第9話 賭け事(1)

老医師が処方してくれた薬と、温かい食事のおかげで、アーロンはあっという間に、ぐんぐんと回復していった。


さすが、体力のある成人男性である。


今では、すっかりと良くなって、余裕の表情で壁にもたれかかっていた。


私はといえば、未だに、この状況から抜け出す手がかりが見つからない。乙女ゲームの詳細を思い出すのが、結構、至難の技なのだ。


あれだけやりこんだゲームのはずなのに、所々、情報が抜けていて、まだ完全に思い出せない部分もあった。

何か大切なことを思い出せないような気が仕方がない。


それでも、アーロンのおかげで、地下牢生活をそれなりに楽しく過ごさせてもらっている。あ、もちろん、言い忘れたが、ルルや、看守のガスがいてくれるおかげ、ということもある。


そんなある日のこと。


アーロンが一緒にカードでもやらないかと持ち掛けてきた。私もそれなりに暇だったので、一緒に遊ぶことにした。


こちらの世界にもトランプのようなものがあるのだ。


ひとしきり、ルールを教えてもらうと、アーロンは慣れた手つきでカードを切る。


「そうだ。ただカードで遊ぶのもつまらないから、何か懸けてみないか?」


彼がいたずらっ子のような顔をする。


「うーん、懸けるって言っても何にしようかな」


私がいいことが思いつかなくて、戸惑っていると、アーロンは、無茶苦茶色っぽいウインクを放ちながら、にっこりと笑う。


……アーロン、その色気、無駄ですわよ。


「じゃあ、負けたほうが勝った人の言うことを聞くっていうのはどうだ?」


おおお、それは、まるまる前世での「王様ゲーム」ってやつでしょうか?


前世では私はいわゆるオタ女でしたので、実は、合コンって行ったことがない。一度、王様ゲームやってみたかったんだよ。この世界には、がち王様がいるから、そういうゲームはないんだと思っていた。


前世でもやったことがない王様ゲーム、ちょっと面白そうだけど、大丈夫かな……? 


「心配するな。俺が負けるってこともある訳だし」


「うーん、でも……」


私がしり込みしていると、アーロンは、ふっと笑いながら言う。


「ただのカードだぜ。さすがにマクナレン公爵家でも怖気づくのか?」


いくらアーロンとはいえ、そんな風に下に見られるのも癪に障る。その瞬間、思いもかけない言葉が口からほとばしりでた。


「ほほほ、誤解していただいては困りますわ。わたくしを甘くみると後悔することになってよ!」


おい、エレーヌ、何を言ってるんだ!


麗奈の私は慌ててエレーヌに文句を言うが、やはり、挑発されると、悪役令嬢の血は騒いでしまうらしい。


うーむ、悪役令嬢の遺伝子、というか条件反射、恐るべし。パブロフの犬並みである。


「それじゃ、こっちに来い。ルールを教えてやる」


アーロンに教えてもらいながら、一通りのルールを学んだ後、本格的な勝負が始まった。


そして、ものの数分後……。


「俺の勝ちだな」


アーロンがにやっと黒い笑みを浮かべる。


勝負がついた後、私は手持ちのカードとアーロンが持ってるカードを見比べて唖然とした。ポーカーでいうと、ロイヤルストレートフラッシュみたいな手を彼は出してきたのだ。


月とすっぽん、提灯に釣鐘、そんな言葉が頭の中でぐるぐると回る。


子供とお相撲さんの対戦みたいに、あっさりと負けてしまったのだ。負けるっていうか、全く勝負にならなかった。


「くく、このわたくしが負けるなんて……」


出た!悪役令嬢の条件反射。どうしても、所々、悪役令嬢っぽい雰囲気がひょっこり出てしまうのね。それともゲーム補正かしら。


ゲームにまけてひたすら悔しがる私の姿を、アーロンは嬉しそうに眺めていた。……もしかして、アーロンはドSか? Sなのか?!


