第13話 悪役令嬢、井戸を掘り終える

翌日、ガスが連れて来た公証人ときちんと契約書を作り、私は契約書にサインをした。


「あ、そうだ。ガス、ちょっと待って」


ガスのいつもの見回り時間に、私はガスを呼び止めた。


「姫さん、何か買い物でもあるのか?」


不思議そうな顔をするガスに、私はしたためておいた手紙を渡した。宛先はアルベルグ老医師宛て。


「奥さんの病気、アルベルグ先生に面倒を見てくれるように頼んだ書簡よ。これをもって、奥さんと一緒に先生の診療所に訊ねるといいわ」


「姫さん、ご厚意はありがたいが、俺たちには治療費を払うゆとりが…‥‥」


悲しそうな顔をするガスに、私は高笑いを飛ばしてやった。


「ほほほ、お前のような貧乏人から金をとるようなアコギな真似をするほど、わたくしは落ちぶれていなくてよ。お前の奥さんの治療費はすべて公爵家が持つから、手遅れになる前に、すぐに行くことね」


なんだか、上げてるのか下げてるのか、よくわからない言い方になってしまったのだが、とりあえず、言いたいことは伝わったよね。


「いいのか?姫さん……」


また、ガスが顔を真っ赤にさせて、今にも泣きそうな顔をしていた。聞けば、奥さんの調子が最近は特に悪くて、床から起き上がれないほど悪化しているのだそうだ。


そう話すガスの目にはうっすらと涙が溜まっていた。奥さんのことで相当、彼は胸を相当、痛めている様子。もっと早く気付けばよかったなあと、少しだけ後悔したが、とにかく、これでガスの奥さんはきちんと治療してもらえるはずだ。


ちなみにアルベルグ医師は、国の中でも名を轟かすほど高名な医師である。彼にかかれば、きっとすぐ治るだろう。


ほほほ、グッジョブ、私! とにかく、治療を開始するタイミングが間に合ってよかった。わたしはにっこりと笑って言う。


「もちろん、いいのに決まっているわ。ほら、はやく、この手紙をしまいなさい」


ガスに紹介状を素早く押し付けると、ガスはそれを丁寧に懐にしまった。感極まった様子で、ガスは私を見た。


「姫さん、俺、この恩は一生忘れねぇ」


「ほら、誰か呼んでるわ。早く行ったほうがよくてよ」


何度も振り返りながら、感謝の視線をよこすガスを私は小さく手を振って送り出してやった。


きっと、これでガスの奥さんは良くなるだろう。


私は久ぶりに清々しい気持ちになって、ガスの後ろ姿を眺めていた。



それから数日以内に井戸掘りプロジェクトが開始した。


私が言った通り、地下牢の入り口の近くに、やはり水脈が見つかり、井戸は順調に掘りあげられて綺麗な水が出た時には、ガスを始め、看守たちは声を上げて喜んでいたそうだ。


そういう訳で、私の目の前には、綺麗な澄んだ水がなみなみとコップに注がれている。


「姫さん、井戸から取れた一番最初の水だ。飲んでくれ」


この計画に100%出資したので、一番最初に出た水をガスが持ってきたのだ。その後ろには他の看守たちもずらりと並んでいる。


皆が見つめる中、私は水の入ったコップを持ち上げ、ごくごくと喉へと流し込む。


適度に冷たくて、爽やかな水が喉を通る。


「……美味しいわ」


私がにっこりと笑うと、看守たちは手を取り合って、素晴らしい笑顔で喜んでいた。


「よかったなあ。おい」


「あの水には散々苦労かけられたからなあ」


看守だけでなく、井戸掘りを仕切った職人さんや、このプロジェクトにかかわった人たちもいた。


「おい、この水で乾杯しようぜ!」


誰かの声をきっかけに、綺麗な水がみんなのグラスに注がれ、全員に行き渡った所で、ガスが声を上げた。


「新しい水が通ったのはこの姫様のおかげだ。一同を代表して、俺から感謝したい」


「かんぱーい」


全員がグラスを掲げ、私のために、そして井戸のために祝杯を挙げる。


そして、グラスの水を飲み干した後、全員の視線が私にと集中する。これは代表者(?)として、一言言わねばならない。


私は立ち上がってみんなに口を開く。


「ご覧の通り、わたくしは、今幽閉の身です。けれども、今回、このように素晴らしい水を得ることが出来たのは、もちろん、わたくしが出資したこともありますが、皆の手助けがなければ何も成せなかったでしょう。わたくしは、この井戸堀りに協力した方一人一人にお礼を申し上げたいのです。本当にありがとう」


