第6話 まともな夕食

ガスは、きちんと言いつけを守って、すぐに戻ってきた。


「お嬢様、お食事です」


ガスが差し出してきた食事を受け取りながら、彼の足元を見ると、まともな靴を履いていた。当然、足の指は出ていない。


靴もちゃんと替えたのね、というと、ガスは照れ臭そうに笑った。やはり、寒さがかなりこたえていたらしい。


見回りがあるから、と言って、ガスが足早に立ち去ると、私は美味しそうな香りを嗅ぎながら、さっそくお隣に声をかける。


一人で食べるより、二人で食べたほうが美味しいじゃない?


私の言いつけ通り、ガスは熱々のシチューを持ってきたのだ。


湯気のたつシチューに、スプーンを添えて、お隣さんに手渡すと、彼はしみじみと美味しそうな香りを嗅いで、一口、それを食べた。


随分と長い間、まともな食事をしていなかったのだろう。


最初の一口を存分に楽しむと、彼はすぐにがつがつとシチューを掻きこみ始めた。それでも、彼の食事の仕方に下品な印象はない。


その間に、飲み物とパンや果物を準備して、格子ごしに彼の前に置いてあげた。


「まともな食事なんて、随分久しぶりだ」


そんな言葉を聞きながら、私も、ルルが置いて行った銀のスプーンで、丁寧に食事を始める。テーブルがないから、ピクニックみたいけど、まあ、それもよしとしよう。


二人で美味しくご飯をいただき、体も温まったことだし、食後のお茶を堪能してから、ようやっと、彼は口がきける状態になったらしい。


「そういえば、貴方の名前を聞いていなかったわ」


私が言うと、彼は一瞬、疑わし気な視線を私に向けた。


「……俺は、アーロン。お前は、マクナレン公爵家の令嬢なのか? 確か、公爵家には一人しか娘がいないはずだったが」


私が、そうだ、と答えると、彼はますます怪訝な顔をした。


「……なんで、王太子の婚約者がこんな所にいるんだ?」


「うーん、端的に話せば、彼から婚約破棄されたから?」


「婚約破棄されたくらいで投獄はないだろう」


「ああ、なんか、言われのない罪を着せられたというか」


あんまり思い出したくない事実を口にしたくなくて、少し言葉を濁しながら言うと、彼は信じられないような顔をする。


「つまり、お前が邪魔になって、罪を着せて、投獄した、と。原因は別の女か?」


ずばりと指摘されて、私は思わず目が泳いだ。愛はなかったとはいえ、幼馴染みたいなのに、突然、後ろからぶっすりと刺されたようなものだ。


エレーヌだって、多感な年頃の女の子である。悪役令嬢とは言え、やっぱり、多少なりとも傷ついていたのだ。


急に黙りこくって、俯いた私に、アーロンは、図星なんだな……と呟いていた。


私は、話題を変えたくて、振り切るように明るく彼に声をかけた。


「それで、アーロンは、どうしてこんな所にいるの?」


彼は、にやりと笑う。その皮肉な笑い方が、すごく様になっている。

牢獄生活で随分と痩せてはいるが、紫色の彼の目は、切れ長で、精悍だ。私の胸はまたきゅんっと鳴った。


この人に騎士団長の服を着せたら、絶対に、似合うだろうな、と思う。

もし、脱獄出来たら、彼に騎士の制服を着せてみたい。


彼はそうだな……、と一瞬、間をおいてから、口を開く。


彼の説明によれば、基本的には旅の商人なんだけど、ペテン師としての才もあるらしい。やばいとばく場で、たんまり稼いだ後、いかさまがバレてここに投獄されたんだと。


「そのくらいなら、死罪にはならないんじゃない?」


「そのとばく場の主が、裏社会では顔が効くやつでね。捕まった時に、人殺しの罪までかぶせられたって訳さ」


と、なると彼も冤罪と言うことになる。どこかのならず者の顔が王宮内の采配にまで影響を及ぼしているのは、重大な事実である。


まあ、それはともかく、私たち、なんか運が悪いよねーと、お互いに、虚しく笑った後、会話が途絶えた。


その後、彼は、ぽつりぽつりと、自分の故郷の話を始めた。もともと、アーロンは、隣の国の出身なのだそうだ。

自分の故郷がどれだけ素敵なのか、と熱っぽく語る彼の言葉に、私は熱心に耳を傾ける。


こちらの国は内陸なので山に囲まれているのだが、隣の国には海がある。都会より少し足を伸ばせば、透き通ったブルーに囲まれたラグーンがある。穏やかに風が吹くと、波が太陽の光を反射させて、海がきらきらと青い光をこぼすのだそうだ。


