第16話 救いの手は誰?


そこに立っていたのは、エドガー・マクナレン次期公爵。つまり、兄のエドガーである。


いくらレイモンドが警務省長官であったとしても、彼より位の高い兄には敵わない。


兄もまた青い目に暗い殺気を忍ばせ、レイモンドを睨みつけていた。


「すべて見ていましたが、妹への無礼を見過ごす訳には参りませんね」


レイモンドが、ちっと小さく舌打ちをしたのが見えた。


「私はただ、エレーヌ様が落ち込まれているようにお見受けしたので慰めていただけにございます」


私にものすごく未練がましい目を向けながらも、レイモンドは、そっと私から身を放した。兄さま、グッジョブですわ!


「警務省長官ともあろうお方が、妹にどのようなご用件でしょうか?」


兄が話によっちゃただでは済まさないぞという様子でいると、レイモンドは、すぐに落ち着きを取り戻したみたいだった。彼は平然とした様子で兄に視線を向けた。


「私は単純に井戸のお礼を申し上げに来たのですよ」


「そうですか。それでは、今後の妹に対するご用件は、兄であるこの私に取り次いでいただけますか? 妹はただでさえ、このような境遇ですから、嫁入り前の公爵令嬢に変な噂が立つと困りますからね」


「そうですね。確かに嫁入り前のご令嬢をこのような場所で訪問することは、少し浅慮でしたな。お詫びいたします」


レイモンドは口では丁寧に謝罪の言葉を述べていたが、本心では全然、そう思っていないことがよくわかる。そして、軽く私に会釈をしたと思えば、すぐに、地下牢から出て行ったのである。


「ああー。もう生きた心地がしなかったわ」


私はへなへなと椅子に座り込むと改めて兄を見つめた。……兄は、エマの側にいるのではなかったか。


鋭い視線で、レイモンドが立ち去るのを見送ってから、兄は私のほうへと向き直った。


「それにしても、ちょうどいいタイミングで来てくれたのね。お兄様」


「ああ、看守が血相変えてやってきて、マクファーレンがお前を訪ねてきたと教えてくれたのだ」


看守たちも、実はマクファーレンの「密やかな趣向」を知っており、慌てて兄の所に馬を飛ばして助けを求めに行ってくれたのだと言う。看守、グッジョブである。


ふと気が付くと、兄の後ろから遠巻きに看守たちが覗いていた。さっきのやり取りをすっかり見ていたのだろう。


ガスを始めとして、いかつい男たちが心配そうな顔をしている。


私が手招きすると、恐る恐る、彼らも兄の側へと近寄ってきた。


「私も、マクファーレンにそんな趣向があるとは知らなかった。まさか、そこまで性癖が歪んでいるとは……」


そういう兄の傍でガスが、心配そうに口を開く。


「エドガー様、マクファーレンは執念深い男ですぜ。あいつは、一度、狙った獲物は蛇みたいにしぶとく離さないんだ」


他の看守たちも、その言葉にうんうんと頷いている。彼らも、マクファーレンの拗れた性癖をよく知っていると言う。


「随分と面倒な奴に目をつけられたな。エレーヌ。この件は父上を通して、奴に釘を刺すよう伝えておく」


けれども、エマの攻略対象が、どうして私のことをそんなに気に掛けるのか、不思議でならなかった。後で、エレーヌの処刑に同意のサインをするのが、この兄のはずなのだ。


「お兄様、ブランドル嬢からは何も聞いてませんの?」


エマの話を聞いて、兄が不思議そうな顔をする。


「なぜ、ここにブランドル嬢が出てくるのだ?」


「お兄様とご懇意ではありませんの?」


そう言うと、兄は不思議そうな顔をした。


「懇意も何も、そもそも知己でもないのだが?」


「あら、そうでしたか?」


まあ、それはともかく、と兄は私に手紙を差し出してきた。


「これも渡しておこうと思ってな」


それは、アーロン宛になっており、以前、ルルを通して手渡した手紙の返信のようだった。私がそれを受け取ると、レイモンドも追い払ったし、手紙も渡したから、と兄は仕事場へと戻っていった。


その手紙がアーロン宛のものだと看守に悟られないように、看守たちが仕事に戻った隙を見て、私は、それをアーロンに渡した。


そして、再び椅子に座って、紅茶を片手に、気持ちを落ち着けようとした。


レイモンドルート。


まさか、悪役令嬢であるこの私が、ヒロインのルートに入ってしまうなんて考えたこともない。ゲームの中では、絶対にありえなかったルート変更である。


攻略対象である兄のエドガーも、エマとは知り合いですらないらしいようだし……。


── もしかして、乙女ゲームの設定が変更している?


そうであれば、全て、説明がつく。


あの井戸を掘ったことが、ストーリ―全体に影響を与えているのかもしれない。

そうでなければ、悪役令嬢がレイモンドルートに入るなんてありえないのだ。


筋書き通りには物語が進んでいないことと、そして、これからの選択によっては、処刑エンディングも避けられるかもしれない。


そして、まだ思い出せていないとても大切なこと。それがどうしても気になって、私は紅茶を脇に置いた。


「どうした?顔色が悪いぞ」


アーロンが私の様子に気が付いて声をかけてくれた。


「さっきのことがショックなのか?」


そんな風に私のことに気遣ってくれるアーロンの優しさが、じんと胸に染みる。


「ああ、レイモンドのことね。あれじゃなくって、別のことで、少し気鬱になってるだけ」


私がそう言うとアーロンが手招きする。


「そうか。こっちに来い」


そうは言ってもやはりレイモンドの件もショックだったのだ。彼に掴まれた腕が気持ち悪くて、やっぱり気持ちが落ち込んでいるのかもしれない。

 

普段なら、「同情なんて結構よ」と言ってしまう所だったのだが、やはり、精神的に少し動揺したせいか、アーロンに言われるがままに格子ぎわに座った。


「ほら、落ち着くまで手を握っててやる」


彼が差し出した手を私はそっと握った。大きな、そして、ごつごつした男の人の手。その温かさに包まれているうちに、緊張がほぐれて来たのか、私は軽く息をついた。


「アーロン…」


格子越しに座りながら、私が不安げに彼の名を呼ぶ。


いくら悪役令嬢だからとは言え、風船頭から突然、婚約破棄を言い渡されたり、突然、投獄されたり、やはり色々と精神に来るものがあったのだ。そこに加えて、拷問マニアのレイモンドの登場などで、やっぱり、気持ちが少し弱っているのだ。


「マクファーレンなんか気にするな。俺が、お前を守ってやるから、心配なんかするな」


彼はそう言うと、腕を伸ばして私の肩を抱き寄せた。

私たちはお互いに一言も言葉を発することなく、随分と長い間、格子越しに身を寄せて座っていた。


それでも、私と同じく囚われの身であるアーロンに、何が出来ると言うのだろう。私が悲しそうな顔をしていると、アーロンはにやりと自信ありげな笑みを浮かべた。


「そんな悲しそうな顔をするな。やっと俺の仲間からの返事が来た。ここから脱獄出来る日はそう遠くないかもしれないぜ」


彼は小声で囁き、その手紙をこっそり見せてくれた。ほんの少し、暗闇に一筋の明かりが差し込んで来たような気がした。



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