第40話 大勝負~2

「どうだ、あれはエレーヌで間違いないか」


王宮の一室。カーテンの影に目立たないように立ち、王太子マリエルは、警務省長官レイモンド・マクファーレン侯爵と共に、その賓客たちを観察していた。


自分達の婚約を祝うために、王室が主催した婚約の式典。それに参加するために、賓客が、煌びやかないで立ちで、次から次へと到着していた。


レイモンドが窓から覗くと、ちょうど、アーロンが馬車から降り立った所で、彼は中の女性に手を差し伸べていた。

「すぐに顔は見えるでしょう」

そんなレイモンドに、マリエルは半信半疑な様子だ。

「アーノルド第三王子、まさかそんな男のパートナーとして、この国に堂々とやってくるとは思えないのだがな」

レイモンドは、にやりと含み笑いを浮かべる。

「さあ、どうでしょうね。我々の諜報活動は殿下が思うより、ずっと正確ですが」

マリエルは、ちょうどいま到着した賓客の一挙一動に夢中になって、レイモンドの言葉は全く聞いていないようだった。


「ほら見ろ。ついに、お出ましだ」

マリエルの目に入ったのは、かくや王族とも言っても差し支えないほど、素晴らしい衣装に身を包んだ淑女だった。


ダイヤと真珠をあしらったクリーム色のふんわりとした豪華なドレスに、赤と白、茶色のストライプに王族の紋章の入ったサッシュを肩に掛けている。


華奢な体がふんわりとしたドレスに包まれているが、姿を現した令嬢は、まさに淑女。馬車から降り立った時の、堂々とした、そして、晴れ晴れとした顔つき。


その女は、彼がよく知る元婚約者エレーヌ・マクナレン公爵令嬢と瓜二つであった。


「エレーヌ……、間違いない。あの女だ」


忘れようとしても、決して忘れられないその顔。


いつも堂々としていて、いつもなんでも上手に物事をこなし下げて、常にマリエルが敵うことのなかった女。


そのせいで、どれだけマリエルの劣等感は刺激されただろうか。


地下牢に投獄して、無様な姿を見ながら溜飲を下げていたのに、突然、姿を消した。死体も見つからない。マクファーレンは彼女が逃げたと報告していた。


「それにしても、なぜ、あの国が彼女を助けるのだ」

「さあ、わたくしにも、それはわかりませんが、捕らえてみれば何もかもが明らかになるかと」


レイモンドが何食わぬ顔をしていう。


「それで、兵士はすでに待機しているのだな?」

「ええ、もちろんです。目立たぬように配置しております」


遠目に、彼女がエスコートされて宮殿の中へ入っていく様子を、マリエルは無感情で眺めていた。


王族かと思うほど、豪華な衣装は素晴らしく彼女に似合っていた。皆の注目を集め、その中でもエレーヌは一歩もひるまずに堂々としている。


花のように美しいエレーヌ。よくも悪くも皆の注目を集め、その隣の自分は常に脇役。そんなみじめな思いを、マリエルは思い返していると、従者が扉の影から現れる。


「マリエル様、そろそろご用意をいたしませんと」

「ああ、わかっている」


王太子は鷹揚に頷くと、レイモンドが静かに礼をとった。


「では、わたくしも仕事に戻ることにいたしましょう」

「ああ、マクファーレン、よろしく頼むな」


エレーヌがここに現れた理由は不明だが、今度こそ、あの女を捕らえるつもりだった。式典の終わりに、あの女を捕らえることになっている。


マリエルは、窓の外のエレーヌを見ながら、口元に勝ち誇った笑みを浮かべていた。


その頃、艶やかな人々の集まりの中、エマ・ブランドルはマリエルを捜して宮廷の中をさまよっていた。


「もう、マリエルったら、一体、どこに行っちゃった訳?」


これから婚約式が始まるというのに、肝心の彼の姿が全く見えないのだ。


宮廷には次々に賓客が訪れていた。その中にでも紛れているのではないかと近寄っていくと、口々に人々から声をかけられる。


「おめでとうございます。この日を楽しみにしておりましたわ」


お取り巻きの子息や令嬢たち。

そんな人間を適当にさばきながらも、エマの胸中は複雑だった。


── 一推しのアーノルドルートに入れなかった。


彼が地下牢に囚われている間、足繁く彼に会いに通ったのに、何一つイベントは起きなかった。


一体、どこでフラグを踏み間違えたのだろう。


そして、彼は筋書き通りに脱獄して、本当なら、私を迎えに来てくれるはずなのに。ゲーム補正がどこかで働いていてくれるのを、心のどこかでエマは期待する。


