06 答えと辿る視線
「今、何て言った?」
僕は自分の耳を疑った。聞き返さずにはいられなかった。
時に、魔女の言葉は衝撃が強いことがある。僕の予想の範疇をはるかに超え、紡がれる言葉に何度驚かされたことか。
呆気にとられる僕を前に、魔女はその表情を変えない。
いつも通りの淡々とした口調で、僕の目をまっすぐに見つめる。
「だから、ここにいる犬たちはみな、クローンなんだよ」
魔女は僕が先ほど聞いた同じ言葉を繰り返した。
聞き間違いではなかった。やはり魔女は、「クローン」という言葉を口にしていた。
“クローン”
それは普段生活をしている中で、頻出する言葉ではない。だから、僕はそれが何を意味するのか、すぐには説明ができなかった。
僕はその言葉を頭の中で繰り返しながら、その意味を思い出そうとしていた。
飛んだり操作ができるのは “ドローン” だし、大きなものを吊り上げたりできるのは “クレーン” だ。
どれも似たような言葉ではあるけれど、どれも違う。
じゃあ一体、“クローン” とは何だっただろうか。
確かに聞いたことはあるはずなのに、その意味を思い出せない。聞いたことがある言葉というだけで、実はその実体を僕が知らないということだろうか。
もう喉元まで出かかっているのに! という気分だった。あと少し、あと少しで思い出せそうなのに。
ただ僕は、それが一般的な生命ではないのだろう、ということだけは理解した。
ソラだけじゃない。ここにいるすべての犬がそうなのだと魔女は言った。
僕は彼らに視線を移す。“クローン” だと言われる彼らを。
何ら普通の犬と変わらない。少なくとも僕の目にはそう見えた。
それは、僕が今まで疑わなかったように、事実を知ったからと言って、それがすぐには
けれどそれは、僕の無知が、その違いを把握できないから。そう見えるのかもしれない。もしくは、やはりその言葉の意味を見つけられずにいるからだろうか。
「ソラは、そのクローンってのが原因で死んだの?」
僕はわからない頭のまま、魔女に言葉を投げかける。何か一つ…一つだけでいいから、納得できる答えがほしかった。僕が、その事実を飲み込める何かを。
「それが原因で死んだかと問われると、そうだとも、そうでないとも言える」
「どういうこと?」
そのくどい言い回しに、僕は少しイラッとした。
結局のところどちらなのかも、そんな答えでは判然としない。
今日は朝から緊張の糸を張り巡らせ、やっとほっとしたところだったのに。何だか今日は、ここに来てからずっとイライラしている。昨日まで、癒しの場所だったここで。
一夜にして、こんなにもあっさりと姿を変えてしまうのか。僕は、その現実をすぐには受け入れられそうになかった。
「言っただろ。あれは、“失敗作” だったんだ。クローンは生み出される時に、ミスが起きることがある。あれは、その一つだったというだけだ」
魔女はやはりいつもと変わらない口調で、淡々と言葉を発する。
元々、何事においても淡白な性格だとは思っていたけれど、傷心直後の僕の心にそれはあまりにも酷だった。ひどいと思わない方がおかしいんじゃないだろうか。
それとも何か。慣れ、のようなものなのか。
これに関して、慣れるようなことがあるのだろうか。
もう少し悲しむ気持ちがあってもいいのではないか。
「僕、今日はもう帰るよ」
僕は立ち上がると、服についた土を払うこともせずに歩き出した。
魔女は、これにも反応を示さず、特に引き止めることも、声をかけることもしなかった。
***
僕は半ば放心状態で帰路についた。
こんな状態でこの道を歩くのは、これで二回目だ。この道は僕にとって、魔の道とも言える。
前回と異なる点といえば、進行方向は前回とは逆。それに、今日はかろうじて意識もある。いや、もしかしたら、僕に備わっている帰巣本能で、無意識下でも家へと足が向かっているのかもしれない。
ただ、虚無な状態だった。
まさかこんな短期間に、同じような想いをするとは考えてもいなかった。
そんなに頻度高く、経験することでもないだろう。まして、僕の年齢なら特に。
僕は、最初の悲しみをソラにぶつけた。
行き先を探し求めていたところに、目の前にいたのがソラだったから。あんなに小さなソラに僕はすがった。
あんな小さなものにすがっていた僕は、そんな情けない僕は、じゃあ今度は何にすがればいい?
他力本願が聞いて呆れるけれど、僕はこれからどうすればいい? どうやってこの悲しみを乗り越えればいい? 一人で乗り越えなければならないのか?
