第5話 悪役令嬢、地下牢で子分一人ゲット

そして、とりあえず、お茶を終えて、隣人さんはすぐにまた横になった。

こっそり、毛布とクッションを渡してあるから、とはいえ、あんなに熱がある人にとっては、全然足りない。


もっと手厚い看護が必要なのだ。


そして、しばらくすると、看守が食事の時間になったと言って、夕食を持ってきた。


「ほら、お上品なお嬢様のお口にはあわないですよねえ。こんな質素な食い物」


にやにやと慇懃無礼な声をかけてきたのは、先ほど、階段で後ろから押して、私を突き落とした男だった。


……これが、囚人の食事?


犬のぽちにでもあげるような殺風景な皿の上に、なんだかこんもりと何かが盛られている。

この地方で採れる痩せ麦を、水で煮ただけのオートミールみたいなものだ。


もちろん、それは冷えきっていて、見るからに不味そう。それに、井戸から汲みたてのくさい水。ちょっと臭いを嗅ぐだけで鼻が曲がりそうだ。


「たった、これだけ?」


私が一人呟いたのを看守が耳ざとく聞きつけ、小気味よさげに笑った。


「犬畜生にも劣る罪人に、食わせる飯なんかこれで十分だ。お姫様は初めて見たのかなあ?」


と意地悪な声を上げる。


お隣のイケメンさんが、その声にピクリと反応して、何やら殺気だったオーラを放っている。

もし、剣でもあったら、すぐにも、この嫌味な看守を切り殺しそうだったけど。


所がどっこい。わたくし、悪役令嬢ですのよ?


このわたくしが、この程度の雑魚に怯むとでもお思いかしら? バカにしないでいただきたいわ。


エレーヌ・マクナレン公爵令嬢。


見た目はたおやかな淑女ですが、意地悪なんて、お茶の子さいさい。


まだ鏡を見てないから、確認できていないけど、エレーヌは、艶やかな銀の髪に、抜けるような青い瞳をしている。

つんとした形のよい鼻に、ほっそりとした顔立ち。


けれども、その笑みは猫をも殺すくらい、凄みがあるのだ。


今の自分はきっとその顔だと思い、スチルで見た通りの笑顔で笑ってやった。目は全く笑っておらず、今にも相手を刺し殺しそうな冷たい笑顔だ。この笑顔で、(元)婚約者に、つまらないちょっかいをかけた女が、何人泣いたとお思い?


「だから、何なんですの? この雑魚が」


「は、もう一回行ってみろ。このアマが」


「そのお言葉、撤回したほうがよろしくてよ? 貴方、わたくしを階段から突き落としましたわよね? わたくし、はっきりと覚えておりますのよ。卑しくも、マクナレン公爵家令嬢、元王太子殿下の婚約者であるこのわたくしを、貴方は後ろからいきなり階段から突き落とした」


「お前のような罪人が何を言うか」


所がどっこい、何を隠そう、このわたくし、生まれてからずっと今まで王太子妃になるため、将来の王妃になるための教育はみっしり受けている。まだ、あの(くそ)婚約者野郎が、投獄を決めたが、ここから先は裁判にならなければ、罪人という訳ではない。


「あら、どこの裁判でそう決まりましたの? わたくし、まだ未熟者ですから、存じ上げませんの」


私がふっと笑って、扇をパタパタさせると、ぐぐっと、男が言葉に詰まる。


この隙に乗じて、私は一気に相手を叩きに出た。


「正式には、まだ裁判が終わっておりませんから、わたくし、罪人ではありませんわ。貴方は、囚人ではなく、立派なマクナレン公爵家の令嬢に怪我をさせたのですわ」


私が氷のような美貌に、獲物を狙う猫のように目を細めて、相手の男をじっと睨みつけると、男はうっと引いた。


「このことを、わたくしの父が知ったら、どうなるかご存じ? 我が公爵家はね、法律なんかあっという間に、捻じ曲げることなんて、お前のむさ苦しい毛を一本、引き抜くよりはるかに簡単なのよ」


捉えた獲物を殺す時のような猫のように、私は、うっとりとした顔で言ってやる。


「わたくしがここにいるのも、ほんの数日のことよ。お前、まだ、わかってないのね? わたくしに舐めた真似したら、お前だけじゃなく、その家族も、みんな後々まで後悔することになるって、まだ、わからないのかしら?」


そう、ここは封建社会だ。王族の次に権力を持つのは諸侯であり、マクナレン公爵家は、いわば、王族についで身分の高い家柄。こんなちんけな悪党が手を出せる相手ではないのだ。


