第28話 アーロンの宮殿にて

隣国の王宮についてからというもの、あれよあれよという間に怒涛の展開となった。

海に近いということから想像できるように、アーロンの宮殿はまさにリゾートホテルのようだった。


馬を預け、王宮の豪華なつくりに見とれる間もなく、すぐに彼の宮殿に連れていかれた。アーロンはかなり久しぶりの帰宮であり、下々の部下が彼を待っていたが、彼はとりあえず、そういうのは後回しにしている。


……いいのか、アーロン。王子様なのに。


ちょっとそれが気になりつつも、アーロンと一緒に宮殿の中を歩いていると、石造りの回廊は明るく開放的だったし、光が差しこむ中庭には、南の植物が生き生きと枝葉を伸ばしている。回廊の天井はアーチ型をしており、見るからに南国感あふれる素敵な建物だった。


「ほら、あそこがエレーヌの部屋だ」


そう言って、アーロンが連れてきてくれたのは、日当たりのよい広めのお部屋だ。いや、部屋というより、むしろホテルのスィートルーム以上のクオリティーだ。


どの部屋からもきれいな庭が見渡せるし、居心地のよさそうな藤でできた長椅子に、天蓋つきのベッド。ずっと地下牢にいたから、日の光と木々の緑が嬉しい。


レースのカーテンからそよそよと風が吹き込んできたこの部屋は、すごく心地がよさそうだった。


地下牢とはもちろん雲泥の差である。文句のつけようがないほど、素敵なお部屋だったので、私のテンションはぐんぐんと上がる。にこにこしながらあたりを眺めていると、アーロンがとても嬉しそうな顔をした。


「気に入ったか?」


「ええ、とても。アーロン、ありがとう」


アーロンがいなかったら、脱獄したとしても、すぐに捉えられていたはずだ。隣国の王族に保護されているからこその安心感がそこにあった。


脱獄してから、二人とも、ほんの少し休憩をとったものの、ずっと馬で駆けてきたのだ。アーロンだって疲れているはずだが、今の彼は生き生きとした表情をしており、なぜかとても嬉しそうだった。


自分の家に帰れたのがそんなにうれしいのかな、と思っていると、アーロンの顔に、いたずらっぽい表情が浮かぶ。


彼は突然、すっと片膝を落とすと、私の前にひざまずいた。


「アーロン、一体、どうしちゃ……」


私が言葉を言いおわらないうちに、突然、手の甲に温かくやわらかなものが触れる。


それがアーロンの唇であることに気が付いて、私は思いっきり狼狽した。

だって、アーロンは、明るい日の光の下では、暗がりより何倍もイケメン度が増していたのだ。


長い地下牢暮らしで、無精ひげが生えて少し痩せてしまってはいるが、精悍な顔立ちは相変わらずだし、短い黒い髪に、紫色のアメジストのような瞳。


そして今、細身で長身なアーロンが、床の上に片膝を立てて私を見上げている。

海外でよく男性がプロポーズする時のシチュエーションに似ている。


頬にさっと血が上る。


……決して頭に血が上った訳ではないからね?


そして、今、アーロンは私の手を握りしめたまま、熱い目で私を見つめていた。


「ア、アーロン、あの……」


今にも告白してきそうな彼の様子に、私は恥ずかしくなって、何と言ったらいいのかわからず、しどろもどろになる。


「エレーヌ、俺はあまり口がうまくない。けれども、その、俺はお前をあそこで初めてみた時から……」


一瞬、アーロンが口ごもる。いつもへらへらしている彼だが、こういう時はやはり王族なのだと思う。口元をキュッと閉めて思いつめた顔をするアーロンは、ひいき目に見ても、すごく様になっているのだ。短く言えば、すごくかっこいい。


「エレーヌ、俺のことをどう思ってる?」


「ど、どうって……?」


胸の震えを感じながら、私はしっかりとアーロンを見つめ返した。彼の手は燃えるように熱く、私と同じように、その手は少し小刻みに震えている。


「その……異性としてどう思うかってことだ」


やだ。アーロンから告白されたらどうしよう。今まで、地下牢の中でどう生き抜くかばかり考えていたから、愛だの恋だの、考えている余裕がなかったし……。


けれども、無意識のうちに私もアーロンの手をそっと握り返していた。私たちは微塵の動きもせず、お互いを見つめあう。心臓がどきどきして、今にも破裂しそうになりながら、思っていることを素直に言おうと決めた。