悲しみや苦しみは、その人が乗り越えられる分だけ降りかかってくるのだと、聞いたことがある。どんなに絶望的なことでも、それで押し潰されることがないように。降りかかった絶望は、乗り越えられるのだと。
じゃあこの悲しみは、この連続的に降りかかった悲しみは、僕が乗り越えられる分だということなのだろうか。
そんなのあんまりだ。あんまりじゃないか。
どうして、どうして僕だけこんな…
自分を可哀想だなんて思わないし、思われたくもない。けれど、今回ばかりはどうにも耐えられそうにない。
気がつくと僕は、いつの間にか家の前まで来ていた。まだたどり着きたくなかったのに、帰り道は行きよりも早く感じるというのはどうやら本当らしい。
僕は玄関の前で立ち止まった。ドアを開ける前に深呼吸し、急いで目を拭った。
「おかえり。今日は早かったんだな」
玄関に入るとすぐ、父さんの出迎えにあった。まさか、こんな時に限って真っ先に顔を合わせるなんて。いや、都合が悪いと思っているからこそ、起きてしまうのかもしれない。
僕は、その気まずさに父さんの顔ではなく、視線を真ん中の方へと落とした。
目に飛び込んできた父さんの手は、泥だらけだった。
少しだけ視線を上げると、首にタオルまで巻きつけている。今まで畑いじりでもしていたのだろうか。
それにしても、いくら鉢合わせしたからと言って、声をかけてくるなんて珍しい。これまでもそうしていたかのような空気を醸し出す父さんに、僕は感心する。
これはあれか。今朝のことが影響しているのだろうか。
「うん。ちょっと…」
そこで、僕の目は吸い込まれるようにとある部屋のドアに移動した。
理由はよくわからない。ただ、ぼーっとした状態でそのドアを眺めていた。
あの部屋は何だっただろうか。
基本的に、ご飯、お風呂などの生活に必要な部屋を除けば、自室に籠る生活で、自分の家なのに僕はあまりこの場所の実態を把握していなかった。
けれど、その部屋は知っている。確か…
「あ、」
僕の声で、父さんはどこかへ向かおうとしていた足を止めた。
「どうした?」
「ねぇ、父さん。父さんはクローンってのに詳しかったりする?」
「クローン…?」
僕は帰ってくるまでに、結局その言葉の意味を思い出すことができなかった。
もう自分だけでは、その答えを見出すことができそうになかったから、僕は白旗を振らんばかりに父さんに救いを求める。難しそうな本をよく読んでいる父さんなら、もしかすると知っているのではないか、と思ったのだった。
父さんは考える時の仕草として、腕を組み、顎に手を置こうとして、すんでのところで止めた。自分の手を見つめ、行き場をなくしたように、その手を握りしめた。
「クローンてのはあれか。ドリーで有名なクローンのことか?」
「ドリー? ドリーって確か……あの、羊の?」
「あぁ、そのドリーだよ」
ドリー…
羊のドリー……クローン……
あぁ、そうか。僕は、そこでやっと納得した。やっと合点がいった。
ドリーにすごく詳しいわけではないけれど、耳にしたことくらいはあった。それはクローンも同じではあったけれど、より一層リアルに、具体的なものに置き換えられたことで、イメージしやすくなった。
ドリー。羊のドリー。羊のクローンのドリー。
僕は頭の中でその言葉を繰り返し、言葉を完全に咀嚼して飲み込んだ。
これで全てを理解できたわけではないのだけれど、モヤモヤは解消された。そのおかげで、頭の中の霧が少しだけ晴れたような気がする。
「クローンがどうした?」
「いや、何ていうか…べ、勉強をしようかなって。ちょっと知りたくなって」
僕は何だか本当のことを言いたくなくて、言えなくて、精一杯ごまかした。
恐る恐る父さんの方に目をやると、ほんの少しだけ訝しそうな表情を浮かべていた。けれど、それは本当にそういう顔をしていたのか、それとも僕がきっとそういう顔をしているだろうと思っていたからそう見えたのか、判然としない。
その答えがわからないまま、父さんは口を開いた。
「父さんがわかることなら、教えようか?」
父さんは、さっきの僕と同じように、言葉がまごついていた。
再び父さんに視線を送ると、何だか照れくさそうに僕から視線を逸らす。
それでも、それが父さんの歩み寄りのように感じて、僕はこれまでに感じたことのない何かを感じていた。それが何かは答えを持たなかったけれど、嬉しかったのは確かだ。
「ほんと? あーでも…」
「?」
「それ関連の本とかあれば貸してほしい。まずは自分で勉強したい」
僕は、今日初めてまっすぐに父さんを見た。その言葉とは裏腹に、まっすぐ父さんに視線を向けた。
この発言に対して、誤解しないでほしいんだけど、別に父さんに教わるのが気まづいとかそういう理由ではない。断じて違う。とは言いつつも、その気持ちがゼロかと問われると、自信を持って頷くことはできないかもしれないけれど…
でも何より、口にしたその言葉の通り、まずは自分でそのことに触れたかった。
僕は教科書が好きじゃなくて、どちらかと言うと人から聞いた方が記憶に残りやすいタイプではあるのだけれど、それでも今回ばかりはその縛りを解きたかった。
そうするべきだと思った。ただそれだけだ。
「それでさ…わかんないこととか、聞きたいことが出てきたら、教えてもらってもいいかな?」
僕がそう言うと、父さんはなぜか驚いたような顔をした。
目を見開いて、心なしか口まで開いているような気もする。そんなある種間抜けな表情に、僕は笑いそうになってしまった。
「…父さん?」
「あ、あぁ。悪い。ちょっと探してみるから、待ってろ」
「父さん、その前に手」
父さんはなぜか慌てていて、先ほどは思いとどまったそれで、自室のドアノブに触れようとしていた。
僕の声にハッとしたように自分の手を見つめると、洗面所へと向かった。
僕は何だか、父さんの新たな一面を見たような気がした。そのことが嬉しかったのか、それともその一連の行動がおかしかったのか。父さんがいなくなったのをいいことに、僕は笑いを隠さなかった。
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