のことはまた明日考えればいい。


暖かな彼の胸の中で、自分の腕を彼の背中に回してぎゅっと抱き着く。


「幸せかい、エレーヌ?」


私は無言でこくこくと頷くと、彼もまた嬉しそうな笑みをそっと浮かべる。

そんな風に、静かな夜の庭園で私たちは幸せなひと時を過ごしたのである。


その翌日、王宮にとある招待状が届き、私たちは再び、せっかく逃げ出した国に戻る羽目になるとは全く予想していなかったのである。



その頃、王太子マリエルの宮殿では ──


「マリエル様、お約束の時間にございます」

「ああ、そうか」

秘書官が告げた予定は、マリエルがずっと待ち続けた者であった。


周囲の文官たちを室外に出し、人払いをしてから、マリエル自ら扉を開ける。


表に出せない客人を、そっと部屋に招きいれると、男は静かに椅子に腰を下ろした。

エマが散財し続けた債務は膨れ上がっている。国のあちこちの予算から、彼女の支払いを続けていたが、もう限界だった。


もうすぐ、国外で外遊していた国王が戻ってくる。国王はわりと目ざとい人だから、すぐに国庫の収支がおかしいことに気が付くだろう。


自分達の使い込みが発覚する前に、エレーヌの支度金を取り戻して、その債務の一部を穴埋めするつもりだった。すべての債務が帳消しにはなりはしないが、かなり目立たなくなるはずだ。そうすれば、おそらく、国王が使い込みに気づくことはない。


エレーヌの持参金、それがマリエルの命綱だった。


今日のいわくありげな人物は、そのための者だった。


「それで、エレーヌの支度金は取り返せたのか?」


一番重要なことが聞きたくて、マリエルはやや気色ばんだ顔で聞く。


「それが……」


男の顔色は悪く、歯切れが悪い。


「どういうことだ。まさかエレーヌの支度金を取り返せなかったとか言うんじゃあるまいな」


黙りこむ男に業を煮やして、マリエルは男の胸元をつかみ上げた。普段はこういう手荒な真似はしないのだが、今は状況が状況だけに、もう手段を選んでいられない状況だったのだ。


「お、王太子様、実は、その支度金がすっかり底をついておりまして……」

「なんだと? どういうことだ」


マリエルの怒号に身を震わせながら、男は正直に知りえた事実を口にする。


「支度金を保管してある場所がからなのです。エレーヌ様はどこかに使っておしまいなられて、保管庫はもぬけの殻なのです」


「支度金がない……」


その報告を聞いたマリエルは、茫然自失になりながらも、ようやっと男をつかむ手を離した。


男は床の上に転がり、ぜいぜいとあえいでいる。


「本当にないのか? どこか別の場所に保管してあるとか、そういうことは?」


もうすぐ国王が戻ってくる。本当になんとかしなければまずいのだ。


「そう思って、ありとあらゆる場所を調査しましたが、本当に一銭も残らずきれいさっぱり消え失せているのです」


それを聞いたマリエルは、一瞬、気を失うかと思うくらいショックを受けていた。


「あの金がなければ、俺は、俺がどうなるかわかるか?」


怒りと驚きのあまり、マリエルの声は震えていたが、男にどうすることもできやしないことは、わかりきっていた。


王宮に嫁ぐための支度金は、それは膨大な金額である。そんな多額の金を、王太子ですら、急に用立てをすることができないのだ。


「畜生、あの女、こうなることを見越して金をどこかにやったんだな」

「エレーヌ様の生死はまだ未確認だと聞きましたが」

「ああ、地下牢が燃えた後、あの女の遺体を捜してみたがどこにも見つからなかった。マクファーレン曰く、あの女が逃げたと言っていたが、表向きには、生死不明ということになっている」

「それでは、支度金の行方は、エレーヌ様に聞いてみないことにはわからないということですか?」

「ああ、そうだ。あの女、このまま逃がすと思うなよ」


マリエルは男を部屋から出したのち、呼び鈴を鳴らす。

「およびでございますか?」

扉の影から顔を出した秘書官に、すぐにマクファーレン警務省長官を呼ぶように伝え、マリエルは自分の気持ちを落ち着けるかのように、水差しから水をついで、ごくごくと飲み干す。


どうしてもエレーヌを見つけ出し、捕らえなければならない。


何がなんでも支度金を取り戻さなければならない。エマの使い込みをもみ消すために。


そうして、少し気が落ち着いたのだろう。マリエルは席に着き、何気ない顔を装いながら、マクファーレンの到着を待った。

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