仕事で疲れると、彼は馬を飛ばして浜辺に出る。そして、木陰に身を寄せながら、じっと波が寄せ打つ音を聞いていると、ささくれだった心が自然と落ち着き、また、難しい仕事をこなす元気が出るのだと。


日のささない地下牢にいるから、彼は余計に太陽の光が恋しいのだろう。


そんな話を聞いている内に、私も胸の奥の気持ちがぽろりとこぼれ出た。


「……私も、行ってみたいな。そこに」


生まれてから、ずっと王太子の婚約者ということで、ずっと閉じ込められたような生活を送っていたのだ、と彼に言うと、彼は、憐憫のこもった目で私を見つめる。その瞳の奥には、なんとなく熱が込められているような気がしたけど、きっと気のせいだ。


誰かにそんな風に見つめてもらえたことなんて、一度もなかったから。もちろん、元婚約者様からだって、そんなものは一度もなかった。やっぱり、少しは寂しかったのだ。


彼はしばし沈黙していたが、やがて、何かの衝動に突き上げられたように、そっぽを向きながら、小さな声でぽつりと言葉をこぼす。


「俺がお前の婚約者なら、絶対に手放したりしない」


私は、その言葉が上手く聞き取れず、何て言ったの?と問いただしてみたけど、彼は「別に」と言ったまま、何て言ったのか、教えてくれようとはしなかった。



その翌朝、父がやって来た。


「エレーヌ、なんてことだ」


「あら、お父様、久しぶりですわね。もう領地からお帰りとは、随分、お早いお戻りですね」


私が思った以上に平然としていることに、父は驚き、あんぐりと口を開けた。


「ばか者!お前が捉えられたと聞いて、夜を徹して馬を飛ばしてきたのだ。もともと、肝が据わっている娘だと思っていたが、まさか、ここまで平然としているとは……」


ガスが小さな椅子を持ってきてくれた。父が格子越しに腰掛けると、改めて、地下牢の様子をしみじみと眺める。


「なぜ、殿下は、こんなみすぼらしい地下牢に、お前を閉じ込めておくのだ?」


父の話では、別に貴族用の牢屋というのがあるらしいのだ。


そこは、石造りの塔になっているが、暖炉はあるし、貴族らしく、家具などもある。自分達の屋敷ほどの広さはないが、貴族が過ごすには申し分のない待遇になっているらしい。


こんな所に私を押し込めるのだから、殿下の私への憎悪は相当のものらしいと、父は吐き捨てるように言った。


「取り急ぎだが、ブランドル子爵についても色々調べてみたが、後ろには武器商人や、ならず者の集団がついているようだ。エマとかいう令嬢の素行も調べてみたが、この国の要職についている者の子息を、結構な色仕掛けで味方につけているようだ」


あの令嬢も、性悪な性質は上手く王太子の前では取り繕っているが、すでに色々な所で被害が発生していたようだ。


「まあ、わたくしたち、してやられた訳ですわね」


私もルルが持ってきた椅子に腰かけながら、扇をぱたぱたと動かす。


父は、しばらく口を厳しく結んで、何かを考えこんでいたが、やがて何かを決めたように顔を上げた。


「とにかく、こんな所にお前を置いておく訳にはいかん。すぐに貴族用の牢に移すように取り計らう。明日にでも、移れるはずだ」


その言葉に、私は何故か動揺してしまって、さっと隣のアーロンに視線を移す。彼の瞳が、寂しそうに、「そっちに移れ」と言っていた。


「あ、あのっ、お父様っ」


なぜか、素っ頓狂な声が出た。アーロンをここでこのまま一人にしておく訳にはいかない。


「なんだね。娘よ」


「ええと、わたくしを別の牢に移す手続きよりも、ほら、無実を証明したほうが早くなくて?」


こんな所に、大事な娘を置いておけないと言う父に、私は強行に、そもそも牢から出す方向で注力してほしいと告げる。


そんな風に父と話をした後、ルルが後から来るからと言うので、あらかじめ書いておいたルルへの指示書を、父に託したのであった。


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