いくら麗奈の記憶があるからと言って、エレーヌは腐っても、次期王妃候補。こういう時の駆け引きは、お手のものだ。


「お、俺は・・・」


男は誰を相手にしているのか、ようやくわかったらしい。ひくひくと顔を引きつらせて、恐怖に怯えていた。


「やっと誰が相手なのかわかったようね。鈍くさいお前に、一つだけ、チャンスを上げる。ちゃんとできたら、見なかったことにしてあげるけど」


「チ、チャンスって・・・?」


私は、器に入ったお粥もどきを、男に向かって投げつけてやった。悪役令嬢、万歳。このスキルは素晴らしいです!神様。


麗奈なら、そんな暴挙は出来ないが、エレーヌは出来るのだ。


「おっぷ。なんてことを・・・」


人を小ばかにしていた看守は、頭からお粥をかぶりながら、今にも泣きそうな顔になっていた。


「いいこと、この見苦しい家畜の餌は豚に食わせて、このわたくしにふさわしい食事を持ってきなさい。温かいシチューに、焼いた肉。それに、果物に、パン。後はシードルよ」


「そんなもの、ここには‥‥」


「あら、ないなんて言わせないわよ。なかったら、店から調達してきなさい」


私は、ルルが持ってきたお財布の中から、金貨を一枚取り出し、男に投げつけた。


「ほら、これで必要なものを買って来なさい。いい、シチューは熱々のものを持ってきなさいね。誰にも見つかってはだめよ。もし、言うことを聞かないなら、お父様に・・・」


「わかった。わかったから。もうやめてくれ。店なら心辺りがある。すぐに行ってくる」


そうこなくっちゃ!


「実はね、私、とても大食いなの。30分以内に、二人前、調達してきなさいね」


「30分なんて、そりゃない・・・」


「とっとと早く行く!」


私の怒号で、男はピクリと飛び上がり、そそくさと出かけようとした。


「あ、ちょっと待って」


私が呼び止めると、男はぎょっとして、こちらを振り返る。そんなに私の顔、怖いかなあ。


悪役令嬢だけあって、怒った時の顔はそれはそれは怖いのだけど、そんなに震えなくっても。


「お嬢様、まだ何か?」


「ああ、釣銭だけど」


「はい、一銭もくすねず、ちゃんとお返しします」


「おつりは取っといていいわよ」


「は?」


男は私の言うことがよく呑み込めなかったようだった。


「だから、おつりはお駄賃。あげるわ。私、細かいことにはこだわらない主義なの」


男は金貨を握りしめながら、信じられないような顔をする。そりゃそうだ。この金貨は日本円にして、10万円くらいの価値がある。買い物に行かせて、散々使っても、二万円くらいにしかならないだろう。つまり、八万円は、この男の取り分ということになる。


私は男の足元にすっと目を落とした。


「残りで、お前のそのみすぼらしい靴なんか捨てて、新しいのに変えなさい。こんなに寒い所で指が出てるじゃないの」


男の顔はみるみるうちに上気した。飛び上がらんばかりに、嬉しそうな顔をする。靴からはみ出た足は、凍傷の後が色濃く残っていた。この寒さは、さぞかし、凍傷の出来た足には厳しかったのだろう。


「お、お嬢様、す、すぐに、夕食をお持ちします」


「あ、それで、お前の名前は?」


男は驚いたような顔をした。今まで、名前を聞かれたことなどなかったようだった。


「が、ガスです。ガスパール……」


「そう。ガスパール、申し訳ないけど、お願いね」


そして、スチル張りの美貌を駆使して、にっこりと笑ってやった。


今、スチルになっていたら、花が満面にほころびるような笑顔が描かれていただろう。エレーヌは笑うと、それはそれは美しいのだ。月夜の華姫と、社交界で呼ばれるほどだ。その美貌に叶うものはないと、吟遊詩人が絶賛したほどの美貌だ。


その瞬殺の笑顔に、ガスはくらっと来たようだ。


ガスは、今度は、頬を真っ赤にして、一瞬、私の顔をちらりと伺ってから、外に出て行った。


「全く、青くなったり、赤くなったり、信号かしらね?」


私は余裕と言わんばかりに、扇をパタパタとさせた。さっきの餌もどきが臭かったので、臭い消しね。


そして、扇の陰で、満足げににっこり笑う。


ふっふー。これで子分が一人出来た。


お隣に友達は出来たし、今度は、子分一人ゲットだ。


私が事の成り行きに気を良くして、一人でほくそ笑んでいると、隣の牢から、「すげえ……」と、感嘆とも、呆れともつかない呟きが聞こえてきた。

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