19 結果

 父さんと大男は、二人揃って固まっていた。

 が届き、その大きな手に握っているスマホを見るや否や、大男は動きを止めた。それは父さんも同じだった。


「どうしたの?」


 立ち入ってはいけない雰囲気ではあった。

 僕がそう感じるほどに、この場の空気は緊張感を帯びていた。訝しげな表情を浮かべる二人に、声をかけるのはとても躊躇われた。

 それでも、僕が口を挟んだのは、自分が関係していると思ったから。


 けれど僕の言葉は、数分前に聞いたあの機械音にかき消された。

 その着信音は、先ほどよりも短く、2コールもないところで打ち切られた。


「これは何だ?」


 大男は音声をスピーカーに変え、耳元ではなく、先ほどと同様に父さんにも見えるようにスマホを置いた。


『我々も状況を理解できていない状態でして…』


「わかってることだけでも説明してくれ」


『はい』


 今まで見たことがないような表情で、口調もまるで偉い人かのような雰囲気を持つ大男に、電話口の男性は大人しく従った。焦っているような声色だったのに、大男の一言で、少しだけ冷静さを取り戻したように説明する。


『調製したサンプルは、以前のデータと照合はできています。それは先日、報告した通りです。さらに詳細に調べようとして…今日その結果が出たんですけど』


 その結果が先ほどお送りしたものです、と男性は言葉を続ける。


『全配列の結果全て確認しましたが、この部分だけでした。途中でNが見られるのは』


「他のところには、一切なかったんだな?」


『えぇ。複数人で確認しましたし、機械も使用しましたが、この二箇所だけでした』


「以前のデータはどうなんだ? 同じような結果か?」


「調べてないよ」


 電話口の男性より先に、父さんが口を挟んだ。


「昔調べた時は、全部見てないんだ。知りたい部分だけ…病気に関わる部分だけしか調べてないんだよ」


 その言葉に頷くように、電話口から声が聞こえる。

 それが、唯一の望みの種だったようだ。その望みが断たれた事実が発覚すると同時に、その場に静寂が訪れた。

 僕は完全に蚊帳の外で、全く話についていけない。


「うーん…とりあえず、もう一度サンプルを取り直してみるか。今度は別の、口腔粘膜とか」


「あとは、おそらく昔取ったDNAサンプルも、細胞も保存しているはずだから。それを取り寄せてみてもいいかもな」


 ちょっと連絡してみるよ、と父さんは早速動きを見せる。

 スマホを取り出すと、何やら操作をしてからそれを耳に当て、部屋を出た。


「じゃあ、ひとまずその方向性で行こう。こっちのサンプルは今日持っていくから、早速調べてくれるか? 調べるのは、とりあえずだけでいいから」


『わかりました。こちらでも、できることをやっておきます』


 その言葉で締め括られた会話。窓口となっていたスマホは、静かにその役目を終えた。

 電話を切ってすぐ、大男は宙を仰いだ。

 ため息まじりに見上げられた天井の先には何もなく、僕はそんな大男を見下ろしていた。


「ねぇ、何があったんですか? 測定? に失敗したんですか?」


「ん? あぁ、失敗とはまた違う。だったら、こんな出方はしない」


「どういうことですか?」


「説明はあとだ」


 大男はそう言うと、鞄の中を漁り始めた。

 何かを探しているのか。そんなことよりもまず、何があったのか僕に説明してくれと思うのは、自己中心的な考えだろうか。


「あった。坊主、悪いがもう一度サンプルを取り直させてくれ」


「?」


 大男は鞄の中から、探し物を取り出すと、僕に差し出した。

 差し出されたものは、以前魔女の髪の毛を入れた容器と、綿棒の持ち手部分を長くしたようなもの。

 口内をその綿棒のようなもので、少し擦ればいい。その前に、食べ物が口の中に残っているとまずいから、うがいをしてくるようにと大男は説明した。

 その目的は何一つ話そうとしないのに、ただ、その方法だけが告げられる。


 僕は不本意に思いながらも、大人しくその言葉に従うことにした。

 反抗したところで、僕が望むものは得られそうにないと悟ったからだ。


 その指示通りに、僕は洗面所へと向かった。

 軽くでいい、と言われたので、僕は口の中に水を含むと少しだけ移動を繰り返した。それを二、三度行うと、水を吐き出す。

 いつもと変わらない朝のはずだったのに、と思いながらも僕は大男の元へと戻った。


「連絡がつかなかったから、とりあえずメールを入れておいた」


「こういう時に、何の考えも出ないのが辛いところだな」


「今までで一度も見たことがない例だからな。仕方ないだろ……っと、奏多う準備はできたか?」


「うん」


 僕が部屋に着くと、父さんもすでに用事を終え、大男と話をしていた。

 二人とも何やら落ち込んでいる様子で、それでもその目は輝きに満ちている。


「悪いな。父さんが調べることを勧めなければ、こんな面倒事に付き合わせることもなかったのに…」


「ううん、それはいいけど」


 父さんは再度、僕に謝罪の言葉を述べた。

 元はと言えば僕が…いや、もうそのことを考えるのはやめよう。は僕のだ。今回の結果だって、僕のDNAから得られたデータだ。

 だから、きっともう一度取り直したところで、結果は目に見えている。

 それで、大人たちを悩ませることになるのは申し訳なかったけれど、こればっかりはどうしようもない。


 僕は言われるがままに、綿棒を口の中に入れた。

 頬の部分を少しだけ擦るように綿棒を動かす。あまり強くすると、口内炎になってしまうらしく、僕は本当にこんなものでいいのか、と思う程度の力しか入れなかった。

 それを大男に渡すと、チューブと呼んだその容器に、綿棒の先を下にして入れた。


「今日、早速調べさせるよ。そっちもサンプルの件、よろしく頼むな」


「あぁ」


 慌ただしく去っていく大男を、父さんは落ち着いた様子で見送っていた。

 緊急事態のような空気が一掃されると、この部屋にいつも通りの静けさが戻る。

 それでも僕は、フラストレーションを抱えていた。何もわからない。教えてももらえない。

 ただ、僕のこの靄は、しばらく解消されないだろう、ということだけは理解した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る