そうよ。きっと、この婚約式に来てくれて、俺が愛しているのは君だと言って連れていってくれるのに違いないわ。


正直、マリエルルートは退屈だった。


乙女ゲームではあんなに胸がときめいたマリエルの美貌も、彼の頭の中がからっぽだったと知った時には百年の恋も冷めるような心持ちだった。


浅はかで見栄っ張りな馬鹿な男 ──


男は顔だけでは十分じゃないのだ。


豪華な式典用の衣装をまとっていても、エマの心の中は、不満でいっぱいだった。


もうマリエルルートは変更できないのかもしれない。


そう思いつつも、エマはまだアーノルド殿下への未練を断ち切れずにいた。だって、これからのアーノルド殿下は、王位を継いで、過去の放浪癖から学んだことを生かして、100年に一度の名君と言われるようになるのだ。


当然、その横に立つべきは自分しかない。


エマは、無邪気にそう思っていた。


本来は、このような式典を前に、正装でふらふらと歩くのははしたないとエマは知っていたが、そんなことは知ったことか。


だって、私はヒロインなんだから。


どこかでゲーム補正が働くことを期待しながら、招待客の顔ぶれの中、一推しのアーロンの面影を捜すと、少し先に彼がいるのを見つけた。


アーロン!


乙女ゲームのスチルそのものの彼の姿を見て、エマの胸はどきどきと音を立てた。


少し細身だけれど、精悍な顔だち。黒に金の刺繍が施された彼の礼服は、彼の男らしさを際立たせている。


エマは胸をときめかせながら、彼に駆け寄ろうとした時、その隣にいるのが誰かを知って、驚愕した。


エレーヌ・マクナレン悪役令嬢!


膝がショックのあまり、ガクガクと震え、かすれた声が思わず出た。


「どうして……。死んだはずじゃ……」


アーロンの隣に立つその姿は、乙女ゲームのヒロインといっても差し支えないほど美しかった。マリエルはエレーヌのことについては何も教えてくれなかったのだ。


だから死んだと思っていたのに。


抜けるような白い肌。月の光を集めたような銀髪を結い上げ、ほっそりとしたうなじと背中が大きく見えるドレス。


王族を示す真っ赤なサッシュを肩から掛け、クリーム色のふわふわな生地に、たっぷりとあしらわれた真珠に、ダイヤモンド。


そんなエレーヌが、口元を優しく緩めて、アーロンの頬に手をあてた。彼の髪の毛に飛んできた木葉を取ってやっていたのだ。


「やだ……。私のアーロンに……」


ストーリではあり得なかった光景を見て、エマは恐怖のあまり一歩、二歩と後ろに後ずさった。


エレーヌがここに来ている。それは、乙女ゲームにはない展開だ。


どうしよう、どうしたらいいのかしら……。


エマが戸惑っていると、すぐ後ろから声が聞こえた。

「お嬢様、もうそろそろお時間にございます」


もう時間がない。式はもうすぐ始まってしまうのだ。


従者に連れられて、控えの間に入ると、マリエルがそこに来ていた。


「マリエル様、探しましたのよ」


彼はエマの頬に軽く口づけを落としてくれて、ほんの少しだけ気が楽になったような気がする。


「どうした?そんな顔をして」

心配そうに自分の顔を覗き込んでくれた彼の手を取りながら、エマは不安げな顔をする。


「エレーヌが、ここに来ているのを知ってる?」

「ああ、もちろんだ。俺が呼んだんだからな」

「なぜ?」

「エレーヌをとっとと捕まえて、使い込んだ費用をあいつの支度金と相殺しなきゃならないからな。国王も戻られたし、使い込みがばれる前に、あいつを捕まえて支度金を取り戻さないといけないからな」

「本当に、わたしたちは大丈夫なの?」

「ああ、もちろんだ。心配しなくていい」


彼の腕の中で、エマはそっと安堵のため息をつく。


この男は馬鹿だが、そのことについてはうまくやってくれるだろう。

彼の指が自分の頬から唇に移る。そっと、やわらかな唇を指でなぞりながら、マリエルは笑う。


「可愛い顔が台無しだ。ほら、笑って」


エレーヌは、マリエルが処分してくれるはずだ。マリエルルートが終わったら、アーノルドルートを攻略しよう。


そうよ。ゲーム補正で、これから全てうまく行くようになるんだわ。


そう信じて、エマは、ゆったりと彼に微笑みかける。二人は式典に出るために、従者に促されて、部屋を後にしたのだった。



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