15 照合

 僕は太陽を待っていた。

 全くと言っていいほど寝付けない夜を、僕は何度も何度も時計を確認しながら過ごした。

 正直言うと、待つ必要などなかった。でもそうしないと、何か他に目的を作っておかないと、僕がに戻ってきた意味がなくなってしまう。


 僕は “明日” という言葉を使った。

 それは12時を回った時点で達成され、僕は魔女に会いに行けることになる。

 こじつけだと言われようが、言葉の意味はそうだ。


 それでも僕が朝を待っていたのは、ゆっくり休んでほしかったから。

 僕がそばにいたら、きっとゆっくり休めないだろう。魔女が自分でそう言っていたように。


 やはり、あの家に残るべきだったのではないか。帰ったふりをして、あの家の、どこか別の部屋に潜んでいることも可能だったはずだ。


 そんなことをぐるぐる考えているうちに、僕のは、音もなく顔を覗かせ始めていた。







「おぅ、坊主。相変わらず早起きだな」


 転びそうになりながら、階段を駆け下りると、いつものように大男がコーヒーカップを片手にくつろいでいた。もうすでに見慣れた光景に、僕はツッコムこともしない。


 何より僕は急いでいた。

 寝不足なんて関係ない。目は冴えている。


 僕は大男に軽く挨拶をし、父さんに朝食の断りを入れた。

 そのまま玄関に向かおうとした僕の足を止めたのは、またしても大男だった。


「そういえば、」


 大男は僕の進行を、その言葉で邪魔した。

 目の前にいないのに、その大きな体で通せんぼされているかの如く、僕は前に進めなくなった。


 早く出発したいのに! 早く…早く、無事を確認したいのに!

 僕の焦燥など気づくこともなく、大男はニコニコと笑顔を浮かべている。

 それが何だか無性に腹立たしかった。


「この前のサンプルだけどな」


 その言葉に、僕は先ほどのイライラが一蹴されるかのように、勢いよく振り返った。とても魅力的な言葉のように、後ろ髪を引かれた。

 僕は背を向けていた体を大男の方へと向ける。目を輝かせながら、そのまま一歩、大男に近づいた。


「詳しいことはもうちょっと時間がかかるんだが、」


 大男は何かもったいつけているような話し方をした。

 それは、実際にそうなのか、僕の気が急いているからそう感じたのかはわからない。

 理由はともあれ、すっきりとしないその物言いに、僕は内心悪態をついた。


「どうだったの? 何かわかったの?」


「とりあえず、坊主のサンプルだってことは照合されたよ」


「え…」


 しょうごう?


 僕はその言葉に耳を疑った。あまりに予想していなかった言葉に、漢字にすら変換されない。

 ここ数日の間にも何度かあったように、僕は僕の中に、その答えを見出すことができない。

 その言葉の意味を勘違いしているのかもしれない。

 だって、僕が思っている意味合いが正しければ、それはになる。


「通常はそんなことしない、というかできないんだけどな。坊主の場合、過去に一度調べてるから。とりあえず試しに調べとくかーって」


「しょうごう、って? どういう意味?」


 わからない話を続ける大男の言葉を遮り、僕は詰め寄った。

 そこに至る過程はどうでもいい。その結果が何だって?!


「だから、髪の毛から抽出したDNAサンプルが坊主のだったって」


 当たり前だけどな、そう言って、いつものように大きな口を開いて大男は笑っていた。

 全く笑えないこの状況に、大男の声がやけに響いていた。


 あのサンプルが、僕のだって?

 嘘だ…

 そんなの嘘だ…


「そんなはずない!」


 一体どういうことだ?

 何がどうなっているんだ?

 誰か……誰か、その答えを僕に教えて————


 僕は混乱していた。

 大男の言葉の意味も、現状も、何一つ理解できない。

 頭を抱え、必死にその中に答えを探したけれど、手がかりすら見つからない。


「どうしたんだ? 急に大声出して」


 僕のただならぬ声に心配したのか、父さんまで顔を出した。

 二人の大人に見つめられる中、僕は働かない頭を強引に回転させる。


 どうして僕のDNAと一致するなんて結果になるんだ?