わっと歓声が起こり、人々の拍手に囲まれた。


その翌日から、私の牢屋は状況が一変した。


「姫様、よかったら、これを。花が綺麗だから摘んできてやったぜ」


とガスでない看守が差し出してきたのは、野の花々。


「ありがとう。嬉しいわ」


私がそう言って受け取ると、看守は、少し頬を染めながら立ち去る。


「なんだ、あいつ、女の子みたいだな」


そんな看守を見送りながら、アーロンがぽそりと言う。


「それにしても、なんか、すげえことになってるな」


アーロンが格子越しにげっそりとした様子で言う。


昨日から、看守たちが入れ替わりたち替わり、私の牢屋に来て、ちょっとした贈り物を置いておくのだ。その様子はさながら、バレンタインデーのモテ男子って感じだろうか。


そんな風に、アーロンと話していると、また別の看守が来た。ガタイのよいスキンヘッドのおっさんだ。


「ほら、差し入れだ。この酒、うまいんだぜ」


と、見るからにすごい呑んべえな看守が、なんだかよくわからないお酒を差し入れてくる。


「あら、いいのかしら? お言葉に甘えていただくわ」


そう言ったものの、実は、エレーヌはほとんどお酒を飲まないのだ。


一人じゃ飲み切れないし、さりとてせっかくもらったものを口にしないのも、なんだか悪い気がしたので、結局、ガスや他の看守たちの非番の時間にみんなで集まってもらった。


いつもの店にガスに言ってもらい、おつまみなどを買ってきてもらって、看守たちと一緒にパーティーを開く。


と言っても、私は牢屋の中で、彼らは牢屋の外に座り、気楽なホームパーティーって感じだ。


もちろん、アーロンも隣の牢で、看守が持ってきたお酒をちびりちびりと飲んでいた。


「酒か。随分、久しぶりだな」


そうやって気楽にみんなが楽しんでいる時、勤務に当たっていた看守が大声で何かを叫んでいるのが聞こえた。


「今日の面会は終了しております。閣下、おやめください」


誰かが地下牢へ来たらしいのだが、それを振り切って、中に入ろうとしているようだ。


あのいかつい看守を振り切れるなんて、只者ではない。


「一体、何事だ?」


ガスが険しい顔で立ち上がり、出入口へ向かおうとしたがすでに遅し。ガスはその侵入者とかち合ってしまった。


「エレーヌ、一体、何をしている?」


姿を現したのは、私の兄、エドガーである。乙女ゲームの攻略者である兄は、それはそれは、見た目は素晴らしく美しいイケメンである。


銀の短い髪に、抜けるような青い瞳、


貴族らしく、金の刺繍が施された黒のジャケットにクラバット、という見事に華麗ないで立ちだ。


けどね!兄さま。


その姿は地下牢では浮きますわよ。


掃きだめに鶴ってことわざがあるほど、その場にそぐわない。


看守たちは入れ墨ありのいかつい大男ばかりだ。


「あら、お兄様、お久しぶりね」


私も、お酒の入ったグラスに一口だけ口を付けたばかりなのだが、その様子を見た兄は不機嫌そうに眉をしかめた。


「エレーヌ、一体、何をしているのだ?」


この人は乙女ゲームの攻略対象だ。不味い時に来てしまったなあと思いながら、私はすっと立ち上がり、格子の側まで移動する。


「何って、お兄様、酒盛りですけど?」


私は小首をかしげながら兄を見上げる。兄は酒盛りって言葉を知らないのだろうか?


無邪気にそう言うと、兄は、こめかみを抑えながら、ぐったりした様子で言う。


「……貴族令嬢の振る舞いか」


そうは言っても、今は井戸開通のお祝い真っただ中である。


「その人は姫さんの兄上なのか? 姫さんに似て、凄いいい男だなあ」


ガスが感心したように言う。私はせっかくの宴なので、兄にも勧めることにした。


「兄さま、井戸が開通したせっかくの祝いですの。そこで立ったままなど無粋なことはなさらず、お座りくださいませ」


兄は、一瞬、私の顔を信じられないような顔で私をしげしげと見つめたが、ぽつりとそれもそうだな、と呟いて、看守の間に座った。


兄にもグラスが回り、みんなでもう一度、祝杯をあげると、場は再び和気あいあいとしたものに変わる。


あの四角四面で厳格な兄が、看守に馴染めるのかと心配したが、兄も仲良くガスと杯を交わして、楽し気に看守たちと談笑していた。


私は兄の意外な一面を見て、心底、驚いたのであった。


乙女ゲームの中の兄、エドガー・マクナレンは美しいけど、とっつきにくい面があり、そんなかたくなな彼の心をヒロインは、解きほぐしていく。


几帳面で、真面目一辺倒で気難しいエドガーは、前世でゲームをしている時から、少し苦手だったのだが、兄の意外な面を見て、私は少し彼を見直したのであった。


そして、みんなで楽しく、その夜は過ごしたのである。



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