第14話 別ルート? 悪役令嬢、窮地に陥る

そして、井戸掘りの影響は、思いがけない所へと波及する。


「姫さん、来客だぜ」


楽しく宴会をした翌日の午後、私がお昼を食べ終え、ナプキンで口元を拭いていると、ガスが困り顔でまた私の所にやって来た。


ルルや、父、兄など、身内が来た時にはガスはこんな言い方はしない。彼が「来客」と呼ぶのは、私にとって都合が悪い客である時だけなのだ。ガスはガスなりに、私にそういうことを伝えたくて、そんな風に言っているのだろう。


ガスの表情からして、なんだかとても厄介な来客のような気がしてナプキンを横へ置いた。そして、私は椅子に座り直し、すっと姿勢を伸ばす。


「お通しなさい」


そこに姿を現した人物を見て、私は驚きすぎて言葉を失った。


緑色に金や銀の刺繍を施した長衣に、クラバット。胸元にはロゼッタのブローチ。

見るからに貴族らしい貴族の風貌をした人物だった。


「どうして……」


緊張のあまり、喉がカラカラになって、声がかすれた。そこにいたのは、乙女ゲームの中で、一番苦手とする人物だった。


レイモンド・マクファーレン警務省長官


国の警備、諜報活動などを統括するマクファーレン侯爵である。


彼は乙女ゲームの中でもヤンデレ担当の攻略対象だ。28才になる彼は背が高く、大柄であり、彼にきゅんしている女子は大勢いたが、一つだけ大問題があった。


諜報活動のトップである彼は、もちろん、大の拷問マニアである。暗殺など国の闇の部分も担うので。闇長官とも呼ばれていた。監禁された令嬢を見ると興奮が止まらないという特殊な性癖の持ち主で、そのヤンデレ度合いが素敵、と喜ぶ女子もいたが、私的には全く好みではない。


ヒロインのバッドエンドの一つが、このレイモンドルートだ。ゲームをしていた時にも、このルートには絶対に入るまいと、私は念には念を入れて、ルートを選んでいたほどだったのに、どうして、この状況でかち合うのか。


地下牢に閉じ込められている貴族令嬢(私のことね)なんて、彼にとっては大好物以外の何物でもない。随分、まずい展開になったと冷や汗をかく一方で、ふとした疑問が湧く。悪役令嬢である私が彼との接点は全くないはずなのだ。


彼は闇の長官と呼ばれることもあって、社交界にはほとんど顔を出していなかったから、顔見知りにもなりようがない。社交界でも絶対に自分とは接点がないはずの彼が何故?!


どうして、悪役令嬢エレーナの前に、レイモンドが現れるのか、全く訳がわからず、私の胸は不安でドキドキと波打つ。


もしかしたら、ゲームの設定が少しずつ変わってきているのかもしれない。もし、自分がレイモンドルートに入っていたらどうしよう……。


美貌の侯爵を目の前にしながら、私はゲームのエンディングのスチルをありありと思い出していた。ゲームの中では、バッドエンドを迎えたヒロインに、レイモンドはありとあらゆる拷問を繰り返して楽しんでいたのである。


「ああ、エマ、君のその苦痛に満ちた顔がたまらなく魅力的だよ」


苦痛に顔を顰めるエマを、レイモンが恍惚に満ちた顔で眺めている様子が、とても怖かった。私はその時のスチルを思い起こして、うっすらと鳥肌が立つのを感じた。


けれども、ここが正念場だ。うっかり、私が怖がっているのを彼に悟られてしまったら、彼が喜ぶばかりか、本当にレイモンドルートに突入してしまうかもしれない。レイモンドルートに入ると、彼は「美しい貴女を私の屋敷に連れて帰りたい」と言い出すのである。


「マクナレン公爵令嬢、お初にお目にかかります。マクファーレンと申します」


「ええ、存じておりますわ。マクファーレン警務省長官」


私が毛の先まで神経質になりながら答えると、ほう、とレオナルドは肩眉を上げ、意外だと言う顔をする。


「…‥すでに私の名をご存じとは、さすが公爵家令嬢ですな」


「お褒めに預かり光栄ですわ。それで、早速ですけど、わたくしに会いにいらっしゃった理由をお伺いしてもよろしいかしら?」


レイモンドは、口元を緩めて、私に熱のある視線を向けている。拷問という変な趣向がなければ、彼は見るからに美しい青年だった。柔らかなブロンドの髪に、緑色の瞳。形のよい口元を緩めながら、彼は言う。


「我が牢獄に無実の囚われの姫がいると聞きつけて、わざわざ出向いてきたのです」


「無実は本当ですが、誰からそのようなことを?」


「新しい井戸の話は私の耳にも届いております。前々から、地下牢の腐った井戸は我々にとっても頭が痛い内容でしたからね。こんなに金のかかる仕事に出資してくれた人が現れたと聞いたので、私は、なんとしても、その方に一言お礼を言わねばと思ったのです」


彼は、一度口を閉じて、熱のこもった視線を私に向ける。


私は彼のねっとりとした視線を感じながら、ずっと押し黙っていると、彼は再び口を開いた。


「私の秘書から詳しく話を聞けば、その井戸に出資した方は投獄されている月夜の銀の姫だと言いましてね。看守の中には、銀の美しい姫を慕っている者が多くいるとも聞きましたから、どんな方なのか、私もひと目でいいからお会いしたくなりました。何より、無実の罪で投獄された身でありながらも、看守や囚人の環境にまで配慮するという、美しい心の持ち主に私は感動した、とでも言いましょうか」


あっちゃー。やってしまった。というか、看守、余計な噂すんな。銀の姫とか勝手に呼ぶな。


井戸を掘ったせいで、なぜかヒロインが入るはずのレイモンドに突入してしまったみたい……。


そこで私ははっと思い出した。


ヒロインがレイモンドに入るときの条件は、確か……井戸。


悪役令嬢を見舞に来ていたヒロインが、井戸の水が腐っていることに気付き、寄付を募って、井戸を開通させるのだ。


しまった。


いくら乙女ゲームをやりなれていたとは言え、実は、そこまでは思い出せていなかったのである。


そこで、彼は当然、やおらポケットから鍵を取り出した。


「何をなさるおつもりですの?」


怖い気持ちを悟られまいと、私は虚勢を張りながら彼に問う。


「貴女がそこから出ることは認められてはいないが、私がそこに入ることは全く問題がないのですよ」


そういうと彼は背筋がぞっとするような美しい笑みを浮かべ、牢のカギを開けた。


うわ、ど、どうしよう…‥。


私はぞっとしながら、後ろにあとずさりすると、彼は鍵を開き、牢の中へと足を踏み入れてきた。その顔は、恍惚として、まるで何かに酔っているようにも見える。

そして、彼は私のすぐ傍まで来たと思うと、私の耳元で小さく囁いたのだ。


「私のことをレイ、と呼んでください。かわいそうな私の囚われの姫」


「い、いえいえ、愛称でお呼びするなんて恐れ多いですわ……」


「何を仰るのです。この地下牢、いや、この国の監獄全ては、私の管理下にあるのです。ならば、そこに閉じ込められている囚人も、全て私のもの。そう、貴女がなんと言おうと、貴女はもう私のものなのですよ。銀の姫」


私は彼から距離をとろうと一歩、また一歩と、じりじりと後ずさりする。


やっぱり、レイモンドルートに入ってる!うわあ、まずい。どうしよう……


私は壁際、ならぬ格子際にまで追い詰められながら、この状況をどう打破するべきなのか、困り果てていた。

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