 僕は大男に、自分の髪の毛を渡していたのか? ————いや、絶対にそれはない。は僕のじゃない。

 じゃあ、どうして?————


「あれは僕のじゃない! 僕のじゃないんだ! もう一度取り直すから…今度はちゃんと取ってくるから、調べ直してよ!」


 僕はそう叫ぶように言葉を吐き捨てると、驚く二人を残し、家を出た。





 僕は迫りくる太陽に向かって走っていた。

 暑さなんて気にする余裕もないほどに、僕の頭の中はぐちゃぐちゃだった。


 何が、一体何が起きているのか。

 あまりにも理解が及ばず、僕はその結果自体が間違っているのではないかと思い始めていた。けれど、僕お得意の、他人に押し付けるその行為は、珍しく功を成さない。


 時間が経過するにつれ、僕は体温の上昇とは反対に、少しずつ冷静さを取り戻しつつあった。

 身体は落ち着かないまま足を進めているのに、心はまるで切り取られているかのように、別のところに置かれていた。


 そんな僕の心が問う。

 一体何が知りたかったの? 何を知ろうとしていたの?

 父さんたちに嘘をついてまで、何がしたかったの?


 意固地になって、こんなに息を切らせて、僕は一体何のために走っているのだろうか。


 そんなの僕にだってわからない。

 魔女のことを知りたかった、と言ってしまえば簡単だ。

 それは嘘じゃない。事実だ。

 けれど、その方法があまりにも陰湿すぎる。

 だって、それってつまり…


 魔女の遺伝子情報を知ろうとしていたってことでしょ?


 僕は自分の狂気的な一面に苦笑した。

 これが単なる好奇心であることを願うばかりだ。


 であるなら、こんなに急ぐ必要はあるのか?

 自分のエゴのために、今、お前は走っているんだぞ。


 僕は止まりそうになった足を、そのまま回転させる。


 いや、ある。急ぐ必要ならあるだろ。

 何を忘れているんだ、僕は。


 僕は寝不足の理由を思い出すと、息を吐き出し、足に力を込めた。







 僕は森の入り口に差し掛かると、一度足を止めた。

 気が動転していたせいもあって、相当オーバーペースで来てしまっていた。

 いつもより息切れの度合いが激しい。


 膝に手をつき、僕は呼吸を整えた。立ち止まったことで、足に限界がきていたことにも気づかされる。


 森の中は微かに木々が揺れる程度の風が吹いていた。

 けれど、僕にその風が触れることはなく、その恩恵は受けられない。

 むしろ生暖かい風が肌を通り、僕は不快感を覚えた。


 森の入り口から魔女の家までは歩いて進んだ。急ぎたい気持ちはあったけれど、僕にその力は残っていなかった。


 今日の森はやけに静かで、そよぐ風の音しか聞こえない。

 いつもなら、犬たちの音が届く場所まで近づいても、それも聞こえなかった。

 また、訓練とやらに連れていかれたのだろうか。


 僕は何の疑いもなく、魔女の家がある広場へと入った。


 けれど、そこに犬たちの姿はなかった。音が聞こえないのは、そのせいだ。

 殺風景な視界が広がっているだけだった。まるで魔女の部屋のような————いや、魔女の部屋よりも、何もない地を僕は見つめていた。


「何が……」


 僕はへと走った。最後の力を振り絞るように、僕の足は動かされる。

 そこは無駄に広々としていたから、広場の入り口から家が建てられている場所までは距離がある。

 いつもならなんてことない距離も、今は永遠に感じるほどに、遠い。


「何で…どうして…」


 どうして、家が消えているんだ?


 犬の姿はない。魔女もいない。

 ここにあったはずの家も消えている。あんなに大きな家が、消え去っている。


 どういうことだ?

 僕は夢でも見ているのか?


 僕は自分の頬をつねってみた。

 痛くない。

 もう一度つねってみる。今度は思い切り力を込める。強く。強く。

 やっぱり痛くない。


 何度も繰り返しているうちに、僕の手に何かの雫が触れた。

 それは、気のせいだと思う間もなく、幾度となく僕の手を濡らす。


 その感覚はいやにリアルで、僕を現実へと引き戻す。

 溢れ出る涙の理由を、僕は理解できずにいた。


 その場に足から崩れ落ちると、僕は家に手を置いた。

 昨日まで、確かにここにあったのに。

 いくら辺りを見渡しても、犬の一匹も出てきやしない。


「何で、何で! 大丈夫だって言ってたのに! また来るからって、言っておいたのに! 何で!」


 僕は届かない言葉を、それでも大きな声で叫んだ。


 覚めろ! いますぐ、この悪夢から目を覚ますんだ!

 そしたら、またここまで走るから。足が限界をむかえていても、息がどんなに苦しくても、僕また走るから。


 が夢の中だって言ってくれよ。

 これまでのことが夢だったなんて、僕は信じないぞ。


 ここにあった大きな家も、あの犬たちも…

 ソラとの思い出も、君と話したことも、時間も、全て夢だったというのだろうか。


 僕はもう何も考えられなくなって、その場に泣き崩れた。

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