きっと、私にとってのアーロンは、きっと友達以上のものだ。いや、友達なんかよりも、もっともっと強い絆。きっと誰よりも大切な人なのだ。


「アーロン、私は、あなたのことを……」


アーロンも私の次の言葉を待ちわびて息をのみ、私の言葉を一言も逃すまいと熱心に見つめている。


その時だ。誰かが訪ねて来たようで、扉の向こう側で人の足音が聞こえ、こんこんとドアをノックする音が部屋に響いた。


アーロンはすっと立ち上がり、すっと手を放しながら残念そうな顔をする。


「まったく、なんでこんな時に」


彼は小さくつぶやいてから、短く、「入れ」と言葉を発した。


「アーノルド殿下、ご令嬢のお衣装や身の回りのものを、お申し付けどうりお持ちいたしました」


扉が開いた秋には、修道女のようなベールをかぶった侍女が三人。そして、従僕が大きな荷物を抱えて立っていた。


「ああ、ありがとう。彼女も長い旅路のあとだ。ゆっくり世話をしてやってくれ」


先ほどの情熱に満ちた彼の表情はすっと消え去り、ごく事務的に侍女たちに話をする。


アーロン。すごい、切り替えが早い。さすが王族である。


私が少しあっけにとられていると、侍女の後ろに立っていた従僕が私に一礼したのち、アーロンに向かって声をかけた。


「殿下、一晩中、馬で駆けられたと伺いました。お疲れでしょう。すべてご用意しております」


「ああ、ありがとう」


アーロンは、そう言うと私に視線を戻す。


「エレーヌ、この者たちは君の侍女だ。身の回りの世話をしてくれるから、なんでも申し付けるといい」


従者たちの視線を感じながら、私もとりあえず、アーロンに対して、貴族として一番丁寧な礼をとる。


一歩、足を後ろに引き、背筋はまっすく伸ばしたまま、そのまま軽く頭を下げながら、膝を曲げる。ちなみに、相手が高位であればあるほど、膝を曲げる角度が深くなる。


その際、肘と手首の角度は柔らかくして、バレリーナのように優雅にふんわりとした感じを出すことも重要だ。優雅さ、貴族令嬢に一番求められるのはそれである。


それを見た侍女たちの目が、こいつ礼儀作法を知ってんのか、という感じに、ちょっと驚いたように見開かれた。


え、なんで知ってるのかって? これでも一応、王太子の婚約者でしたのよ、わたくし。隣国の礼儀作法もすでに学習済みですわ。ほほほ。


「様々なお心遣い、誠にありがとうございます」


貴族令嬢らしく、しおらしい態度で頭を下げる。


ほら、一応、彼の従者の前ではきちんとした態度をとるのが礼儀というものよ。一応、礼儀作法はこの国のプロトコールに従っているので、これが正解なはず。


それなのに!


普段の私の姿を知っているアーロンは、何が面白いのか、くくく、とひたすら笑いをこらえている。


「猫かぶり。すげえ……」


侍女さんたちは、ちょっと離れた所で控えているから、彼女たちには聞こえていないだろうけど、アーロンの微かなつぶやきは、私の耳にはばっちり届いている。


彼の肩が小刻みに震えて、笑わないように必死で我慢している様子が近くだと見え見えだ。


アーロン、いい加減にしないと、あとでデコピンをかましますわよ。


丁寧な礼をとりながら私はアーロンを見上げ、殺気立った視線を向けると、彼は何かを察したのだろう。彼はすっと笑いをこらえながら(本当はまだ笑っているのだが)、わざとらしく、一つ、咳払いをした。


「えー、こほん。では、マクナレン公爵令嬢、あとで使いをよこすので、それまで、ゆっくり休まれるがいい」


芝居がかかったセリフのようで、なんだかアーロンに負けたような感じがして悔しい。何故だ。解せぬ。


あとで、絶対にアーロンにデコピンをかませてやると強く固く決意しながら、彼の後ろ姿を見送った。


そして、アーロンが立ち去った後、侍女さんたちにお風呂に入れてもらったり、着替えをさせてもらったりと、かいがいしくお世話をしてもらって、長旅の疲れを癒したのであった。


……ちなみに、お風呂はずいぶんと長い間入っていなかったので、かなりすごいことになっていた。私より地下牢生活が長かったアーロンはもっとすごい状態になっていたことだろう。


正直、お風呂に入った時には、思わず脱皮したのかと思った。一応、公爵令嬢としての体裁があるので、極秘事項として、侍女さんたちにも固く口留めをお願いした。


お風呂に入って、すっきりしていると、侍女さんが冷たい飲み物を出してくれた。しっかり冷やしたパイナップルのジュースみたいな味に、すっきりしたミントの香りも添えられていた。


とっても美味しくいただきながら、さっき、アーロンが話そうとしていたことが気になって仕方がない。


何が言いたかったんだろう……。なんとなく、それが気になって、ふと飲み物を飲む手が止まる。


「お口に合いませんでしたか?」


そう聞かれて、私はあわててかぶりを振る。


「いえ、とても美味しくいただいておりますわ」


アーロンが何か言いたげにしている顔がちらついて、なんだか落ち着かない気持ちになっていた。




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