しかし、なんていうか、ニヒルな笑い(古いなあ)を浮かべるアーロンはものすごくカッコいい。病み上がりで、かなり痩せてしまっているけど、ちょっと無精ひげが生えてるところが、余計に渋くて素敵なのだ。


「じゃあ、約束を果たしてもらおうか?」


ちょっと!それって、なんだか借金取りの顔のようじゃありませんか。前世でも、今世でも、借金取りに追われたことはないけど、そんな感じの顔をしいた。


「えっと、約束ってなんでしたっけー?」


私は、あっちこっちに視線をさ迷わせ、すっとぼけたフリをしてみるも、アーロンは獲物を狙った狼のような顔をしている。


アーロン、やっぱり、ドS疑惑、決定です。Sだ。こいつ、ドSだよ。


私は何をねだられるのかと思い、ドキドキする。金貨5枚とか、いやいや、もしかしたら、私の持ち分の財産を出せとか!!


「ほら、ここに口づけしてくれ」


そう言ってアーロンが指さしたのは、彼の無精ひげが少し生えている、男らしい、フェロモンたっぷりの右の頬だった。


「い、今、何て?」


彼は嬉しそうに、さらに近寄って、男らしい頬を格子のすぐ傍にまで差し出した。格子は20センチ幅で、そういうスキンシップが可能なサイズだ。


「ほら、約束だろ?」


ええっ。そんなことでいいんですかっ? というか、前世の私は別にどうってことないんだけど、いや、男の人の頬にちゅってするのはオタ女の私にとっても、とてもとても、ハードルが高いんですけど、公爵令嬢のエレーヌにとっては、さらにさらにハードルが高く、清水の舞台から飛び降りるよりも、勇気がいることなのだ。


この世界は、貴族制度がある分、封建的だ。娘たちは、何より貞淑第一を求められるため、足首を見せることだって、貴族令嬢にとっては大ごとなのに、頬にちゅってするのは、もっともっと大変な・・・


と、ここまで来て、私は突然、はっと正気に戻った。


これから、自分の身に起きることは、高確率でのバッドエンド、つまり、処刑とか、流刑とか、まあ、そんな感じのろくでもないことが、先に控えている。


というと、これから一生、男性に接するなんてことはなくなるのである。今の自分には、命の危機に面しそうな未来しかない。


乙女ゲームの延長にあるような、あっはーん、うっふーん、みたいにピンク色のあれこれと言うのも、もうないんだよね。


ということにふっと気が付いた。


オタ女だった私は、前世でもかなりの奥手で、もちろん、ピンク色の妄想はしっかりと、乙女ゲームの中で消費させていただいておりました。


そして、今のこの地下牢で、攻略キャラに匹敵するくらいの、ニヒルでカッコいいアーロンに、「ほっぺにちゅう」を強請られている状況であって。


これが乙女ゲームなら、むしろ美味しい状況なのでは…… でも、やっぱりゲームの中と現実は違うし、でも、今はゲームが現実の中であって。


と、絶賛、大混乱中の私だったが、アーロンがずっと私のことを見つめていることに気が付いた。


「あわわ… えっと、ええっと……」


もう何が言いたくなるのかわからなくなるほど、顔に血が上る。今の自分は、きっと、タコみたいに真っ赤になってるはずなのだが、アーロンはじわじわと責めてくる。

「公爵令嬢が約束をたがえていいのか? 公爵家なのに?」


やめてー、そのニヒルなカッコいい笑顔やめてー。


息も絶え絶えになっていると、彼が低い素敵なボイスで軽く脅すようにいう。何このカリスマ。と、言うか、いきなり家柄を担保に出して来やがったよ。こいつ。


とはいえ、やはり、公爵家の令嬢として約束してしまったことは、たがえてはならない。貴族の世界のルールであり、それほど家名というのは大切なのだ。


「ううう……」


冷や汗をかきながら戸惑う私に、アーロンはそっと近づいてきた。(格子の側までって意味ね!)


「ほら、一瞬で終わるんだから」


彼の表情は甘く、とても艶っぽい雰囲気に塗れている。この人、ドSだけでなく、超絶色っぽいー。その駄々洩れの色気、なんとかしてくださいまし。


ついに、私は観念してようやく彼の側へと寄る。そして、覚悟を決めて、格子越しに彼の頬に、ちゅっとしてあげた。


アーロンは、とても嬉しそうな、輝くような笑顔を浮かべる。


私はというと、すっかり恥ずかしくなって、ドレスの裾を握りしめたまま、俯いたのであった。

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